朝、部屋のドアを開けると、中はもぬけの空だった。
 点滴は抜かれ、室内にあったクローゼットを物色した形跡がある。
 庭へ出ると、ガレージに停めてあったハーレーがなくなっていた。

 何かが、死神の化身の中でぶち切れた。


 昨夜遅くに携帯電話にかかってきた、非通知の着信。
 非通知のそれは、何も語らず無言のまま。
 それでも、それが誰なのか、死神は気づいていた。
 相手は岬に住まう、天才外科医。
 何があったのかは知らないが、奴は腹に風穴を開けてぶっ倒れていた。
 放っておけば、確実に失血死していたであろうが、奴は手にしていた携帯電話で
救急車を呼ぶわけでもなく、彼の助手に連絡するわけでもなく、死神を呼んだ。
 何も聞かず、何も触れずに、すぐに来ると確信していてか。
 忌々しい。
 重症の奴を自宅に連れ込み、いつものように手当てをする。
 怪我をした奴がここに来るのは、そう珍しいことではない。
 ちょっとした怪我…いや、大層な怪我でも、奴は自分で処置をする。
 ここへ来るのは、緊急事態の時。
 自分の助手に心配をかけさせないために。

「…俺の携帯はドコだ?…」

 目が覚めた奴が開口一番言った言葉がそれだ。
 さあな、落としたままかな。
 そう答えた10分後に、もぬけの空だ。
 無断拝借が、車ではなくハーレーだというところが気に食わない。
 仕方なく、死神は車の鍵を手にした。


******


 グリップを握る手に力が入らない。何度か意識が飛びかける。
 だが、なんとか現場に着くことができた。
 死神の馬鹿でかい二輪を停めて、あたりを見回す。
 すでに明るくなったそこは、ただ、ありふれた歩道だった。
 ここでドラマ顔負けの銃撃があったとは、とても思えない。
 色あせたアスファルトには、濃い色の血の跡が、大きく広がっている。
 ずきん。腹部が鈍く痛んだ。
 草と小石に紛れるように、黒い見慣れた端末が眼に入った。
 注意深くそれを拾う。
 ところどころ傷がついている。が、壊れた様子はなさそうだ。
 電源を入れると、液晶が明るくなり、天才外科医は安堵の息を吐く。

「おい、バイク泥棒」

背後の声に、天才外科医はぎくりと振り返る。
「早かったな」
見つからないわけがない。とは思っていたが、予想よりも早い死神のお出ましに、少し驚く。
「お前」死神は言った。「携帯と健康体、どっちが大事だ」
「比べられるか」
「危険を冒してまで取りにくるものかよ」
「と、うぜんだろ」と、天才外科医。「これが俺の携帯だとばれて見ろ!女性週刊誌に『スクープ!
これが、あの悪徳無免許医の交遊録!』なんて特集が組まれるだろ!」
「まあ、ありえるな」
「だから取りに来るのは、当然だ!」
言い切った時だった。
『ぷっぷぷぷ〜ちぇんちぇい〜でんわらよ!』
突如、この場にいないはずの少女の声が明るく響く。
『ぷっぷぷぷ〜ちぇんちぇい〜ピノコからでんわらよ〜はやくでないと、おちおきらよ!』
「……。」
「……。」
 少女の声を発するのは、天才外科医の持つ携帯電話からだった。
「…早く、でたら」
呆れ顔の死神に背を向け、天才外科医は電話に出た。「ピノコか?俺だ…いや、そうじゃない…」
『スクープ!これが、悪徳無免許医の携帯電話!ロリコン疑惑?着信音は少女の声!』
そんな週刊誌の見出しが、死神の脳裏によぎったという。



 
着信音


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