「…分かったんだ…ただの憧れじゃなかったって…!」 縋りつくように、しがみ付くように、彼は体躯に回す腕に力を込める。 俯いた頭から、表情は覗えない。 ただ、彼の白と黒の二色に分かれた長めの髪が、ふわふわと揺れている。 唐突に、妻の言葉を思い出した。 『私と影三クン以外の人間に好意をもったら、命はないわよ』 ………そうでした。 この場合、影三クンの息子は含まれないだろうか? 含まれないだろうな。 そんなことを、半ばパニックになった頭の中で、エドワードは考える。 『安らかに逝けると思ったら、大間違いよ』 そんな亡き妻の声が聞こえたような気がして、途方に暮れた。大好きな、おじさん 彼は、ぐったりと意識を失ったままだった。 衣服を身に着けると、彼の診療所へと出向き、採血に必要な器具を失敬してくる。 どれも、よく手入れされているそれらは、彼の性格を現しているようだった。父親に似ず、几帳面だと思う。 駆血帯を上腕に巻き、肘正中皮静脈を確認した後に酒精綿で消毒をする。 それでも、目を覚まさない彼の静脈に、真空採血管用ホルダーを接続した針を刺入した。 「……う……」 彼は僅かに身じろいだが、それでも意識が覚醒する気配はなかった。 刺入針が動かないようにように固定すると、赤い血液が、ゆっくりと容器を満たしていく。 簡易検査とはいえ、厄介なことに、ある程度の量の血液が必要だった。 それでも、彼は起きる気配はない。 それだけ酷い仕打ちをしてしまった。 眠る彼の表情は、安らかなものではない。改めてみれば、やはり彼は父親に似ていると思う。 ただそれよりも目を惹くのは、顔面を斜めに横切る手術痕と、色の違う移植された皮膚。 そうやって、君は生きてきたのか。 針を抜き、テープを張り、衣服を整える。 そして、やっと、気づいた。 上腕後側下1/3。 教科書通りの部位に、真新しい注射痕があった。 それも、1時間内に接種したかのような痕。 まさか。 「お前の思った通りだよ」 背後から、タイミングを計ったかのように響く声。 冷や水を浴びせられたかのように、ジョルジュは全身が強張った。 そう、総ては、あの男の手の内であったということか。 確信すると、ジョルジュは思考を切り替える。 冷静に、客観的に、硝子越しの人体実験を観察するかのような、冷酷な眼で。 「覗きとは、いい趣味で」 抑揚のない低い声。ジョルジュがそんな声をだす相手は、全満徳以外に存在しない。 だがそんな事は意に介さず、むしろ楽しげな調子で満徳は返した。 「お前ほどではない」と。「息子の恋人を寝取るとは、な。どうだった?影三とどちらがいい …いや、影三に向けることのできない欲を、黒男に向けたのだからな…念願が叶ったというわけか」 「黙れ」 「それとも嫉妬したか?自分の息子に。何度も助けを求めていたものなあ…ああ、お前の醜い性欲の犠牲になったのか」 「ブラック・ジャックに何を投与した」 奴の言葉にのまれないように、冷静に言葉を紡ぐ。 もしも例の薬物であったなら、影三の必死の攻防は敗れ去ったことになる。 「大老(ターラオ)」 満徳のボディガードの一人、金(キム)が満徳へ何やら耳打ちをした。 その内容を受けてか、満徳は実に愉快そうに笑みを浮かべてみせる。 「連れて来い」 短く命令すると、金は「分かりました」と述べて部屋から出て行った。 「ジョルジュ」満徳は言った。「頃合か。客も揃い始めたようだよ」 言葉を受けるかのように、廊下が俄かに騒がしくなってきた。 小さな女の子の声が響く。 まさか。 「(はなちて!あんたたち、だれなのよさっ!)」 「その子を手荒に扱うな。命が惜しければな」 両手を頭に載せて、彼らは現れた。 煎れ立ての紅茶のような、綺麗な髪の幼い少女と、もう一人。 「…キリコ…」 息子の名前を、ジョルジュは呼ぶ。それは実に最悪な場面での、再会。 実に数年ぶりの再会だった。 短かった頭髪は伸び、色は透けるような美しい白銀。 記憶よりも、精悍になったその顔つきは、息子の噂を裏付けるような、厳しさが。 「(あえ?)」少女が小首を傾げて、死神を見上げる「(…あの人…だえ?)」 「(…俺の親父)」息子は、少女の話す言葉で答える。「(どうやら、大分、面倒な事に巻き込まれたみたいだな)」 「(ちぇんちぇいは?)」 不安そうな顔をする少女に、胸が痛んだ。 恐らく、あれが天才外科医が養護するという噂の少女。 濃い目の紅茶のような髪色、大地のような瞳の色。 笑えば愛らしいであろう少女は、不安と心配に表情を歪めている。 少女の話す日本語は、ジョルジュには分からなかった。 だが、恐らく心配しているのは、自分を養護する彼のこと。 「さあ親子の対面だな、ジョルジュ」 白人のボディーガードが銃口をジョルジュに向けた。 両手を頭にやり、ジョルジュは促されるままに、息子のとなりへとくる形になる。 「最悪だな」キリコは呟く。「あんたが何をしようと、俺には関係ない。…だが、勝手に巻き込んだとなれば、話は別だ」 「…すまない…」 「ブラック・ジャックに何をした」 抑揚のない息子の声。だが、その冷たい声色に含まれる僅かな色は、怒りだ。 当然だ。分かっている。 「すまない…キリコ…」そう、答えるしかなかった。「お前達を巻き込みたくはなかった…」 「答えになっていないな」 「(ロクターのお父さん…)」少女が見上げながら尋ねてくる。「(ちぇんちぇいは…大丈夫らよね?)」 大きな大地の色の瞳は潤み、今にも零れ落ちそう。 それでも、きゅっと口を結びながら、毅然と見上げている。 「…命に、別状は、ない」ゆっくりと、ジョルジュは少女に話し掛ける。「君の、大事な先生は、無事だよ」 「ほんとう?ちぇんちぇいは、大丈夫?」 僅かな単語を推測してか、少女は口を開いた。 「だいじょうぶだよ、命はね」 「…どういう意味だ…」息子がこちらを見ずに、尋ねた。「まさか、自分の研究開発した薬物かウィルスの実験体に したんじゃないだろうな」 口を開くたびに、息子の声は低くなっていった。感情を押さえる為にだろうか。 「違う…いや…研究者は、私じゃない」 息子の言葉は、少女に悟られないようにか、フランス語だった。 慎重に言葉を選びながら、ジョルジュは答える。「彼は…洗脳薬を投与される危険があった…だから、ある人物が私の体内で その薬による抗体免疫を作った…話せば複雑だが、洗脳薬にはウィルスが介在する」 「実験体か」 「違う!」ジョルジュは息子を見た。必至に訴えるように「かげ…彼は、黒男クンを助けたかった…巻き込みたくなくて、 こんな手段をとらざるおえなかったんだ。実験体とか、そんなものではなくて…彼は、彼はただ………巻き込みたくなかったんだ」 それでも、キリコの表情は変わらない。 当然だ。信用する要素が、今のジョルジュにはない。信じろという方が無理な話だ。 だが、ただ、彼は自分の息子をそんな風に利用する筈がない。それだけは、知ってほしかった。 「お前が、死神の化身ね…」 いやらしい笑みを深めながら、満徳はキリコへと近づいた。「フン…父親よりも、随分と精悍だな…ああ、お前は元々は軍医だったな …殺しても正当化される場所で医者か。滑稽だ」 「そうだな」 静かに、キリコは答える。 その言葉に、満徳は益々笑いを深めて近寄った。「死神か…見殺しにするのが得意なのか?それとも、 同胞の身体を死姦するのが好きな軍医もいたな…」 「黙れっ!」 遮るように叫んだのは、ジョルジュだった。 怒声のまま険しい眼光で、満徳を睨みつける。「それ以上の侮辱は、私が許さない…!」 「烈しいな、エドワード」それでも、満徳は優位に立ったまま。「まるで父親のようだぞ」 「…貴様が、貴様がいなければ、こんなことには…!」 「仕方がないことを、悔やむな」 まるで他人事のような物言いに、少女は死神のズボンを握る。 それは、それは、恐怖からではなくで、少女の価値観からくる、嫌悪感。 「さて。そろそろ緞帳を揚げて、開幕しようじゃないか」 両手を広げて、満徳は恍惚に告げる。まるで、スポットライトでも浴びているかのように。 「役者をそろえよう。この色のない世界に彩りをそえる、大スターを、な」 「な、に…まさか…」 満徳の言葉にジョルジュは戦慄する。「まさか…貴様…!」 「入れ、影三」 当たり前のように、満徳はその名を呼んだ。 音もなく、呼ばれた男が部屋へと入る。 「え…」少女が息をのんだ。「…だえ…?…ちぇんちぇい…?」 「いや」キリコも、音もなく息を呑む。「だが、まさか…そんな筈は…」 少女と死神は、その男を凝視する。 黒い髪、肌色、黒いスーツを着るその男は、彼らのよく知る天才外科医によく似ていた。 そう、違いと言えば、その顔に顔面を斜に横切る縫合痕はなく、瞳の色も紅ではなく、鳶色。 「…影三…!」 その名前を呼んだのは、ジョルジュだった。 影三は、眼をふせると「すみません」と言葉を落とす。「…ここまで実行してくれたのに…手遅れでした …すみません…ドクタージョルジュ…」 そして、彼は死神の方を向き「巻き込む気はなかった…すまない…ドクターキリコ」 「だえ?」少女は死神を見上げながら「ロクター…ちってる人?」 「ああ…でも、まさか…」 若すぎる。死神はその男の正体に確信はあった。だが、どうしても信じられない。 そう、第一、若すぎる。 「ブラックジャックの父親だよ、その男は」 少女の疑問を、満徳が答えた。「不老は現代医学では、大分進んだ分野だ。だが、不死は未だ夢物語にすぎない。 まして、不老と不死の組み合わせは、夢のまた夢だ……影三は、大分、不老に近いが、何れ死ぬ……代わりが必要だろう、身代わりがな」 「…まさか…それが黒男クンだと言うのかッ!」 「エドワード…」 声を荒げるジョルジュの肩を、影三が掴む。「…もう、手遅れなんです…例の試薬は…黒男に投与された…」 「君は、それを阻止したかったのだろう?」 「当然です…!」肩を掴む手が震える。「俺は、俺は…この瞬間を阻止する為だけに生きてきた…それが …最悪な形で黒男を巻き込んでしまった…俺は…最低の人間です…!」 震える手は、絶望と無力感しか掴んではいないだろう。 なんて、残酷な筋書きだ。 この瞬間を、それを阻止するというその使命感だけが、彼の生きる理由であったのに。 「起きなさい、黒男」 吐き気がするほど、甘い声で満徳がBJを揺り起こす。「目覚めの時間だ。さあ、起きるんだ」 「待て!満徳!」 止める声も空しく、BJがゆっくりと起き上がる。 それは、まるで魔女の呪いから眠らされた姫が、100年経ち、眠りから覚めたかのように。 ぼぉ…と呆けたような表情で、BJは二回ほど頭を振った。 その肩に優しく手を置き、やはり甘い声で満徳は告げる。 「黒男…お前は私のものだ…お前は私に飼われる…」 「…違う」 頭を抱え、BJはもう一度、小さく頭をふった。 「何をいう」満徳は諭すように「お前は私に飼われるんだ…」 「違う!」 「黒男?」 「違う!違う!!」 「ブラックジャック!?」 「違うんだ!!」 「ちぇんちぇい!何が違うの?」 「おじさん違う!…影三じゃなくて俺を!俺は、俺は!」 「…黒男君…」 「エドワードおじさんが、好きだ」 ごーん。 遠くで、山のお寺の鐘が鳴った。 それが合図かのように、静寂は破裂するように弾けとんだ。 「親父ッ!」 「エドッ!」 「「どういう事かな?」」 同時に息子と自分が惚れておる人物に詰め寄られ、ジョルジュは冷や汗をかきながら「わ、私にも分からない!」 「分からねぇで済むかっ!」 「エドワード!あんた、まさか黒男とそんな関係だったのかっ!?」 「違うッ!誤解だ!(?)」 「誤解じゃない!」突然、BJがジョルジュにするりと抱きついた。「…分かったんだ…ただの憧れじゃなかったって ……おじさん、俺を見て、俺は父さんじゃない…!」 「ブラック・ジャック!」 「キリコ、すまない」BJは言った。「お前との関係は…もしかしたら、お前の中におじさんを見ていたのかもしれない。 それに…やっぱり巧い方がいい…」 巧い方がいい…。その留めの一撃に、憐れ死神は撃沈した。 「ちぇんちぇい、ひどいわのよさ!ロクターはちぇんちぇいのこと、いつも心配してゆのに!」 「ピノコ」BJは済まなそうに、少女の頭を撫でて「私は、お前への思いは変わらない。 だが、おじさんへの気持ちも気づいてしまったんだ。分かってくれ」 「あ〜ん、ちぇんちぇい、ひどちゅぎるのよさあ〜!」 「黒男ッ!」とうとう影三まで参戦する。「ピノコちゃんは、お前の奥さんだろ!それをなんて事を言うんだ!」 「自分の正直な気持ちを伝えたまでだ!だいたい、あんたに今更、父親面をされたくないね!」 「人としての問題だろう!ピノコちゃんを泣かせるなんて、自分の妻を大切に出来ない人間が、他の人を愛する資格はない!」 「あんたはどうなんだ!愛人を作ってでていったのは、そっちだろ!」 「それは、やむおえない理由があったからだ!心変わりとかそんなものではない!」 「そんな言葉、信用できるか!」 「私が生涯愛し続けているのは、みおだけだっ!妻を持ってから、ほいほい乗り換えるなんて真似はしない!」 「うるさい!20年も音沙汰なかった人間に、指図されるか!」 「黒男クン…影三…落ち着いて…」 恐る恐る、ジョルジュは仲裁を試みるが、20ねんぶりの親子喧嘩はヒートアップするばかり。 「お前がそんな態度をとるのなら、ピノコちゃんは私が面倒をみる!」 「なんでだ!勝手なマネをするな!」 「自分の妻を蔑ろにするお前に、ピノコちゃんが可哀想だろっ!」 「ピノコが愛しているのは、私だ!あんたが引取るいわれはないッ!」 「…ちぇんちぇい…ちぇんちぇいのおとうさん…おちついて…」 「ピノコ!ピノコは俺とおじさんと3人でも、暮らせるよなッ!」 「ピノコちゃん!黒男が反省するまで、私といよう!」 「あんた、満徳の監視下にいるだろう!ピノコの発達教育上に極悪な環境だ!」 「だったら、お前がエドワードを切れ!」 「切る必要なんかあるか!ピノコは俺とおじさんと三人で暮らすんだ!」 「じゃあ、きいちゃんはどうなる!」 「仕方がないだろ!あんたがキリコと住めばいいだろう!」 「そんなの歓ぶのは、ここの管理人だけだ!」(爆) キリコとエドワード。二人の意思を完全に無視して、BJと黒男の言い合いは続く。 「とにかく!おじさんは俺のものだ!」 ぐい!っとジョルジュは腕をひかれるが、片方の手は影三が握ったまま。「エドワードが惚れているのは、俺ですよね!」 「ああ、私は…」 「おじさん!」 「エドワードッ!」 両腕を脱臼するが如くに引っ張られながら、ジョルジュは途方に暮れる。 これを両手に花とでも言うのだろうか? そんな的外れな事を、朦朧とする意識の中、考えていた。 ■■■ 気がつくと、静寂だった。 月明かりが、薄く窓枠の形を影にうつして、差し込んでいる。 辺りは、妙に静かだった。 「…夢…?」 ジョルジュは小さく、呟いてみた。 口にしてみると、それは現実感を伴って、理解するに至る。 恐らく、夢を見たのだ。 「…疲れた」 夢と自覚した途端、ジョルジュは脱力した。 なんて夢をみたのだ。 黒男クンと影三が、私を取り合うなんて…。 「…キリコに悪いな…」 ぼんやりと呟いてから、ジョルジュはもう一度眼を瞑る。 今度こそ。 今度こそ、いい夢を見られますように。 (おわる) ※9609打リク『嵐の黒男争奪戦』黒男争奪戦じゃなくて、ピノコちゃん争奪戦in間親子に成り果てました…なんでだ。 相変わらず、キリコが可哀想です(哀)なんでウチのキリコはこうなんでしょう! やっぱり、黒男と影三は仲が悪い…という話でした。 リクエスト、ありがとうございました! え?満徳?…先に家に帰りました(そんな馬鹿な)