9つの黒い薔薇を





 花屋から届いた花束を前に、探偵は大層不機嫌であった。
 花束は黒い薔薇のみで、9本にそれがお行儀よくまとめられている。
 差出人は、ジョン・H・ワトスン。
 現在往診の為不在の、探偵の同居人だ。
 大家夫人が、まあまあ先生ったら素敵な贈り物ね、と呑気な事を言って活けようとするので探偵はそれを中止させる。
「これは、どうみても女性宛のものでしょう。ワトスン君は節操がないから、また、美人で性格の良い未亡人でも見つけ出し交際を迫るためにこの花束を用意したのでしょう。バカバカしい」
「あら、怖い。それでは、ご馳走は先生がお帰りになさってからでよろしいのかしら?」
「今日は帰って来ないかもしれないですよ」
「まさか。そんなはしたない真似をなさる方ではないでしょう」
 探偵の嫌味を聞き、呆れたように返すと、夫人は退室した。
 あとは、探偵と、9本の薔薇が残されるのみ。
 まったく、と。
 こんな、如何にも女性へのプレゼント然りなものを、自分の不在時に自宅へ送るとはどういう神経なのだ。
 それも黒い薔薇とは、関係の浅い女性に贈る花ではない。ここはスタンダードに赤い薔薇を贈るべきだろう。
 それも9本などと。
 教養のある女性であれば、その意味に気づくだろうが、黒い薔薇と9本の薔薇は意味合いがちぐはぐではないか。
 これでは紳士としての教養がないと思われてしまうではないか。
「ただいま、ホームズ」
 薔薇を前に悪態をついていた探偵の元へ、当の方人が帰宅した。
 呑気にも、雪が天から降ってきただの、患児に飴玉をあげたら喜んでいただの、どうでもよいことを外套を脱ぎながら並べ立てる。
 そして探偵の傍まで来た時に、同居人は「あ」と声をあげた。「届いていたのか」
「先ほどね」
 低い声で探偵は答える。「まったく、君は最初に女性に贈る花葉赤い薔薇だという常識を忘れてしまったのかい」
「何を言っているんだ。これは君へのプレゼントだよ」
 同居人はひょいと花束を両手で持ちあげると、驚く探偵へ厳かにそれを差し出した。

「誕生日おめでとう、ホームズ。大いなる友情と、変わらぬ尊敬を君に」

 ぽかん、と。
 探偵は差し出された花束を見つめ、そして目の前で笑う親友を見た。
「君は」
 両手でその花束を受け取ると、探偵は黒い薔薇を見て、そして「この花束に込められた意味を、ちゃんと理解しているのか」
「もちろんだよ」親友は言った。「こういったものは、私の担当だろう?」
 イタズラを仕掛けた子どものように、親友は笑う。
 探偵は観念したように「ありがとう」と笑った。


 9本の薔薇:いつもあなたと、共に
 黒い薔薇:決して滅びる事のない愛を
 
2021.1.6