模範解答


 




 異常気象は猛暑ばかりを指すのかと思いきや、冬の積雪の多さもそうなのだという。
 東北であれば、ある程度の雪への対処や知識があるであろうが、太平洋側であり関東地方の山沿いであれば、その対策が遅れていたり、脆弱であるのも無理はないだろう。
そもそも、車が冬仕様になっていたとしても、積雪に対する適切な除雪が行われていなければ、スタックしてしまうのも、道理である。
 そんなわけで、群馬の山道。天才外科医のセダンはシャーベット状の雪にはまり、どうにもこうにも動けなくなっていた。
 幸いにして携帯電話の電波が生きていたため、診療所兼自宅で留守を預かる助手の少女へ連絡を入れる。
「ちょれって、ちょーなん(遭難)じゃないのよさー!」  素っ頓狂な声をあげる少女に「大袈裟だな」と言えば、先生は修羅場を潜り過ぎて麻痺してる、とよく分からないことを言われる。
 とにかく、帰りは遅くなる、というか、しばらく戻れないんじゃないか、と告げれば、特別JAFを手配するからと少女は電話を切った。
 JAF。一般社団法人 日本自動車連盟の通称である。
 天才外科医はこの連盟の会員ではないため、料金は高くつく。
 何より、都内の積雪による混乱もあるから、こんな山道の車に、はたして来るのだろうか。
 そんな事を考えていると、驚いたことに、車両が現れた。
 が、よくみれば、あの黄色の作業車ではなく、ワンボックスカーだ。
 ただの通行かと思えば、車は停車する。
 そして、降りてきたのは、
「…………なんで、お前がここに来る」
 天才外科医の威嚇に、降りてきた人物は「俺だって、好き好んできたわけじゃねえ」と返す。
 現れたのは、長い銀髪に眼帯をする安楽死医であった。
「お嬢ちゃんに頼まれたの。先生が遭難したから助けてほしいって」
「遭難なんかしてない」
「お前、よくこんな山道をFFのセダンで来たな」
「よくこの場所がわかったな」
「…先生、今のスマホってGPSがきくから、場所の特定って簡単なの」
「………。」
 いよいよ反論が出来ず、黙り込む天才外科医を他所に、死神の化身はセダンの運転席に座ってアクセルを少しふかしてみる。
 空回りするタイヤに、フンと鼻をならし、死神の化身は降りてきた。
「無理そうだな。とりあえず、牽引するから、先生、牽引フック」
「そんなもん、わからん」
「…お前ね…」
 ぐい、と唐突に胸倉を物凄い力で掴まれた。
 近づく隻眼に文句を言おうとする。が。
「先生、ふざけているかは知らねえが、先生には待ってる人がいるんだろ」
 死神の声。言葉。
 文句を言おうとする。が、その言葉は喉の奥に消えた。
「あ、ああ」
 辛うじて答えると、死神の化身は胸倉を掴む手を離す。
「じゃあ、この車、ここに乗り捨ててもいい?」
「かまわない」
「じゃあ、乗れよ、先生」
 促され、天才外科医は死神の乗ってきた車へと歩く。
 柔らかな新雪に足を取られそうになりながら。
「…私だけではない」
 天才外科医の言葉に、死神は無言で振り向いた。
 無表情な、その仮面のように精巧な男に、天才外科医は言い放つ。「キリコ、お前にも待っている人間はいる」
「………。」
 言葉に、死神の化身はゆっくりと瞬きをすると「先生は?」と口を開いた。「俺は、ちゃんと迎えに来たぜ、ブラック・ジャック。で、お前はどうなの?」
 長い手が伸びてきたかと思うと、再び、天才外科医は胸倉を掴まれる。
 引き寄せられ、その隻眼が目の前に。
「お前はどうなの、ブラック・ジャック」
 問うているくせに、他の解答は許さない。
 解答は、一つだけ。
 それを当然のように突きつけてくることが腹立たしいのに、答えなければ、恐らくこの死神は、跡形もなく消滅してしまう。
 跡形もなく。
「お前がいなければ、私は今晩、野宿だ」
 天才外科医は答える。
 それが、精いっぱいの、模範解答。

-完-

2018.4.16 7月の氷(コウ)

実は掲載し忘れていました

実はほどよく見失った話(おい)今年の2月の豪雪被害勘弁掌編