「くおちゃん!こっちだよ!」
「きいちゃん、まってー!」
 幼い少年二人は、笑いながら山道を駆けていく。
 その後ろを、少年たちの父親が肩を並べて歩いていた…いや、日本人の方はすでにバテ気味だ。
「情けないな」
 息を一つも乱すことなく、ジョルジュは影三の腕をとり、引っ張るように促す。
「寝不足…なだけ…ですよ」
強がる彼は、息を乱しながら、腕をとるカナダ人をにらみ付けた。
確かに寝不足もありそうだが、どちらかと言うと、不足しているのは運動の方だろう。
「パパー!!」
「パパはやく!」
幼い声に、にこやかに手を振りながら、大人二人は歩き続ける。
そして、やっと目的地にたどり着いた。
「うわあ」黒男が黄色い歓声をあげる「すっごい!きれー!!」
 そこは、林が開けて、一面美しい野の花が咲き乱れていた。
 色とりどりの宝石を散りばめたかのような、色彩の乱舞に、まるで美しい絵画の世界へと入り込んだかのような、光景だ。
 少年たちは、歓声をあげて、野の花畑へと走り出した。
 こんな風景は、子どもの元気な姿がよく似合う。
「で」
にこやかに眺めていると、ジョルジュが唐突に言った。「見ての通り、花畑だ。で」
「で?」と、影三。
「で」ジョルジュは、彼の顔を覗き込んで「どのへんからだ?どの辺から走り出せばいい」
「は?」
「距離は、何フィート離れればいい」
「え」はたと、影三は気づいて「…まさか、そのために?」
「当然だ」
憮然と、ジョルジュは答える。



■■■



ことの起こりは、深夜のこと。
何か、ふと何か予感がしたのか。
深夜にジョルジュは眼が覚めた。そして、階下へとおりてゆく。
なにか、考えがあったわけじゃない。たとえて言うのなら、なんとなく、だ。
階下へ下りると、ダイニングに彼がいた。
椅子に座り、珍しく煙草を吹かしていたのだ。
「どうした」
声をかけると、彼は神妙な顔で、煙草を灰皿で揉み消す。
「…起こしましたか」
「いや、眼が覚めただけだよ」と、ジョルジュ。「なにか、あったのか」
「あ、いえ」
影三はぽりぽりと頭を掻きながら「…夢を、みたんです」
「どんな」
彼の隣の椅子に、ジョルジュは座る。
尋ねる言葉は、緊張を帯びていた。
彼は、彼の過去には、直視するには辛い出来事が幾つもあることを、ジョルジュは知っていた。
そして、それを家族に知られたくない事も。
 彼は神妙な顔をして、そして、口を開いた。
「…お花畑で…」
「花畑?」
「ええ」彼は言った。「お花畑で、追いかけられたんです」
「誰に」
「全満徳に」
忌まわしい名前を彼は、やはり神妙な顔つきで言った。「なんか、こう、満徳が笑いながら追いかけてくるんですよ。
”まって〜”て、花びらを撒き散らしながら」
「……は?」
「全体的にピンク色で、あれですよ、”キャン○ィキャンディ”ってアニメ知ってますか?」
「…つまり、少女マンガみたいなものかい?」
「そうなんです…」
 神妙な顔つきは変わらない。
 つまり、だ。彼の見た夢とは、お花畑で、彼を貶めた人物が、花びらを撒き散らしながら「まって〜」と追いかけて来た、と。
「なんか、頭から離れなくて」
ぽつりと、彼は呟いたのだった。




■■■



「…本気ですか」
「本気だよ」
「あの、結構ですから」
「いや、そうもいかない」至極真面目に、ジョルジュは「じゃあ、行くぞ」
「え、あ、ちょっとッ!!」
 追いかけてくるジョルジュから、影三は逃げ出した。
 それも、全速力に近いスピードで。
 これじゃあ、ピンク色よりも集中線の方が似合いそうだ。
「あ、パパたち、おにごっこしてる」
「ぼくもおいかける!!」
 鬼役が増えて、影三は三人から追いかけられる羽目になったのだった。












彼の悪夢