※アニメでは、蓮花の顔は火傷だという設定になっています





炎に巻かれて、死んでもいいと、思った。
 妻は勘が鋭い。
 だから、最新の注意を払っていたつもりであった。
 あれは娘である小蓮の誕生日。
 彼女は、年頃であるからか、段々と家へ寄り付かなくなってきた。
 寂しくないと言えば、嘘である。だが、それを彼女が望んでいるのなら、こちらのエゴで無理に家に縛り付けるのは、愚行であろう。
「あなたは、あの子に甘い」
 その話をすれば、妻はいつも不機嫌そうな表情となる。
 そうなれば、私は「そうかもしれない」と妻と同じ、kの国の言葉で応えるしかないのだ。
 あれは娘である小蓮の誕生日。
 彼女は、ボーイフレンドと過ごしたいと言って、その日も夕方から家を飛び出していった。
 私は彼女へ渡すプレゼントを用意していたが、やはり、特別な日は恋人と過ごしたいものだろう。
 せめて、風邪をひかないようにとマフラーを渡してやれば、彼女は「ありがとう」と眼を反らしながらも言ってくれた。
「あなたは、あの子に甘い」
 妻はいつもの言葉を、不機嫌そうに言った。
「まあ、いいじゃないか」
 私は息を細く吐きながら、こう、言ってしまった。

「愛する相手と過ごせるのは、最高の幸いなんだから」

 刹那。私の息が、止まった。
 妻の手が、私の頸椎を両手で締めあげている。ぎりぎりと容赦のない力を篭めて。
「貴方は…ッ!」恐ろしい形相で妻は口を開いた。「貴方はッ!まだ!、あの女の事を言うのねッ!憎らしい!憎らしいッ…!」
「…ッ…まて、蓮花…ッ!」
 言葉に気を付けているつもりであった。だが、妻は私の言葉の含みを正確に読み取っていた。
 妻は勘が鋭い。
   だから、最新の注意を払っていたつもりであった。
 不意に、妻の手の力が緩み、私は大きく咳き込みながら、その場へと蹲った。
 咽頭奥から、血の味がじわりと滲む。
「…死なせない…」
 頭上から、妻の声がおりてきた。「死なせないわよ…影三…貴方は、私の夫なの…私のものなのよ…」
「…ああ、その通りだ…」
 ひゅーひゅーと喘鳴が喉から口に抜ける。息が整わない。酸欠からか視界が霞む。
 だが、その霞む視界にうつったのは、若く美しいと評される顔を醜く歪ませた妻の顔。
「よくみて…影三…あなたを、死なせないわよ!」
 そして、燭台を己自身が纏う薄いブラウスに押し付ける、妻の姿。
「蓮花ッ!!」
 薄いブラウスは、あっと言う間に炎へと変わり、妻は炎を纏いながら、よろけるようにカーテンへとしがみ付く。
 炎は意思のある生き物のように、或は妻の怒りそのものであるように、あらゆるものを焦がし、燃え尽そうと部屋いっぱいに広がった。
「蓮花ッ!!」
 私は彼女の燃える腕を掴むと、上着を叩きつけ炎を消そうと夢中であった。
 腕や顔の皮膚は熱傷で水膨れとなり、特に顔は深達性II度であることは、私の眼からでも分かった。
 
 一命を取り留めた蓮花。
 彼女の父である満徳に、償いと称する罰則を私は課せられたが、この際それはどうでもいい話であった。
 蓮花よりも先に退院した私を迎えに来てくれたのは、紅蜥蜴とドクター・ジョルジュであった。
「酷い目にあったな、間クン」
 紅蜥蜴が運転する車内。小声で、ドクター・ジョルジュが気遣ってくれる。
 彼はそうだ。昔から兄の様に、私を心配してくれる。
 例のプロジェクト時代から。そして、あの夢のような数年間の時も。
「俺が、迂闊でした」
 眼を綴じながら、私は本音を呟いた。「…蓮花は勘が鋭いから…激しい人です。俺の手には負えないんですがね…」
「……移植が必要なようだな」
「ええ。俺の皮膚を移植したら良いって言ったら…嬉しそうでしたよ…」
「…そうか…」
 沈黙が訪れる。
 それは不快なものではない。昔から、ドクター・ジョルジュは私の兄のような存在であった。
 だから、私は思わず吐露してしまう。
「…死んでも…よかった…」私は言った。「俺は、炎に巻かれて、死んでもいいと、思った」
「…影三…」
「…死んで、みおの元へ逝きたかったんです…」
「…そうか…」
 ジョルジュの手が、私の頭に触れる。
 まるで、幼子にそうするように、何度も私の頭を、彼は撫でた。
 彼は、私の兄のような存在だった。
 その大きな温かな手は、人を助ける医者の手であった。
 安心出来る、委ねる事を赦される、医師の手だ。
 自分とは大違いの手だ。私は、誰一人守ることが出来ない。
 私の存在が、愛するものを傷つけてしまう。
   だから、死んでもいいと思った。そして、私は、最愛の彼女の元へと逝きたかった。
 だが、それを妻が許すはずがなかった。
 知っているのだ。妻は、全てを。
 だから、最新の注意を払っていたつもりであった。
 だが。


 私は、影三より先に死んでやるわ…そして、あの女を見つけ出して、地獄の苦しみを味あわせてやるのよ…!


 焼け爛れた顔で、眼だけをギラギラと滾らせ、妻は私に言った。
 ああ、妻なら、恐らく実行するだろう。
 みおを、きっと。蓮花はみおに、恐ろしい程の苦しみを…!

 だから、私は囁き続けるしかない。
 細心の注意を払って。
 妻に、愛の囁きを。
 



熱傷



2015.4.12