道半ば


 

※”ピノコ生きてる”捏造


 唐突の衝撃で目が覚めた。
 何が起きたのか、理解できない。
 混乱する思考は猛スピードで様々な事を巻くしてては消えてゆく。
 動悸が、早い。

「気づいたか?先生」

 その音声に、世界がばちりと切り替わる。
 唐突にあらわれたのは、灰銀髪。眼帯。色素の薄い碧眼。
「…キリコ…!」
「ああ、やっと正気になったか」
 目の前の男は、口角をあげると、すぐに視界から消えた。
 そして、ようやく辺りを見回すことを思い出し、自分のおかれている状況を把握する。
 そこは、死神の化身の診療所であった。
 簡素な診察台に寝かされていることに気づき、ゆっくりと起き上る。
 ゆっくりと起き上った筈だが、意識がくらりと揺れた。
「まだ、寝ていたほうがいいんじゃねえの?先生」
 戸口から、マグカップを持った死神があらわれた。
「世話になった。何れ、礼に来る」
「まてよ」
 出て行こうとすると、遮るように死神はマグカップをさし出してくる。「チキンスープ。毒は入ってねーよ」
「…急ぐんでね」
「お嬢ちゃんが心配なのはわかるけど、先生が倒れたら、それこそまずいんじゃねえの?」
「…ッ!」
 言葉が文字通り心臓を貫く。
 歯を食い縛り耐え、死神を睨み付けた。
 ギラリと刃物のような殺気の眼光を受けても、死神は眉を僅かにあげたのみだったが。
「貴様…何故、それを…」
 呻くような声で問い質す。
 死神は「そりゃあ」と小さくため息を吐いた。「あんだけ派手に聞きまわってりゃ、嫌でも噂は聞こえて来るさ。それに、お前がそこまで必死になる理由なんざ、限られているだろ」
「…そこまで言うなら…貴様は知らないか?奇形嚢腫を手術した資産家の娘を…」
 眼光が僅かに色を変えた。相変わらず睨み付けてくる眼差しのなかに、微かに混じる、有痛性。
「……生憎だが…」
 その眼差しを受けて、死神は答えた。出来うる限り、素っ気なく。
「………。」
 無言で。
 今度こそ天才外科医は診察台から降りる。
 左腕にじくりと鋭痛が走る。思わず痛点に触れるとバンソーコが貼られている。
 点滴治療を施行されていたのかと気づく。
 余計な事を、と思う。
 一歩踏み出すと、くらりと床が波打ったかのような錯覚に陥ったが、奥歯を噛みしめてそれに耐える。
「まてよ、ブラック・ジャック」
「断る」
 間髪入れずに答え、真っ直ぐと玄関へと向かう。
 だが、その背中に死神は淡々と言葉を続けていた。「お嬢ちゃんが死んでも、お前は生き残る。それは当然の話なんだぜ」
「ピノコは死なせない。絶対にだ」
 ばたん。
 玄関のドアが閉める。
 立ち止まっている暇などない。
 天才外科医には、その使命感と矜持と、そして焦りしか、ない。
 まだ、道半ばだ。
 少女の人生を終わらせるわけには、いかないのだから。


 静まり返った室内で、死神は小さくため息を落とすと、ポケットから携帯電話を取り出した。
 そして、SNSを起動し、操作する。
 今朝受診した、少女からのメッセージに返信するために。

 

      

-完-

2016.5.18(2017.3.13加筆)  不良保育士コウ

※実は、水谷さんが亡くなった時に書いたのですが、悲し過ぎて今まで封印してました