医師という職業に年末年始は関係ない。
皮膚科や眼科の開業医であれば、そんなこともないだろうが、外科の開業医であり、天才と称される医師であれば、そんなことも、ある。
だから、一緒に・しっとりと・夫婦らしく、という3点セットで年末年始を迎えられるのは、奇跡に等しい。
それにしても、だ。
「…年、明けちゃった…」
手術室から出ての天才外科医の助手の第一声が、それだ。
難しい症例であるから、手術が長丁場になるのは覚悟していたが、まさか年を跨ぐことになろうとは。
「お疲れさま、ピノコちゃん」
茫然とする少女に、手術室の看護師が声をかける。「一先ず、ブラック・ジャック先生と休んでね」
「あいがとう、ございますう…」
少女はぺこりと頭を下げて、一先ず術衣の着替えに向かう。
すれ違うスタッフが、笑顔で挨拶をしてくれる。
それは、この手術が成功し、天才外科医の腕を目の当たりにしたから。
なにせこの手術が始まる前のスタッフの表情ときたら、胡散臭いものをみるそれだったのだから。
とはいえ、助手の少女は、12時間を有に超える手術の器械出しを休むことなく担当したのだ。
天才外科医の腕も然る事ながら、その絶妙のタイミングでの器械出しをやり遂げた少女の補助も素晴らしいものであった、と看護師が噂をしているのだが、少女の耳には届かない
とにかく、自宅と違って、手術後の後片付けをしなくて済むのは、とても助かる。
少女が着替えを終えると、集中治療室前の廊下に座る天才外科医をみつけた。
「ちぇんちぇい、お疲れさま。あけまちておめでとう、なのよさ」
「ああ」
床に直に座る執刀医を、集中治療室の看護師たちはチラチラとみている。
それを気にせず、天才外科医は天井を仰ぎながら大きく息をついていた。
表情が柔らかい。
それは助手の少女にしかわからないものだったが、恐らく、この手術に大きな手ごたえを感じたのだろう。
患者の回復を。
それは年の初めに天才外科医が贈った、患者の未来。
そういえば、お正月に子どもにあげる”お年玉”とは、年の初めに年神様から新年の魂を分けてもらう、という意味合いがあるのだと、お昼の情報番組で言っていたことを、思い出した。
「先生からのお年玉ってことなのよさ」
「あ?お年玉がほしいのか?」
言葉尻を捕えて、天才外科医がトンチンカンな事を言う。
「ピノコじゃじゃなくて、患者ちゃん」
「ああ、そうか、新年か」
「もーピノコ、あけまちておめでてとうって言ったのよさー」
「ああ、今年もよろしく頼む」
くつくつと笑う天才外科医を見詰め、少女は大きくため息を落とす。「ちぇんちぇい、眠いんれちょ」
「あと6時間は気になる」
「ここれ患者ちゃんをみるの?」
「そのつもりだ」
「せめて、ナースステーションにいけば?」
「あそこはうるさくて落ち着かない」
ここにいられても、看護師が落ち着かないとは思うけど、と思いつつ、すでに瞼が落ちている天才外科医をみて、少女はため息をもう一度落とす。
こうなれば、2時間は起きないのだ。
「ちかたがないなあ」
どうせ変人だと思われていることだし、しばらくここをベッド代わりにさせてもらおう。
天才外科医の体がゆらりと揺れる。
少女の頭にもたれかかると、安定した。少女の座高が、どうも天才外科医にとって居眠りにちょうどいい塩梅らしい。
「おやちゅみ、ちぇんちぇい」
声をかける。
かなりのいびきをかきながら、天才外科医は、つかの間の休息をとる。
-完-
2018.1.8 (1.27加筆)不良保育士コウ(7月の氷)
手術室での年越しとか、勘弁してほしいですね(おい)