R-18※作中の行為はあくまで二次創作上のものです。
それらの行為を助長する等の目的は一切ございませんので、ご理解の程、よろしくお願いします。



(15話)




「そいつは、登録も抹消されていた。最初からいないことになっている」
 薄暗く埃っぽいが、そこそこ客の入っているバーだった。
 カウンターの真ん中に陣取る客は、非常識にも犯罪行為スレスレの話題を話しつづけた。
「パソコンってのは、便利だな。データーベースを消しちまえば、痕跡も残らない。」
グラスを煽る老人はニヤリと笑いながら、言葉を続ける「だがな、なかには、不精な事務員がいて、助かる。
捨てるのを後回しにする性格だ」
 老人の横に座る男は、無言で折りたたんだ紙幣を差し出した。
 それをちらりと確認すると、老人はくしゃくしゃに丸めた紙をよこす。
 男は、やはり無言でそれを開いた。
 それは、履歴書だった。
 コピーのようで、写真の部分は黒く人相すら分からないが、名前や出身国、専門技術等が事細かに記され、そして、
その上に、赤字で「破棄」とデカデカと書かれている。
 そう、これは本来なら破棄されるはずだったもの。
 間 影三
 この履歴書に書かれた名だ。
「間違いないですかね」
「…ああ」
 死神は答える。
 名前、出身国から日本人であることは、間違いない。生年月日から父と年齢が近いことも分かる。
 専門は循環器。
 それだけをみれば、ただの履歴書だ。有触れたそれからは、何も見出せない。
 だが、この男は嘗て、天才と呼ばれていたのだという。
「…これは、なんだ」
 男は、「破棄」と書かれた赤字の下に書かれた走り書きを指差した。
 老人は「へえ」と笑って「さすがは、ドクターキリコ。そこに気づきましたか」
「”Noir”?」
「Noir project」老人は言った。「文字通りの"黒い計画"。表立ってはないことになってますが、ね」
 老人はニヤリと笑う。
 男は、折りたたんだ紙幣を、老人の手に滑らせた。





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 深夜と言われる時間帯を過ぎた頃だった。
 ジョルジュは、いつもベッドかわりに使用しているソファーに座り、ジッとしていた。
 手には、ノートの切れ端のような紙切れ。
 そこには、走り書きのようなフラクトゥーアで、ある一文が。


”Zu Ihnen heute abend”


 今夜あなたに。
 まるでデートのような一文。それは、床に落ちていたのだ。まるでゴミのように。
 このフラクトゥーアに見覚えがあった。これは、彼の字だった。
 ゴミのように落ちていたそれを、ジョルジュは拾い上げて、現在待ちつづけている。
 …この今夜が、今日とも限らないのに。
 でも、それでも。
 固く眼を閉じたまま、ジョルジュは深く溜め息をついた。
 悪い夢が、悪夢がまだ終ってはいない、そんな気分だった。
 この20年。ジョルジュにとって気の休まる時間は、一刻たりともなかった。
 捕らわれている彼を案じ、そして彼を守るために。
 当然、死を選びたがる彼を、この辛辣な現実に繋ぎ止めたのは、他ならぬ自分だ。
 彼を失うのが怖くて。
 彼のいない世界など、いたくなくて。
 所詮エゴだ。彼はこの20年間、どれだけ死にたかったか。
 でも君は、死ぬことを諦めた時から、自分の存在意義を自分以外に見出した。
 彼は、自分のために生きることができなくなっていた。
 追い込んでしまったのだ。彼を、生きるという苦痛の現実に。
 でも、それでも。
 せめて君の未来が、希望のもてるものであるならば、君も生きてきた意義を見出せるのに。
 どうして、いつも、君だけが。

 こん、こん、こん。

 控えめなノックに、身体が震えた。
 ジョルジュは、ゆっくりと、ドアを開ける。



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 空き部屋の多いビルディング。その吹きっ晒しの屋上に人影が二つあった。
 建物の壁ギリギリ、転落防止の為に一段高くなっているコンクリートまで来ると、人影はそこから見下ろした。
「おーお、よく見える」
 眼下数メートル先にそびえる立派なビルは、米国医師会専用の高級ホテルだった。
 そこは事務局や会議室、資料室など、立派な施設が詰め込まれている。
 そして階が上にあがるほど窓は大きくなり、最上階のそれは壁一面と言っていいほどの大きさだった。
 そこは居室。高級ホテルとなっている。
 明るい室内は、紗幕がひかれて、明確には分からない。だが、複数の人物がいるのだけは視認できる。
「目当ての人間は、いるかな、死神の化身さんよ」
 ガイド役の男は背後の人間を呼んだ。
 闇目にも鮮やかに浮かぶ、白銀の長髪。
 死神は無言で男の横にくると、身を屈めて暗殺用の暗視スコープを覗き込む。
 視線の先。その高級ホテルにいるのは、米国医師会の人間の筈だ。
 そして、医師会の人間がわざわざ高級ホテルに来る理由とは。
 米国医師会と軍隊を繋ぐ組織の人間が、いるという情報だった。
 先進国では、先の大戦の際に軍と医師会が密接な関係となり、それを引きずっていることが多い。
 それは合衆国も例外ではない。
 だが、合衆国は少々事情が違うのだという。
 それが、ノワール・プロジェクトだったという話だ。
 人間の肉体強化、人造人間等の開発など様々な憶測が飛び交ってはいたが、その詳細はまったくの不明。
 数年後に解散したらしいのだが、その時の統率者が地下に潜り、様々な国と癒着しているという。
 一説では、世界で蔓延している合成ドラッグ、新LSDを開発したのも、この組織なのだという。
 合衆国の秘密裏の計画が、裏組織となり各国と癒着している。それだけでも、とてつもないスクープだ。
 だが、そんな一大スクープなど、興味は無い。
「…いたな」
 ガイド役の男は、スコープを覗き込みながら、言った。
 視界に入ってきたのは、小太りの男と長身の白人。
「白人は、アメリカ医師会会長のジム・デルフィニア。太った東洋人がチェン・メンダァ。
あとは、ボディガードのキム・シンガンとマイク・ラドクリス」
「ボディーガード?」
「相当、やばい事をやっているんだろうな」
 ジムとチェンは何やら談笑していた。どうせろくでもないことだろう。
 ふと、一人の男が動いた。ボディーガードでもない、スーツの男。黒髪に色のついた肌、東洋人か。
 男はチェンよりも窓際に立った。まるで、このスコープの視界からチェンを守るかのように、たちはだかり、
顔をあげて、こちらを見る。
「な…」
 スコープ越しに目があったような気がした。それは、数メートル先のこちらの位置を正確に把握しての行動にさえみえる。
 二人は慌ててスコープから目を離して、身を隠した。
「凄腕だな」ガイド役の男は、大きく息をついて「まさか、この距離で見つかるとはなあ。驚きだ」
「…あの男の名は…」
「え」
死神の意外な言葉に、ガイド役の男はしばし考えて「…たぶん、チェンの側近とか言われている男だろう。
そうだとしたら、確か名前はジェン・インサン」
「そうか…」
 中国人か。死神は僅かに安堵する。
 驚いたのだ。一瞬であったが、その顔は、あの天才外科医に。
 勿論、髪の毛は黒髪で、顔に縫合痕などない。
 だが本当によく似ていた。あの天才外科医の弟だと言われたら、恐らく納得してしまうほど。
「よく、わかった」死神はスコープをしまいながら、告げる。「時間がない。すぐに潜る」
「今から?」
 驚いたように男は声をあげた。「…せっかちだな、死神さんは」
「時間もない」
「OK」男は言った。「それ込みの料金だ。任せろ」





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 慎重にドアを開けると、そこには彼が立っていた。
「…影…三?」
 ゆっくりと声をかけると、彼はパッと表情を綻ばせ、素早くドアの内側へと体を滑らせて後ろ手でドアを閉めた。
「エド!」きゅっと両手を握って、彼は口を開いた。「会いたかった!本当に、よかった!」
「影三?」
 はしゃぐ様に言う彼に違和感を覚える。
 彼の物言いは、酷い舌たらずで、幼い子どものような言い方だった。
 それを感じ取ったのか、彼は少し目を伏せて、やはり子どものような物言いで、言葉を紡ぐ。
「…自己暗示をかけたんです。エドにあえますようにって…子どもぐらいの精神年齢にしておけば、言い訳ができるから…」
「自己暗示だって?」
「うん」彼は言った。「一日に数分ぐらい、正気に戻ることが増えたんです。だから、その時に鏡を見て、暗示をかけたんです」
最初の暗示は”正気に戻った時に鏡を見る”こと。それを何度か繰り返すうちに、鏡を見ることが増え、より複雑な暗示をかけられるようになったのだという。それは、全満徳が外泊の時に、例のメモを書き、それを落とすこと、そして、ジョルジュの部屋を訪ねること。
精神年齢を落としたのは、万が一見つかっても、クリアーのせいに出来るかもしれないという、すべてが計算づくのことらしい。
これは、罠だろうか。
総てができすぎているような、気がする。
第一、そんなふうに自己暗示をかけることなど、できるのだろうか。
「信じられませんよね」彼は淋しそうに笑ってそれでも、笑っていて「でも、これだけは言いたくて来たんです。エド」
ぽつり。
笑う彼の鳶色の瞳から、涙が零れる。
「ごめんなさい」彼は言った。笑顔のまま「俺は、エドに辛いことばかり頼んで…本当に、ごめんなさい」
「…影三…」
「もう、充分だから、だから、去ってください」
顔を伏せて、告げた。握る手が微かに震えている。「逃げてください。あの時、俺を逃がしてくれたように、今度はエドが逃げて。
ごめんなさい…こんなにも巻き込みたくなかった…ごめんなさい…」
「もういい、影三、もういいから!」
 思わずジョルジュは彼を抱きしめた。力をこめて、逃さないように。
「…もう、いい…」掠れた声。ジョルジュは囁く。「謝らないでくれ。私は、君の傍にいたいんだ…君の傍にいられるのなら、何 
でも耐えられる。大丈夫…私は、大丈夫だから」
「嘘だ」
 彼はその手で、ジョルジュの頬に触れた。
 ひやりと冷たい、彼の手。
「眠っていないでしょう?」心配そうに、彼は言う。「エド…このままじゃ倒れそうですよ…」
「何言ってるんだ」
くしゃりと、ジョルジュは彼の髪を撫でた。
そんなことは、君が言うことじゃない。
君が、君の方が、酷い状態だというのに…。







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 民間の警備システムの他に、軍施設で使用されるような殺傷能力のある装備。
 ただの医師会の資料室にしては、物々しい警備だった。
 ガイドの男は、多少手間取りはしたが、警備システムを鮮やかに無効にさせる。
 あの老人が推すだけあって、確かに腕はいい。
 死神はぐるりと書棚を見回した。様々な症例が整然と並べられている。
 だが、目的は、それではない。
 素早く、隅々まで死神は書棚に目を通す。
 その間にガイドの男は、奥にある独立機のPCを起動させて、中身を洗い出していた。
「発見!」
「…はやいな」
「商売ですから」
 ノワール・プロジェクト。アナグラム表記であったが、ガイドの男はすぐに洗い出してみせた。
 大した腕だ。
 DVDに何枚か焼くことに成功する。
 ふと、パソコンのキーを叩く男の手をみながら、死神は気づいた。
「…お前は、漢字を知っているか?」
「漢字?」男は手を止めて「中国のアルファベット?ものすごい数なんだろう?じいさんなら知っているかもしれないけど、俺は無理」
「そうか」
 その時だった。
 微かに金属の擦れたような音がした。二人に一気に緊張が走る。恐らくそれは、ドアの開いた音。
 パソコンのプラグを引っこ抜くと、銃を片手に握り、身を潜める。
 気づかれただろう。
 相手にもよるが、ボディガードであったなら厄介だ。
 動かずにいると相手の方が、少しずつ動く気配があった。
 出来るならば、鉢合わせはしたくない。
 ゆっくりと、相手には気づかれぬように、二人は動く。それは、二人がプロであることを意識させる動きだった。
 狭い室内だったが、書棚が障害物となり、身を隠すのには好都合だ。
 ドアに近づき、あと一歩の時だった。

「止まれッ!」

 鋭い命令が、背後から飛ぶ。
 銃を構えた東洋人が、こちらを睨みつけていた。
 スーツ姿に、黒髪、先程、スコープ越しに見た東洋人だった、が。
「ブラック・ジャック?」
「エドワード!?」
 同時に叫んでいた。そして互いにその言葉に、更に驚く。
 まさか、まさか。
 死神が一瞬怯んだ隙を突かれた。
 東洋人の男の表情がサッと変わり、引き金を弾いた。
 それは、まるで仮面のような無表情。
 乾いた銃声と共に、銃弾は油断した死神の肩に被弾する。
「うわあぁあ!」
 悲鳴をあげたのは、東洋人の方だった。
 銃を投げ出し、頭を抱え、歯を食いしばってこちらを見る。
「…逃げ…」東洋人は叫んだ。「早くッ!きいちゃん、行くんだッ!」
「な、」
 言われるまでもなく、死神は脱出経路を急いだ。
 それは、死神が幾つもの修羅場を掻い潜ってきた経験と、生存本能からくるものだった。
 だが。
 厭な予感がした。常識では考えられない、厭な予感が。




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 目を閉じれば、聞こえてくる不快な水音、うめき声。
 助けを呼ぶ声は、何度も、何度も繰り返されて、耳を塞ぎたくなるほど。
 ああ、それなのにその行為を止められないのは、それが現実だからか。
 傷つけて、破壊して、引き裂いて、それがどんなに残酷な行為なのかを知りながらも。
 罪人だ。どうか私を裁いてほしい。取り返しのつかない行為の償いを。
 繰り返される。永遠にそれは、繰り返される。

「エドッ!」

 大きく揺さぶられて、ジョルジュは目を見開いた。
 息が苦しい。胸が痛い。
 目の前にある不安そうな彼の顔に、手を伸ばした。
「だ、いじょうぶか?」確かめるように、彼の顔に触れ、そして身体に触れる「怪我は…はやく、止血しないと…」
「夢だよ、エド。俺は怪我なんてしていない」
「え…」
 言葉がすぐに飲み込めなかった。夢?夢だったのか?あのリアルな感触も、手触りも、その総てが夢だったと?
 いつの間にか眠っていたようだった。
 ソファーの上。彼の膝を枕にして、いつの間にか眠っていたのか。
「ごめんなさい」
不安そうに見詰めるジョルジュの頬を両手で包み込み、彼は済まなそうに口を開く。
「夢です。全部、夢なんだよ…俺は、ここにいるから、苦しまないで」
「…影三…」
「エドは俺を傷つけないから…絶対に俺は傷つかない…だから、安心して…」
 ゆっくりと頬の輪郭をなぞりながら、彼は呪文をかけるように、言葉を唱える。
「影三」その手を掴み、ジョルジュは起き上がった。「…君は…何をやろうとしている…一体、何を…」
「それは、言えません」彼は答えた。「…でも、もしも俺が明らかに暴走しているようでしたら…正常な人間ではなくなったら…約束を、実行してくれますね」
 不安そうに、鳶色の眼が瞬いた。
 変わらない眼の色。でも、まだ力強さを失ってはいない、眼光。
「勿論だ」ジョルジュは答える。「…影三…また、こうやって君と会うことはできるのかい」
「分かりません」
眼を伏せて、彼はゆっくりと呟いた。「今回は、たまたま成功したけど、でも、またできたらこうやって、エドに会えたら…うれしいです」
「私もだよ、影三」
「…明日から、米国に行くから、しばらく会えないね」
「満徳と…か」
「はい」彼は答える。「例の…米国医師会長に会います…気に入られているからね」
「影三…君は…」
「また、会いたい…」
残念そうに彼は呟くと、遠慮がちにジョルジュの肌に触れる。「…好きです…それだけは絶対に、変わりませんから」
「私もだよ、影三」
 そして、もう一度くしゃりと黒髪を撫でてやる。  




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 資料室から奪ってきたDVDと数点の資料。
 それらを机の上に無造作におくと、死神は携帯電話をとる。
 応急手当よりも、確かめることがあった。
 呼び出し音のあとに、例の老人の声がのんびりと、聞こえた。
『ビルは役に立ったかね?』
「ああ、助かった」死神は答える。「これが最後の用件だ。例の組織の頭の中国人、ボディガードと側近の男の名前の漢字を知りたい」
『漢字?』老人は怪訝そうな声で『あんた、言っても分かるのか?』
「大体な」と、死神。
 手帳を開き、受話器から聞こえる漢字を、死神はスラスラと書いた。
 日本語に堪能な死神は、漢字を書くのは造作もないことだった。
『…ボスのチェンは、”全部の「全」”メンダァは”満足の「満」に「徳」”。キム・シンガンは、”「金」”に”信じるの「信」”
”「広」い”ジェン・インサンは”間合いの「間」”に”影響の「影」””数字の「三」”』
「分かった、助かった」
 携帯電話を切り、死神は手帳に書いた名前を見る。
 漢字の中国読みには馴染みがなかった。だから、気づかなかった。
 それにしても、まさか。
 本人にしては若すぎる。いくら童顔と言ったところで、あれでは父親というよりも、弟のようにさえ思えた。
 だが、しかし、彼ははっきりと、自分を呼んだ。
 
『きいちゃん、行くんだッ!』

 それとも、これも作戦のうちなのだろうか。精神的に揺さぶりかける為の。
 総てはやはり、父に会うしか知ることはできないのだろうか。
 死神は、もう一度手帳に目を落とす。
 手帳に書かれた、三人の名前。

”全 満徳  金 信広  間 影三”

「…本当に…おじさん、なのか?」
 それが意味するところを、死神は、どうしても読み解くことができなかった。





 




 

混同と記憶
Chapter 1 The end continues.