冬。
 雪がちらつくのに見慣れた頃、かの日本人院生は、いよいよ外へ出るのを億劫がる。
 あまりに見事な引き篭もり具合に、冬眠だの地縛霊だの散々なあだ名をつけられても、本人は一向に気にしない。
 だが
「私は気にするんだ」
 野菜たっぷりのミネストローネを差し入れに、カナダ人はやってくる。
 保温ポットにずっしりと。
 アツアツの野菜たっぷりスープを食しながら、日本人の彼は「どうして」とちらりと顔を見る。「外に出る用事もないのに。寒い時は室内にいるのが一番でしょう」
「君が寒がりなのは知ってるさ」
 ガツガツとスープを平らげる彼を見詰めながら、呆れたようにカナダ人のジョルジュは言った。
「それにしたって、酷い有様だと、自分では思わないのかい」
 言われて日本人の影三は、ウッ…とスプーンを持つ手を一瞬だけ止める。
 つまり、自覚はあるわけだ。
 白衣こそ、毎日、業者が洗濯したものを羽織っているようだ。
 だが。
「…臭うぞ、さすがに」
 影三の黒髪に鼻を近づけて、ジョルジュは僅かに顔を顰める。
 日本人である彼は、あまり体臭が臭う方ではない。
 しかし、その下に着ているの私服など、一体いつから着込んでいるのやら。
 普段なら、風呂好きの彼は二日に一度はバスルームに篭るくせに、今は、微かに汗臭さが鼻を擽る。
 いつもの彼の体臭よりも、幾分か匂いがするようだった。
 それに。
「寒い、寒いと言う割りに、パーカーはどうかと思うけどね」
「…他に厚手のを持ってないんですよ」
「セーターでも着たらどうだ」
「嫌いなんですよ。スースーするから、余計に寒い」
「影三」
 彼の発言から、一つ気づいた。「…君、そのパーカーのしたには、何を着ているんだ?」
「え?」きょとんとした表情で、彼は「Tシャツです」
「半袖の?」
「ええ」
「それだけ?」
「はい」
「………なるほど」
 彼の話から、彼の極端な寒がりの理由が分かったような気がした。
「影三」ジョルジュは扱く真面目な顔で「服を脱いで」
「……………は?」
 唐突な言葉に、影三はスプーンですくったスープを口に運ぶのを忘れて、ぽかんとジョルジュを見詰めた。
 冗談にしか聞こえない台詞だが、言った本人は表情を崩さない。
「いいから、脱いで」
 言うなり、突然、ジョルジュは自分のセーターを脱ぎだした。
「え、ちょ…エドッ?」
「ほら、君も」
「ま、待って、待って下さいッ!!」
 パーカーに手をかけられて、影三は慌ててあがらった。
 まさか、寒いのなら人肌で温まろうとか言い出すんじゃないだろうか…とかなり突飛な考えまでも浮かんでくる。
 冗談じゃない。今は昼間で大学で自分は同性だ。
 いや、そういう問題でもないのだが、予期せぬ出来事に影三は大いに慌てふためき、気がつくと白衣とパーカーは脱がされ、
変わりに、ジョルジュの着ていたアンダーシャツを着せられ、再びパーカーを被せられる。
「それで、どうだ」
 自分のセーターを着込みながら、ジョルジュは言った。「下に長袖のアンダーを着るだけで、随分違うんだぞ」
「…温かいです」
 素直な感想を、影三は言った。
 確かに、ハイネックの長袖のアンダーシャツのお陰で、隙間風のような冷たい空気に触れる事無く、温かい。
 だが、この温かさは、今までジョルジュがこのシャツを着ていたせいでは、ないだろうか。
「…臭いますよ」
 ほんのりと、シャツから匂いがたった。
 それは。
「そりゃあ、私がたった今まで着ていたからね」
 苦笑しながら、ジョルジュは答える。「そんなに臭うかい」
「香水の匂い…かな」
 甘い花のような、樹木のような、彼のオーデパルファムの匂い。
 それはシャツに染み込んでいるかのように、そのまま自分に染み込むように。
 まるで彼自身のような。
「じゃあ、行こうか」
 ジョルジュは、また唐突な言葉を発して、影三の腕をとる。
 どこへ…と問おうとする前に「ショッピング」とジョルジュは言った。「アンダーシャツとセーターを買ってあげるよ」
「自分で買いますよ、それぐらい!」
「いいから、いいから」
 強引に引っ張られる腕に、もう逆らえない。
 仕方がない、と影三は溜め息を一つ落として、カナダ人のプランに乗っかることにした。
 微かに匂うオーデパルファム。
 甘い花のような、樹木のような、優しくて控えめな彼自身のような、香り。
 きっと彼はそうやって、無意識に、女性を落とすのだろう。
 影三は、ジョルジュの背中を見ながら、そう、考えていた。
 
「究極の女たらしだな…」
「…何か言ったか?影三」
「いいえ」







Eau de Parfum