「ロクターは、先生が死んじゃったら、どうなるの?」 水平線に半分ほど沈む太陽は、緩やかに暗いオレンジ色で辺りを闇に染め上げていく。 その最後の光を浴びる少女の表情は、静かに微笑んでいた。 少女はその大きな瞳を細め、口元は穏やかに、緩やかに結ばれている。 それはとても少女の持つ表情にはみえなかった。 まるで慈愛の微笑。 幼いキリストを抱く、聖母マリアのような、美しくも神聖なものにすら思えた。 彼の天才外科医は、海外へ出張の為不在。 それを訪問と言う形で知った死神は、留守を守る少女を早めの夕食に誘ったのだ。 ドアを開いたときの、嬉しそうな少女の笑顔。 それだけ、愛しい先生を待ち望んでいたのを、窺い知れる。 訪問理由を思うと、微かに胸が痛んだのも、事実。 退屈していたのか。少女は、死神の誘いに喜んで応じたのだった。 少女の好きそうな、小洒落たレストランで夕食をとった帰り道。 海岸沿いにある公園の遊歩道を歩む少女が、ぽつりと先の言葉を呟いた。 それは、質問なのか、独り言なのか。 「急に、どうしたんだ」 無視してしまっても良かったが、思わず言葉が零れる。 少女は、死神の言葉に、変わらず微笑み、口を開いた。 「だって、先生は、ピノコが死んでも変わらずに生きてゆけるでしょう?」 微笑みは変わらない。 しかし、瞳は、静かに伏せられる。「でも、ロクターが死んじゃったら、きっと先生は死んじゃうでしょう? 先生は、人の死を、死ぬ瞬間を、その瞬く最期の命を生へと変える執念。 その対極であるロクターが死んだら、死と言う存在を失ったら、きっと死んじゃうでしょ?」 血塗られた裏を歩む、まるで合わせ鏡のような闇医者同士。 運命上に置かれた、叶わぬ恋焦がれた己の半身を失えば、 貴方たちは、生きてはいられないのでしょう? 「だから、ピノコは二人を看取るの」 死を免れない二人の生命が尽きるとき 「先生とロクターが安らかに眠れるように、ピノコは二人の死を看取るのよ」 言葉には力があった。覚悟があった。 静かに微笑むその少女からは、その力強さを感じた。 「不安…なのかい?」 優しく、安心するように、死神はその小さな頭を撫でてやる。 無理ない、と思う。 だが、あの敬愛する天才外科医と、この少女を繋ぐのは『信頼』という糸のみにすぎない。 それはとても儚くて、 そして何よりも強い。 その精神的な繋がりは、誰にでも持てるわけではない。 こと孤高の人とも、自分のテリトリーに踏み込む者を容赦なく切り裂くあの天才外科医が、 心を許している人間は、この少女だけなのだ。 肉体関係など、所詮は快楽のみを追い求める排泄行為とも言えるのに。 そんな関係に精神的な繋がり等、できやしないのに。 だけど、それでも、目に見えない繋がりだけを頼りにするのも酷な話だ. 絆が、二人を繋ぐ絆が目に見えるものであったら 互いに感じあえるものであったなら、よかったのにね。 「どんな事があっても、ちゃんとお嬢ちゃんのところに帰ってくるんだから。心配しないで待っていれば、必ず帰ってくるだろう?」 そう、必ず帰ってくるのだから。 どんなに望んでも、どれだけ肌を重ねたとしても、 あの天才外科医は帰ってしまうのだから。 お嬢ちゃん。みんな羨んでいるんだよ。 孤高の天才外科医に好意を持った人間は、 みんな、君という存在に。 「ありがとう…ロクター」 美しく、少女は微笑んだ。 ああ、そうだ。 死神もつられて、笑いそうになる。 君のような少女は、そんな無邪気な笑顔が、よく似合う。 少女を天才外科医の自宅まで送り届けると、死神は車を走らせる。 辺りはすでに闇に沈み、ライトがなければ道もわからない。 それでも、よく知った道だ。 ギアをトップに入れて、死神は勢いよくアクセルを踏み込んだ。 天才外科医を、看取ると言った。 強い、と思う。 あの少女は、愛する人間の死を看取る覚悟さえもしているのか、と。 お嬢ちゃん。一つ間違っているよ。 確かに、あの天才外科医は、俺が死んだら死ぬかもしれない。 でも、お嬢ちゃんが死んだら、奴は狂うだろうよ。 半身を奪われるんじゃない。 信念を、魂を失い、正気を保てずに、死ぬ事すらも出来ずに、 奴は、ただ、永遠に続く狂気の中で、君の事を探しつづけるだろうよ。 「お嬢ちゃんが死ぬ時は、俺が看取ってやるよ」 そして、先生をお嬢ちゃんの下へ送ってやる。 俺がこの手で、きちっりと送ってやるよ。 お嬢ちゃんが寂しくないように。 だって俺は、死神なのだから。 君を看取る