妹の仕事が、ひょうたん人形を作る事だったのだ。
メキシコのゲレロ州。
観光客相手の値の張る土産物の店に陳列される、メキシコ産の工芸品のなかで、それらは一際目をひいた。
色鮮やかな文様の漆器。美しい造形は、ひょうたん等のウリ科の植物の使用からなる曲線である。
その、植物を使用する工芸品の技法の起源は、古代アステカ時代まで遡れるのだと言う。
脈々と受け継がれてきた伝承の素晴らしさは、豊かなる文明を感じ取ることが出来る。
しかし、現在。
この国の名は、その伝統工芸よりも、より有名な犯罪という汚点で世界に知られている。
学生集団拉致虐殺事件。
現職市長の暴力組織との癒着。
現職警官の麻薬汚染。
汚名ともいえる事件は日常茶飯事であり、日本の外務省渡航広域情報もレベル2。不要不急でない限り、渡航を取りやめるレベルである。
そのような場所になってしまったが故。
観光客相手の民芸品を製作することを生業とする一家は、貧困に喘いでいた。
数キロ離れる市の酒屋で働く若い母親の持つ携帯電話が、ネットを通じて天才外科医の助手と繋がった。
助手の少女が、テキーラを検索していきついたのだ。
ひょうたんで作ったランプなどの物珍しい民芸品を気に入り、それを太平洋向うへ郵送したのがはじまりであった。
一家はネットによる民芸品の販売をはじめ、遠い日本の岬の診療所は、一時期、中南米の民芸品だらけのインテリアとなる。
半年ほどたった頃。
すっかりメル友となった少女に、母親は、何気なしに、それこそ世間話の一つとしておくった一文が、天才外科医を中南米の地を踏ませることとなった。
”上のお姉ちゃんが、腕が痺れるって言ってたけど、最近、眼が細くなってきて、仕事のし過ぎかなあ”
それは、発見が難しいとされる肺の悪性腫瘍であった。
また、治療も容易ではない。
病期診断でも、手術適応のステージではなかったが、金額の提示と共に複数の術式を提案したのは天才外科医であった。
それは患者への負担が大きいとされるのが、今の医学の常識であった。
病院の医師をはじめ、病院の看護部長は天才外科医が無免許医であることを指摘し、強固に反対した。
天才外科医は、患者の年齢、全身状態、心肺機能を考慮した結果、生理学的機能は耐えうると断言し、患者家族はその言葉に決意をする。
天才外科医による、手術を。
ネットによって結ばれた縁。
手術の結果に、猛反対をしていた看護部長は、固く閉めたドアの向こうで歓喜の涙を流していた。
看護部長は、患者の伯父であったのだ。
愛らしい動物の彫り絵が入ったひょうたん細工は、患者である姉のオリジナルであった。
天才外科医の助手の少女のお気に入りであり、自身のブログで紹介することで、無名の一点物の作品は世界が知ることとなるのは、もう少し先の話だ。
今回は、手術代金として、このオリジナル作品を数点貰う事で、手術料を十分の一以下にまけてやることにする。
「じゃあ、先生。私の人形もあげる!」
まだ幼い妹が、たどたどしい英語で。そんな事を言った。
患者の妹の仕事が、ひょうたんで人形を作る事だったのだ。
ひょうたん人形と言えば、アフリカの民芸品である、頭足人の吊り人形を思い浮かべた天才外科医であったが、妹の作る人形はデフォルメされた女の子の人形であった。
大きな黒目がちの瞳に、愛らしく描かれた笑顔の唇が、なんとなく日本へ置いてきた助手の少女の面影を偲ばせた。
だから。
「…ピノコに似てるな」
「先生のコドモ?」
天才外科医の呟きに、妹が敏感に反応する。「じゃあ、名前を入れてあげないと!」
「いや、ピノコは私の子どもではない…」
「日本の文字教えて!」
「………。」
商売に熱心なのか律儀なのか。妹は日本文字を教えろとしつこく迫り、天才外科医はその熱意に折れる。
台座に”ピノコへ”と、カタカナを書いてみせると、妹はそれを見ながら、自分で紙に書きこんでいた。
それから。
綺麗な箱に入れて、帰国までに、引き渡すというのだ。
そのまま受け取っておけばよかったのだ。今、思えば。
術後の状態も安定し、補助療法も必要なくなったのを見計らい、天才外科医は帰国日を決める。
一家総出の見送りに加え、あんなにも手術に反対していた看護部長でさえ、感謝の握手を求めてきた。
いつもが成功するわけではない。
だが、今回は患者の体力と気持ちが大きかった。そう告げれば、看護部長は、それにあなたの信念と技術が、後押しになったと返される。
言葉に、お互い、静かに笑っていた。
「先生!これ!先生のコドモのおみやげ!」
大きな箱を抱えて妹があらわれる。それは立派な紙箱であった。
妹が「みて!」と嬉しそうに蓋を開けて見せる。
中身を改め、天才外科医は絶句した。
「ネットで日本語を調べたの!あってる?」
嬉しそうに、それは本当に嬉しそうに。自分の仕事に自信をもっている証拠だ。
いや、確かに間違ってはいなかった。日本人であれば、ちゃんと読みとれる程度に書かれた平仮名だ。
ただ。その内容が。
天才外科医が伝えた”ピノコへ”の名前の上に書かれたひらがなは”わがむすめ”。
わがむすめ。
思わず、天才外科医は頭を抱えたくなった。
だが。
「……ああ、よくかけている」
幼い少女の仕事としては、完璧である。何より、そのキラキラした眼差しに天才外科医は弱かった。
その結果。
その”わがむすめ ぴのこへ”と書かれたひょうたん人形を、持ち帰る事となる。
一応、機内で”わがむすめ”の部分が消えないかアルコール液で試みてはみたが、思ったよりも効果がなく、仕方がなしに、諦めて、自ら”わがむすめ”と書き直した。
そして、ハタと気づく。
「…店員が勝手にいれたって、言えばよかったんじゃないか……」
気づいたのだが、後の祭り。
”わがむすめ”も”ピノコへ”も、しっかりと天才外科医の筆跡になってしまったのだった。
ばれるだろうか。
「……ばれるだろうな……」
そして、怒るだろうな。
これを見た助手の少女の反応を正確に予見して、天才外科医はため息を吐く。
まあ、でも。
人形の可愛いさに、勘弁してもらおう。
方針を決めた後、天才外科医はシートをフラットにして眠りにつく。
岬の診療所まで、あと12時間。
-完-
2017.4.22 不良保育士コウ
※「研修医たち」の捏造補完