ヘッドフォンから聞こえてくる粘ついた不快音は、画面と連動して聞こえてくるもの。
画面に映し出されているのは、アメリカの都市部のような場所。
まるで戦乱中のように建物からは炎があがり、車両はひっくり返り破壊尽されている。
その半ば廃墟と化した都市部の瓦礫からは、どうみても致命傷を負っている人間がウロウロしている
あれだけの外傷(或は明らかに致命傷)を負った、とても動けるわけがなさそうな人間が、ゆっくりな動きではあるが、ウロウロしている。
いわゆるゾンビという奴だ。
「きゃぁああ!ちぇんちぇい!ちかい!ちかい!」
「ピノコ!さわぐな!」
ゾンビが近づいてくるたびに、胡坐をかいた天才外科医の膝に収まる様に座っている助手の少女が悲鳴をあげる。
小さな手でしがみついてくるのは可愛いとは思うが、画面に迫りくるゾンビ退治にそれどころではない。
「ちぇんちぇい!頭!頭ねらって!」
「わかってる!」
ゲームのキャラクターがハンドガンで、ゾンビをガンガン撃つが、狙いがうまく定まらず、あえなくゲームオーバーになること、数十回。
「ちぇんちぇい…なかなかちゅちゅまないよのさ」
「うるさい。こんなのは慣れだ」
「やっぱり、ロクター…」
「大丈夫だと言ってるだろう!」
負けず嫌いな天才外科医は、再びデータをリロードする。
「だいたい、ゲーム機がほしいなら、買えばいいだろう!なんでキリコに借りるんだ!」
「らって…1人でするの怖い…」
「そんなゲームを何でしたがるんだ!」
文句を言いながらも、負けず嫌いな天才外科医は、少女を膝にのせたまま、ゲームを再開させる。
2020.5.4
□□
車に乗り込むと、一先ず、一息つけた。
少女は、ふう、と息を吐いてから、自分のiphoneを起動させる。
リンゴのマークが出た後、メールアプリに表示される数字に、もう一度息を吐いた。
「どうした」
運転席に乗り込んだ天才外科医が、声をかけてくる。
エンジンをかけると、少女が口を開く前に、ラジオからアナウンサーの声。
それは、感染症の感染者数と死亡者数を告げる声だった。
毎日流される情報に疲弊していると、ラジオのアナウンサーが伝えてくる。
疲弊して気が緩んできた、と。
ぷつ。天才外科医の長い指が、ラジオの音声を消した。
少女が見上げれば、前を見ながら天才外科医は随分と苦い表情をしている。
理由は、少女には分かっていた。
この感染症の罹患率の増加と同時に、天才外科医への依頼も増えた。
何故なら、この感染症の増加に伴い、緊急を要しない手術は延期となったからだ。
緊急を要しない手術等、実質存在しない。
病変はいつおこるか分からないのだ。つまり、手術を緊急に要する時は、生命が危ぶまれている時という事だ。
この事で責められは病院側ではない。
だが、医療をを取り巻く状況は厳しいばかりだ。
「今日はひとまず、帰るか」
天才外科医の言葉に、少女は眼を瞬かせた。
手術の鬼とも奇跡の腕とも言われる天才外科医から、ひとまずという言葉が出る事が珍しい。
「ちぇんちぇい、なんれ?」
疑問を少女はそのまま口にする。
「器材が切れそうなんだろ?」
「あ、ちょっか」
少女は合点がいったという表情で笑って見せた。「家に届いてゆはずなのよさ」
「何かテイクアウトして帰るか?」
「あ、じゃあ、叙々牛のビビンパテイクアウトがおいちいって、言ってたのよさ」
「叙々牛だな」
天才外科医はギアをチェンジしてアクセルを踏む。
ゆっくりと走り出す車から見える景色は、何ら変わりない。
ただ、人の存在だけが、ひっそりと抜け落ちているのだ。
「すいてゆね、ちぇんちぇい」
「そうだな」
車もまばらにしか走らない。
感染症が猛威を奮う真っ只中。助手の少女を連れ歩く事に、葛藤がなかったわけではない。
ただ、少女が言った言葉に返す言葉が見つからなかっただけだ。
「ちぇんちぇい、叙々牛のテイクアウトの予約とれたのよさー」
「ああ」
自分も行くと駄々をこねる少女に駄目だと怒鳴りつけると、少女はキッとその大地色の瞳で射抜き、そして言ったのだ。
”先行きが見えないのなら、先生と同じ景色をみたい。死因はピノコが自分で決めるから”
常に死を覚悟している少女は、驚くほど頑固だ。
「食べ過ぎるなよ?肥満は早死にの元だ」
「栄養をとって免疫力をあげゆんですう」
死因を自分で決める日が、来ないように。
2020.6.1
-完-
2020.6.20掲載 不良保育士コウ
stayhomeネタ 私自身は忙し過ぎて…