岬の診療所の日常風景2


 




【新元号】
”令和ってなんだ?”



 半月ぶりの天才外科医のからの電話の内容が、あまりに日本人としてあるまじき発言であった為、助手である少女は思わず呆れてしまう。
 だが、それは天才外科医が異国の地で、依頼人である患者に全力で向き合い、心血を注いでいたからだ。
 だから、仕方がないとして。

「ブラック・ジャック先生は、5月1日には帰ってこられないの?」

 喫茶店Tomの店内で”令和元年記念☆令和クッキープレゼント”というポップを描く本間久美が、驚いたように顔をあげる。
「ちょ」
 100円ショップで購入してきたラッピングパックに”令和”とアイシングされたクッキーを詰めながら、助手の少女は答えた。
 ちなみに、このクッキーを焼いたのは、この少女だ。
「患者ちゃんの回復が予想よりも遅れてゆみたい。ちかたないのよさ」
「ピノコちゃんは強いのねー。私だったら荒れちゃうかも」
 女子高生の久美は、感心したように言った。
 少女だって、この日本限定であるこの記念すべき瞬間を天才外科医と迎えたいと思う。
 だが、それは、患者の命と天秤にかけるようなことでは、もちろんない。
 だから。
「令和記念のお土産を買ってきてもらうのよさ」
「何?それ」
「んふふふふ」
 にっこり少女は笑って、こたえない。
 
”令和記念って、なんだ”
「ちぇんちぇい、自分で考えてー」

 考えて買ってきてくれたお土産が、記念品。
 ピノコの事を考えて、買ってきてくれるものなら、なんだって。
 わがままなお願いだけど、よろしくお願い致します。


2019.4.29





【100円グッズ】

「100円ショップれ買ったの。役立つのよさ」

 助手の少女の言葉を思い出したのは、患児の病室を訪れた時だった。
 根治を目的とした手術を終えたが、予断は許さない時期。
 本来であれば集中治療室かハイユニット・ケアで過ごすべきではあると病院側は主張したが、天才外科医は個室で構わないだろうとした。
 個室で、家族と共に過ごす方が、予後が良くなるだろうと、確信をもって。
 事実。
 患児は両親や弟と過ごす事をとても喜び、弟と一緒にゲームをしたり、両親とテレビを見て笑い、その結果として数値はメキメキと安定していった。
 さすがは天才外科医だ、と結論づけられるのは簡単だが、これは数値や理論を要しない力が働た結果であると、天才外科医はその経験から思う。
 
「まま〜お部屋があっつい!」

 そう弟が声をあげたのは、外気温が今年の最高値を更新した日であった。
 病室の温度は基準である、24〜27℃に保たれている。
 だが、窓辺からのじりじりとした熱気と光は、見ているだけで火傷してしまいそうなほど。
「そこまで暑くないから。我慢して」
 母親は弟を宥める。エアコンは備え付けられている病室だが、患児の身体にエアコンの風は少し具合が悪い。
 だが弟は暑いと主張し、患児は、少しぐらいならいいよと口にしていた。
「だめだ」
 それを止めたのは、天才外科医だ。「君の身体にエアコンの風は寒すぎる」
「あっつい!あっつい!」
 幼い弟は駄々をこねる。これだけ叫べば余計に暑くなるであろうが、そんな事はお構いなしだ。
 そして、天才外科医は、ふと思い出す。
 内ポケットにある、助手に勝手に入れられた一本の扇子。

『こえ、扇のぶぶんが布らの。だかや、濡らして仰ぐといいよのさ』

 少女の科白を思い出して、天才外科医は扇子を部屋に備え付けられている洗面所で濡らした。
 突然の行動に、ぽかーんとする母親と弟の前へ行き、天才外科医は濡らした扇子を開き、それを仰いでみせた。
 そよそよ。
「うわー!すずしいー!」
 実際に涼しいかは置いておいて、弟には、濡らした扇子に興味津々になり、暑さを忘れたようだ。
 扇子を渡すと、弟は「ありがとー!」と笑顔で答えて、一生懸命に扇子を水で濡らし、患児や母親に仰いで見せる。「涼しい?涼しい?」と何度も聞きながら。

『こんなものを用意しておくなんて、素敵なオクタンれちょ?』

 またも少女の言葉を思い出す。
「確かに、大したもんだ」

 天才外科医は、思わず口にする。


2019.7.30

-完-

2020.3.20 不良保育士コウ

2019年に掲載し忘れ篇そのいち