目を開くと、視界に飛び込んできたのは群青色の空だった。 しばらく、ぼんやりとその光景を眺めていると、いきなり口に煙草を押し込まれる。 「起きたか、先生」 抑揚のない、死神の声。 煙草を捻じ込んだ本人は、悪びれもせずに笑った。「夜明けまで、一時間。相変わらず、律儀だな」 「起きていたのか」 押し込まれた煙草を吸い、紫煙を燻らせる。 外国のその煙草は、少し苦かったが、かまわずに吸い続けた。 「寝そびれちまった」 ひょいと、煙草をつまみ、死神は再びそれを吸いだした。 狭い車内。 男二人が篭るには、少し窮屈な場所だったが、他に良い場所があるわけではなかったので、 深夜からここに篭りっきり。 そして、もうすぐ、夜が明ける。 空は疎らに白い雲が散らばっていたが、陽の光を遮るほどではない。 「…寒くないか」 不意に重ねられた手の冷たさに、少し驚いた。 まるで氷のような冷たさだ。 「寒いのは、お前じゃないのか」 そういえばエンジンを切ったままだった。 ヒーターも入れず、死神はジッとしていたということか。 「ああ、寒い」 やはり、抑揚のない声。 だが重ねてきた手を強く握るその仕草は、まるで情熱的じゃないか? 「体温を分けてくれよ」 近づくその無表情に、少し笑ってしまう。 声も表情も感情などないようにみえるに。 その仕草や言葉は、誰よりも熱を帯びているじゃないか。 甘く重なる唇は柔らかく、人間の味がした。 だって彼は生きている。 白銀のその髪に手を伸ばし、凍える死神の頭をそっと撫でてやる。 厚手のトレーナーにセーターを着込み、上からはダウンジャケット。 しっかり帽子も被って、おまけに手袋まではめて、まるでスキー場のゲレンデに立つような格好だったが、 あいにくと、ここは車内で屋内だ。 「…重装備すぎないか、影三」 少し呆れたような声をかけるジョルジュを、キッと影三は睨みつける。 「…あなたは、寒さに強いから、そんなことが言えるんですよ!」 「そんなに寒くはないだろ」 「寒いです!一般的に、氷点下を下回ったら、寒いんです!!」 確かに、力説する彼の唇は真っ白だ。 寒さに震えるその姿は、なんだか子どもじみていて、なんだか可愛いらしい。 大きく腕を伸ばすと、ジョルジュは震える彼の肩を抱き寄せた。 「うわあ!」 突然の出来事に体勢を崩し、慌てる彼の凍える頬に、ワザと音を立ててキスをする。 「っ!…何をするんですか!!」 頬を真っ赤に染めて、彼は両腕でジョルジュの身体を突っぱねた。 「熱くなっただろう?」 悪戯が成功した、悪ガキの笑み。 その表情になんとも言えず、彼はくるりと身体を反転させて、窓の外を見た。 外は一面の雪景色。 山沿いの断崖ともいえる場所を切り開いて作られた駐車スペースには、 他に一台の車もいない。 空は群青色から、明るさを増してきた。 夜明けが近そうだ。 「影三」 名前を呼ばれた瞬間、背後から腕の中に抱き込まれる。 「ぎゃあ!」 「…『ぎゃあ』はひどいな」苦笑した声が、耳の後ろから低く響く。「温かいな、影三は…」 うっとりと囁く、低いその声。 「離して下さい」 「寒いから、厭だ」 「そんなに寒くなかったんじゃ、ないんですか!」 「寒くないよ」ジョルジュは言った。「でも、こうしてると、影三は生きているんだな…て実感できて幸せ…」 「……。」 そんな言葉は、卑怯だ。何も、言えなくなる。 「…愛してるよ、影三…」 囁かれる言葉。切ない、呟きは白い息とともに、散ってゆく。 言葉には答えなかった。 ただ、彼の灰銀の髪に触れ、優しく撫でてやる。 水平線から、光が一筋溢れ出した。 それはみるみる束となり、やがて丸い輪郭を縁取って、顔をのぞかせる。 それは、今年最初の陽の出る瞬間。 「晴れて良かったな」 くしゃりと、死神は傍らの男の髪の毛を掴む。 「ああ」 男は、その手を掴み、そして「今年も生きていられたな」 「生きながらえた…て?」 「さあな」 はっきりとは答えない。だが、この男は生き急いでいるのではないかと、思う。 生きていたくないわけではない。 だが、人の何倍もの速度で生き続け、その走り終えた時に、 呆気なく、儚く、逝ってしまうのではないか。 その力が尽きるまで、その速度は一定のまま。 「もう少し、落ち着いたら?先生」 抑揚のない声。 そんな声しか出てこない。出せない。だけど 「私が落ち着いたら、お前さんが困るんじゃないのか?」 ひょいと見上げてくる、紅い瞳。 まるで悪魔のような血の色は、誰よりも生命が消え逝くのを赦さない。 「ほどほどに、落ち着いたら」 言い直して、死神はもう一度口付ける。 甘く、甘く、まるで神にでも祈るようなその口付けに、 その紅い瞳を、BJは静かに閉じていった。 生きて再会できることを、祈るかのように。 白い雪山の向こう側が、濃紺から鮮やかなブルーへと変わっていく。 「そろそろだな」 車を降り、ジョルジュは大きく伸びをした。 つられて影三も車を降りるが、その風の冷たさに身を震わせる。 「悪かったね、強引につきあわせて」 笑いながらちっとも悪そうになく、ジョルジュは彼の肩を抱いた。 寒かったのか、彼はその手を受け入れながら「いえ」と答える。「どうせ、独り身ですから」 「私がいるのに」 「だ-か-ら!」 抗議の声をあげた時、その山の陰が明るくなった。 そして光が溢れ、一面を美しく光で彩った。 「…綺麗だろう?」 その美しい光景に、呟くようにジョルジュは言った。「是非、みせたかったんだよ、君に」 「…綺麗だ…」 光の彩りに、目が離せない。見たことがない、その荘厳な美しさ。 見とれる彼を、ジョルジュは後ろから抱きしめた。 温かい、彼の体温。 彼の、息遣い。 「A happy new year … It loves. 」 祈るように、ジョルジュは囁いた。 愛しい、君の存在。 「…ありがとうございます…」 彼は答えた。 それはまるで、泣き出しそうな、小さな声。 『君と共に迎えられたことを、祈る』