受話器を握る先生の口からは、流暢に異国の言語が流れ出ていた。
かれこれ30分は経とうとするその電話。
どうなんだろう、どうなっているんだろう。
その異国の言語を理解できない少女は、内心、不安で仕方がない。
不安のあまり、毎日楽しみにしているドラマの再放送が、頭に入らないぐらいだ。
鼓動が部屋全体に響き渡り、先生に、うるさいと怒鳴られてしまいそうだ。
あ、と少女は気づいた。
先生が受話器へと言う単語に、少女は聞き覚えがあった。
それは、先生のメールアドレス。
どうやら、仕事の依頼を受けたらしい。
「ピノコ」
受話器を置いて、先生は口早に告げた。「明日、グルジアへ行くから手配を頼む」
「グルジア?」
「カフカス地方だ」先生は言った。「手術は12日。携帯電話は…たぶん使えないだろうな」
「…そえって…民族紛争がたくさんあゆとこ?」
「そうだ。一ヶ月は戻れないと思え」
「……ちょんなの……」少女は言葉をごくんと飲み込んで「…あぶないよのさ…」
「仕方がない。並みの医者では腰を抜かすから、私に依頼が来たんだ」
「…うん…」
哀しそうにうつむく少女の頭を、ぽん、と先生は軽く叩いた。
「仕事だ。遊園地は、また次に行こう」
「…うん…」少女は頷いてから、笑ってみせた。「ちぇんちぇい、ぜったいらよ!」
「ああ」ぽんぽん。先生はもう二度ほど、軽く頭を叩き「しばらく書斎に篭る。取り次ぐな」
「あーい」
笑って少女は、先生を見送った。
書斎で、恐らく先生は送られてくるメールのチェックをするのだろう。
最近はメールでのカルテの内容や病巣画像を添付してくる依頼者が増えた。
まったく、便利な世の中になったものだ。
少女は自分用のモバイルをたちあげて、航空会社のサイトへとアクセスする。
明日の航空券の手配をするためだ。
「一ヶ月…かあ」
少女は小さく呟いた。
10日。少女と先生は、有名テーマパークで一日遊ぶことになっていた。
少女が行きたいと駄々をこねて、先生が珍しくOKを出したのだ。
仕方がない。仕方がないことなのだ。
だけど。
「ちぇんちぇい…わすれてゆんだよね…」
テーマパークで遊ぶことが目的じゃなかったのだ。
その日に、先生と過ごすことが目的だった。
仕事ではなく、プライベートで、一日中。
その日じゃないと意味がなかった。10日じゃないと、ダメだったのに。
「ちごとだもんね」
それでも少女は、なんとか自分を納得させようと、努力する。
二日前、遠い国からの電話