生命の尊厳『君を赦す者』


 

※BJ21最終話『生命の尊厳』の補完小説です。


「そんなわけで」
白拍子は自身満々の笑顔で言った。
「ブラック・ジャック、君がフェニックス病を完治させるまで、この私が君の主治医となる」
「断る」
天才外科医は、即答した。

 未知とされる病原体による感染症『フェニックス病』。
 その感染症患者を隔離した、通称”空飛ぶ病院スことカイ・ホスピタルは、米国防衛省の管轄下にはいり、軍内部で隔離されることとなった。
 それが故に、フェニックス病感染者は米軍に収容され、軍管轄の医療施設へと搬送されることとなる。
 感染者は、スカイ・ホスピタル内部にいた人間のほとんどだった。
 が、何故か、奇跡的に感染を免れた、ドクターホワイトこと白拍子泰彦は、スカイ・ホスピタルに乗り合わせた天才外科医、ブラック・ジャックが発見したフェニックス病治療法の確立と、感染者の治療に、これもまた、大張りきりであった。
 白拍子のスカイ・ホスピタルの性能を生かせる場が当たら得られたことによるチャンスと、未知の病を自らの手で完治させるためのこれもまたチャンスの二つを得たと言う高揚を考えれば、医師として、研究者として、興奮するのも無理からぬことであろう。
 だが、脳外科学会の世界権威とも、日本医学会の時代の寵児とも呼ばれる白拍子であるが、どこかが致命的に抜けているところに、天才外科医は不安を不安をぬぐえずにいた。
 そして、感染病患者である筈の天才外科医が、どうしても譲れないことがあった。
 ブラック・ジャックは、助手としてつれて歩いていた少女、ピノコの治療を他人にさせることを頑なに拒んでいた。
 自身も病原体保有者であるにも関わらず、助手の治療を断固として拒否する。
 噂どおりの変人とみるか、頭のかたい天才外科医とみるか、それは周りからの憶測にすぎない。
 白拍子なんぞは「そんなに娘が大事とは、意外と親ばかだな」という発言をし、天才外科医に顔面を強打され、全治一週間の外傷を負わされている。
 だが、問題は最も秘密裏であり、根深いところにある。
 少女の身体は特殊なのだ。
 あの幼い体は、天才外科医のもてるだけの技術を駆使した人造のものであり、少女が生きたいのだと必死で願った結果であるのだ。
 つまり生身の少女ではない。その体は、奇跡の上で成り立っていると言っても、過言ではない。
 だから、あの少女のことを理解できるのは天才外科医だけでしかなく、何よりその特殊性を知られ、実験体のような眼に少女を晒すのだけは避けたかった。
 ここは、軍の管轄下である。。
 自分の目が離れた隙に、少女の身に何がおこるとも限らない。
 少女のことで鬼気迫る表情になる天才外科医を、ドクタークーマは只ならぬものを感じていた。
 ドクターホワイトは、わがままだとか、子離れができていないだとか言うが、果たして、そんな理由であろうか。
 恐らく、表に出来ない理由があるのだろう。
 だが、病原体保有者が治療を行うのは、リスクが高すぎる。
 しかし、悩んでいる時間もなかった。
 少女の病状は、幼い身体だということもあり、最も進行が早かった。

 
 集中治療室を見渡せる大きな壁面ガラス越し。
 天使外科医は、険しい表情でに、ただ一点を凝視していた。
 視線の先にあるのは、カプセル型の治療機器。
 ドクターホワイトが開発を指揮したとされる自信作、カンサー・ハンターと呼ばれる機器であった。
 今では、そのカプセルに少女が静かに横たわっている。
 頬を上気させ、呼吸も苦しそうだった。
 目の前にいるのに、何もしてやれない。
 迅速な決断をするべきである。何故なら、患者である少女にこれ以上の負荷をかけては、生命が危うい。
 命を落としては、何も意味がないのだから。
 少女は、天才外科医の視線に気付くと、ゆっくりと笑ってみせた。
 そして、小さく手を振る。
 それは、いつもの仕草。
 天才外科医に心配をかけさせまいと、笑ってみせる。
 そうだ、彼女はそういう少女なのだ。
 弱弱しい手をゆらゆらと振る。その弱弱しさは、触れたら粉々に砕け散るのではないかと危惧してしまうほどの、脆さにもみえた。
 ガラス越しでしか、見つめることしかできないもどかしさに、天才外科医は苛立ちを覚えていた。
「ブラック・ジャックくん」
 名前を呼ばれて、天才外科医は無言で振り向く。
 呼びかけたドクタークーマの傍らにいた若い医師が「ひい!」と悲鳴をあげた。
「ブラック・ジャックくん」
 感染症対策の為の防護服に身を包んで声をかけてきたのは、ドクタークーマだった。
「君の申し出だが、やはり無理だ。それは君自身も分かっているだろう」
「………。」  無言で天才外科医はクーマを見た。
 それは無表情にも見えたが、追い詰められたかのような、必死の形相にも見えた。
 天才外科医の申し出が言語道断であることを、彼自身も分かっているはずだった。
 それでも、彼があの少女の身体を第三者が触れる事を拒む理由とは。
「それでだ」クーマは言った。「あの子の治療にあたる医師を一人だけ、専任にするというのは、どうかな。君の指示の元で、だ。軍の人間ではなく、外部の医師で」
「外部の…」
「そうだ。ちょうど、立候補がいたのだよ」
 クーマはちらりと後方を見た。
 そして、同じ防護服を纏う人間を一人手招く。
 長身であった。防護服を纏いながらも、痩躯と分かるその人物は、ゆっくりと、近づいてくる
。  マスク越しの表情から、人物の顔が分かった時、天才外科医は絶句し、硬直した。
 何故なら、それは。
「ドクター・キリコ・ジョルジュくんだ」
 そんな天才外科医の内心には気づかず、クーマは紹介する。「彼はドクター・ジョルジュの息子さんで、専門は臨床薬理だそうだ」
 臨床薬理。
 毒薬を扱い安楽死を施す医師も見ようによってはそうなるのか。
 今までサバンナの奥地へ籠っていたとはいえ、クーマはこの男の本業である噂は知らないのだろうか、と、BJは発熱でぐらぐらする頭で考える。
 だが、あまり時間もない。
 大いに不満はあったが、それでも、見ず知らずの人間に少女のことを任せるより、マシであろうと、天才外科医は考え直す。
 この男を信用しているわけではない。
 わけではないが、自分と同じ、闇で動く医者。
 契約を交わせば、恐らく、馬鹿な真似はしないだろう。

 そして何より、あの少女が安心するかもしれない。

「…よろしく、お願いします。ドクター・キリコ」
 その言葉に、一番安堵したのは、ドクター・クーマであった。





 A4大の紙にさらさらと天才外科医は筆を走らせる。
 それは瞬く間に、文字と数字で埋め尽くされた。
 人柄を表すような、几帳面で硬く尖った文字列。
 最後の一行まで埋め尽くすと、その紙をキリコこと死神の化身へと手渡した。
「ピノコの正常状態の体内数値だ」
 どさり。
 力尽きるように、天才外科医はベッドに倒れこむ。
 それをチラリと見ながら、死神は手渡されたカルテを一読する。
「…わざわざ、覚えているんだな」
「当たり前だ」
 怒気を孕んだ声。
 その声に「腐るなよ」と死神は言い、天才外科医は眼光鋭く睨み返していた。
 勿論、死神の化身は知っている。他人の手に少女の生死を委ねなければならないこの事態に、この天才外科医は自身への怒りを覚えていることを。
 自身は依頼があれば戦線であろうが、どこへでも出向くのに、助手の少女を連れ歩くのは、安全性の高い国或は場所ばかりであった。
 常に少女の身の安全を思い、最善の策をとってきた天才外科医にとって、今回の出来事は、許しがたいことであるのだった。
 許せないのは、己自身。
「まあ、お前はお前で、じっくり治すんだな」
 紙を片手に部屋を出て行こうとする死神を、天才外科医は呼び止めた。
「なんだ」
 ゆっくりと、振り返る。
「キリコ」天才外科医は言った。「だいたい、なんでお前がここにいる」
 それは最たる疑問である。
 米軍管轄の医療組織に死神の化身。
 元軍医という経歴をもつこの死神には、馴染みの場所であるということなのか。
「呼ばれたんだ」
 あっさりと、死神は答えた。「あの後、俺もフェニックス病の事をしらべた。あと、お前の言っていた『ノワール・プロジェクト』とかいうものもな」
『ノワール・プロジェクト』
 その単語を聞き、天才外科医は僅かに表情を硬くする。
「間 影三氏は生体医工学では伝説だったな。当時はまだ医工学の末端であった人工臓器分やでは、未曾有の天才だと。お前さんが天才外科医と呼ばれているのも、納得する」
「質問にだけ答えろ」
 遮る様に、天才外科医は低く問う。
 鼓動が、息苦しくなるほどに早まるのは、熱のせいだと言い聞かせる。
「詳しくは言えねえが、俺はドクター・クーマに呼ばれたんだ」
 話はそれだけとばかりに、キリコはドアを開けて外へと出た。
 ドアを閉める瞬間、BJが何か言ったような気もしたが、あえて無視した。

-続-

2011.6.19 コウ

2015.7.5 改稿