「じゃあ!ピノコねゆかや!おこちゃないでね!」
「……ああ」
 年の瀬。12月の最終日。
 天才外科医の助手は、早々に大掃除も正月料理も作り終えると、パジャマに着替えてそう宣言した。
 時刻は、まだ昼を少し過ぎたばかりの頃だ。
 見た目にして、4,5歳である少女は、幼児に必要な午睡が日課に含まれているわけではない。
 普段は決してしなこの行動は、この”大晦日”という日に関係していた。
 毎年。
 この岬に住まう天才外科医は、新年の始まりを初日の出を見て迎えるのが、毎年のことだった。
 それは、わざわざ見ることもあったし、仕事のために気がついたら…ということもあった。
 だが、たとえ曇天でその陽の光がみえなくとも、彼はその時刻まで待ち、そして仮眠をとるのが慣わしとなっていた。
 決めたわけではないが、なんとなく、気がつくとそんな事をしていた。
 それを知ったのが、助手の少女だ。
 少女は、何度と無く、彼と共に初日の出を見ることに挑戦しているのだが、どうしても日が昇る前に眠りに落ちてしまうのだ。
 そして、今年。
 早々に大掃除も正月料理も作り終えた少女は、宣言したのだった。
「今年はひるねすゆ!そして、来年こちょ、ちぇんちぇいと初日の出をみゆよのさ!」
 2010年、元旦は天候があまりよくないのだと言うが、少女は聞く耳を持たない。
 そして少女は、さっさとパジャマに着替えて、ベッドに入ったというわけだった。
 そして、静寂が室内を満たす。
 いつもなら、テレビの音や、少女の歩き回る足音、笑い声などが聞こえるのに、現在の室内は、とても師走とは思えない静けさだった。
 まあ、静かな方が、集中できる。
 そう判断して、天才外科医は自分の書斎に篭る。
 数人のカルテを書き終え時計を見る。
 …驚くほど、時間は進んでいないことに、驚いた。
 コーヒーでも飲むか。と天才外科医は書斎を出て、台所へと向かう。
 ふと、気づいた。

「ピノコ、おい、ピノコ」
「…なぁに、ちぇんちぇい」
「私のマグカップはどこだ?」
「……水切りカゴにはいってゆ…」
「分かった」

 半眠り状態だった少女は、布団を被ってしまった。
 しばらくすると、寝息が聞こえてくる。
 天才外科医は、軽く溜め息を吐くと、台所へと向かった。
 確かに、言われた通り、彼のマグカップが水切り篭の中に伏せて置かれている。
 普段はどんなマグカップでも気にはしないのだが、だが。
 インスタントコーヒーを自分で淹れ、彼は一口啜る。
 ブラックのそれは、苦味を舌先に残し、天才外科医は僅かに顔を顰めた。
 いつもは、こんなに苦くはないと思ったが。
 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

「ピノコ、おい、ピノコ」
「…なぁに…ちぇんちぇい」
「ハンコは何処だ」
「……戸棚の二番目のひきらし…」
「分かった」

 少し顔を歪めて、少女は布団を被る。
 天才外科医は、軽く溜め息を吐くと、リビングに向かった。
「すみませんね、サインでも良かったんですが」
 愛想笑いをする宅配便の男から伝票を引っ手繰り、天才外科医は判を押す。
「ありがとうございました」
 男が去ってから、天才外科医は受け取った荷物の中身を改めた。
 小ぶりのダンボールの中身は、少女がおとり寄せをした、スィーツの詰め合わせだった。
「…また、こんなものを…」
 小さく呟きながら、天才外科医はその箱の注意書きを見て、少しだけ思案した。
”今日中にお召し上がりください”
 
「ピノコ、おい、ピノコ」
「…なぁに…ちぇんちぇい」
「お前が頼んだ、KY堂のフルーツ盛りだくさんクリームロールケーキが届いたぞ」
「……れいぞうこにいえて…」
「だが、今日中に食べないとダメらしい」
「………もう!」

 数分後。
 食卓のテーブルに向かいあって座る、少女と天才外科医の姿があった。
 彼らの手元には、例の限定20個のKY堂のフルーツ盛りだくさんクリームロールケーキ。
「おいちい!」
 頬張りながら、少女は喜ぶが、すぐに顔を顰める。「ちぇんちぇいが何回も起こすから、ねむえなかった!」
「仕方が無いだろう」
 天才外科医は、ケーキを食べ、そして少女が淹れたコーヒーを飲む。
 それは、いつものブラックコーヒーの味だ。
「…ちぇんちぇい、こうなったや、二年参りにいきたい」
「…寒いぞ」
「つえて行ってくえなかったら、”ちぇんちぇいがねむらせてくえなかった”って言う」
「…たまには、いいだろう」
「やったあッ!!」

 そんな訳で、天才外科医とその助手が二年参りに出かけたというのは、また別のお話。





静か過ぎる 大晦日