混ぜるな危険

 そう、そういえばそんなことがあった。
 以前、私の不注意からコレラ菌に感染した疑いがあり、自分自身を隔離した。
 その間に、診療所に患者が来てしまい、ピノコが大奮闘したのだ。
 そう、その時に、だ。
「ちぇんちぇい〜!大発見!」
「…なんだ」
 先ほどまで盛大に落ち込んでいた少女は、数分後である今、満面の笑みであらわれた。
「あのね」少女は、エプロンのポケットから、それを取り出して「こえ、こえで鼻を摘めば。OKなのよさ!」
「……あのな…」
少女が取り出したのは、本来であれば、洗濯物が風に飛ばされたり、地面に落ちてしまわないように止めておく、洗濯バサミであった。
「ちょっといたいけろ、ばっちOKなのよさ!」
「ピノコ」私は、手にしていた本をパタンと閉じた。「事は”匂い”だけの問題じゃない…って、さっき説明しただろ」
「れも…」少女は、またも顔を歪ませて「イイモノばっかりいえてあゆ…」
「それでも、組み合わせによっては、毒にもなるだろ」
あの時、お前が作った薬のように。
「うん…」
ピノコは哀しそうに、うつむいた。その姿にさすがに心が動いてしまうが、ここは鬼にして。
「キリコを見ろ。あれで一応優秀な医者のクセに、毒薬をもたせら、安楽死をはじめる」
「例えがよくわからないよのさ」
 小さく笑った小さな存在に、心の中は盛大に安堵していて、自分で苦笑する。
「今度は、アロマオイルを混ぜすぎないようにすゆ」
「ああ、そうしてくれ」
「うん!」
 少女は納得したのか、パタパタとお風呂場へ戻っていく。
 色んな、色んなアロマオイルを混ぜすぎて、ものすごい匂いになったお風呂場。
 アロマオイルは、ただの臭いつきオイルではない。
 一説では、オイルの匂いは脳にダイレクトに伝わり、その刺激が脳下垂体へ伝達され、ホルモンバランスの分泌を促したり、
自律神経を整えたりする効果も期待できるそうだ。
 匂いによって効果が違うとあれば、少女が張り切るのはよくわかる。
 リラックス、安眠、リフレッシュ、肩こり、疲労回復…。
 気がつけば、20以上のオイルを投入していたのだという。
 だがそれは
「ちぇんちぇい--おふよ、新しくいれなおした--いちょにはいろ-」
「わかったよ」
 それは、少女の温かな思いの塊…。


「ん?今…ピノコ、何か言ってなかったか?」








不意に訪れる危険

「ちぇんちぇい、”きちゅ”って英語で何ていうの?」
「はあ?」
 助手の少女の科白に、天才外科医は作業の手を止めて、少女に向きなおる。
「ねえ、”きちゅ”って英語でなんていうの?」
 こちらを見上げる少女の手には、英会話の小学生用の教材が。
 少女は、最近、英会話の勉強をはじめた。なんでも、一緒に出張へ行った時に、一人でショッピングをしたいそうだ。
「らって、ちぇんちぇいとちたら、あれはダメ、これはダメっていうから…」
動機はともかく、勉強をするのはイイコトだ。
イイコトなのだが…。
「なんで”キス”なんだ」
「らって」少女は、ニッコリの笑って「興味あゆ単語からおぼえればいいって言ってたかや」
「誰が」
「ロクターが!」
「………ピノコ」天才外科医は、静かに尋ねる。「まさか、今の質問、キリコにもしたのか」
「うん!」少女は答える。「だけど、”そえはちぇんちぇいに聞きな”って。ちぇっかく、ちぇんちぇいを驚かそうとちたのに」
「………。」
あの死神。BJは僅かに苛立った。
笑いを堪える忌々しい姿が目に浮かぶ…今度あったら、出会い頭にメスをお見舞いしてやろう。
「キスは英語だ」
天才外科医は、少女を膝にのせて、パソコンの画面を指差しながら、キーボードをたたく。
「スペルはk、i、s、s。ほとんど日本語のようだが、れっきとした英単語だ」
「じゃあ、日本語できちゅはなんていうの?」
「…接吻とか、口付け…かな?」
「接吻?」少女は目をまるくして「なんだか”雪隠(注、トイレ)”みたいなのよさ」
「…お前、変なことは知っているんだな…」
「じゃあ、ちぇんちぇい」
少女は膝の上で天才外科医を見上げながら「口付け、ちてあげゆ」
「……今は仕事中だから、別にいい」
さっさと少女を膝から降ろすと、天才外科医は再び机に向かう。
「ちぇんちぇい、あいがと!おひゆごはん、用意すゆね」
「ああ」
 ぱたん。ドアが閉まると同時に、天才外科医は肩の力を抜いた。
 いつの間にか、随分と凝っている。
 キスと口付け。
 同じ意味の単語なのだが、語感のせいなのか、随分、違ったもののように思えてくる。
 特に、少女が”口付け”などという言葉を使うと…。
「それもこれも、キリコのせいだな」
 今度あったら、メスをお見舞いしてから、殴ってやろう。
 天才外科医は、心に決めたのだった。

(おわゆ)