15センチドクターズ!






 机の目の前にある窓から、可愛いらしいスズメの鳴き声が聞こえた。
 しまった!
 慌てて身体を起こすと、節々から身体の悲鳴が聞こえる。
 うっかりしていた。机の上で寝てしまったのだ。
 机の上に視線を落とすと、書きかけだったカルテが綺麗に清書してある。
 それも、丁寧なドイツ語で。
 俺はカルテを英語で書く、ドイツ語で書くのは、戦前に医学を学んだ人間だ。
 カルテの傍らには、小さな山田野先生がコックリ、コックリと船を漕いでいる。
 膝を抱えているのだろうが、真っ白な髭でそれは見えない。
「申し訳ありません、先生」
 俺はソッと山田野先生を両手で掬い上げると、ベッドへと運んだ。
 きっと、起きたら、お説教をされるだろう。
 ”徹夜をするぐらいなら、早起きをした方がいいに決まっている!”
 お決まりの文句だ。
 小さく笑いながら、山田野先生に布団をかける。
 実は、先生にお説教されるのも、嫌いではないから。


 昼過ぎ。ピノコが買い物に行っている時に、キリコが来た。
「よ、元気?」
 手にしていた紙袋から、キリコは分厚い本を取り出した。「これ、親父たちのお土産」
「おじさんに?」
 その本は、人工臓器移植に関するものだった。
 真っ先にその本に飛びついたのは、おじさんではなく、俺の親父の方だった。
 遅れて、おじさんも降りてきて、二人でなにやら言いながら、本を読み始める。
「おじさんに…じゃなくて、親父にだろ」
「俺は”親父たちに”って言ったよ」
飄々と、キリコは答える。つまり、これは親父への贈り物ってことか。
「なに?妬いてるの?」
ニヤニヤ笑う奴の視線に気づいた。面白がってやがる。
「焼くって、何をだ」
「ヤキモチ」
「ふざけるな」
「まあまあ」キリコはジャケットのポケットから、また紙袋を出す。「これは、お前に。コーヒー煎れてやるよ。良い豆を買ってきたの。お前の為に」
「うるさい!」
しつこい男は、笑いながらキッチンへと向かう。
親父たちは、あーだこーだいいながら楽しそうに二人で本を読んでいる。
仲が良くて、何よりだ。
暫くして、コーヒーの良い香りが廊下から漂ってくる。
「おまたせ」
お盆を片手に、キリコがやってきた。そのピノコのピンクのエプロンはやめろ。
「コーヒーブレイク、ってな」
 机にコーヒーカップを置く。
 香りにつられてか、おじさんがトコトコとキリコのカップの前にやってきた。
 そして、笑って香りを楽しんでいる。
「親父は、コーヒーが好きだな」
 穏やかな声で、キリコが言った。そんな声、滅多に聞けるものではない。
 で、一方、俺の親父は、本にかぶりついたまま、動きやしない。
 まあ、気持ちは分かる。俺も新しい術式なんぞを見つけたときは、周りが見えなくなる。
 と。
 おじさんが、親父のところまで飛んできて、いきなり首根っこを掴んで、俺の前まで親父を引きずってきた。そして、親父に説教をしているようだった。
「ぷ」キリコは笑って「おじさん、お前にそっくり」
「似てない!」
 おじさんの説教が終ったようで、親父はぽりぽりと頭を掻きながら、ちらりと俺を見て、横を向く。
 途端に、またおじさんの説教がはじまった。
 いや、分かるよ、親父。照れくさいんだろ?
「まるで、漫才だな」
 親父とおじさんの遣り取りを眺めながら、俺はキリコとコーヒーを嗜んだ。


(おわる)