草木も眠る丑三つ時。 呪いを篭めて打ち付ける、藁人形への怨念が、女を鬼へと堕とさせる。 篭めて打つ、五寸の釘のその音が、女を鬼へと堕とさせる。 そんな午前2時。 女を鬼へと変化させる呪い時。手にした古ぼけた鞘を握り、彼女は勢いよくそれを抜いた。 しゅらん。鋭い金属音は、それがまだ、輝きを失ってはいないという証拠であったか。 鞘から抜かれた刀身は、照明の光を浴びて、美しくさえあった。 それは日本では平安時代末期に作られた湾曲した刀”日本刀”であった。 「ま、まてメアリ、話せば分かる」 顔面蒼白とは、この事を言うのだな…と思わず感心したくなるほど青ざめた彼は、日本刀を手にする妻を宥め様と、必死であった。「とにかく、ここで刃傷沙汰は影三に迷惑だから…な」 「問答無用よ!」 ぎらり。刃先を鼻先につきつけながら、彼の妻は低い声で言う。「私は言ったはずよね、私以外の女性に好意をもったら、命はないって」 「言った…確かに、覚えている…」 「なら、後悔はないわよね」 「ある!後悔は、君に誤解されていることだッ!」 日本刀を突きつけられている白人は、エドワード・ジョルジュ。 こうみえて、医学界では鬼才の異名をとるほどの、有名な研究医である。 が、今は世界的に有名だろうが、権威だろうが関係なく、妻の誤解を解こうと必死だった。 「…な、なんで古美術商なんてトコに行ったんだ!」 一部始終を見えている、この家の世帯主は、傍らにいる自分の妻に問い掛ける。 「だって」眠そうな目を擦りながら、彼女は「”刀”が見たいわ…ってメアリがいうから…」 「こうなる事ぐらい、予想できただろ!」 「え〜大丈夫よう…もし、エディさんが怪我したら、影三が処置すれば?」 「…即死じゃなければな…」 ごくり、と世帯主は生唾を飲む。即死…彼女ならそれぐらいやりかねない。 「じゃあ、はい」 気軽に渡されたのは、木の刀、木刀である。「これで、応戦すれば?」 「…応戦って…」 だが、躊躇はなさそうだ。 このまま傍観していれば我が家に血の雨が降る惨劇が繰り広げられるに違いない。 「ま、待って下さい!!」 風を切って振り下ろされる日本刀とジョルジュの間合いに入り、咄嗟に刀を握る柄を、柄で受ける。 その勢いで押し返し、返す刀を鍔で受け止め、そのまま押し合った。 「…あら、やるわね…影三クン…」 ぎりぎりと物凄い力で押し返すメアリは、ニッコリと笑ってみせた。 「影三クン…みおを未亡人にしたくなかったら…退きなさい…!」 「は、なしを、聞いてください…!」 一応剣道の有段者である影三であったが、メアリはまったくひけをとらない。 格闘技好き、戦闘好き、日本好きである彼女だ。剣術を嗜んでいたところで、まったく驚かない。 だが、 「…エドは…」力負けしそうになりながらも、渾身の力を振り絞る。「…本当に…話を聞いてください…!」 「影三クン」彼女は言った。「説明しなければならない事をした時点で、犯罪成立なのよ!」 「うわッ!」 「影三ッ!」 鍔競り合いの末に、影三は情けないことに押し飛ばされて、背後にいたジョルジュの上に倒れこむ。 「大丈夫か、影三」 「いえ…俺は別に…」 影が男性二人を覆い、ぎこちなく、二人は顔をあげる。 そこには、上段の構えで二人を見下ろす、メアリの姿。 あまりの恐怖に、男性二人は凍りつく。 「神に祈る時間をあげるわ…」メアリは、言った。「あなたの罪を数えなさい!!!」 「いや、それ、色々混ざっているぞ…」 「辞世の句でも、言う?」 もう一度、彼女は美しく笑ってみせた。それはそれは、美しい笑顔だった。 それだけに、恐ろしくて堪らない。つまり、これは、この世で最後の笑顔となるのだろうか。 「すまん、影三ッ!」 「わあ!」 自分の前にいた影三の背中を、ジョルジュは思いっきり突き飛ばした。 「エディ!待ちなさい!」 脱兎の如くにカナダ人夫婦は、外へと飛び出していった。 「あ、メアリ!日本刀を振り回したら、銃刀法違反になるのに…」 他人事のように呟く妻に「とりあえず、追いかけてくる」と影三は告げた。 「いってらっしゃい〜」 呑気に送り出す妻に、影三は苦笑しつつ、頼むから殺人事件にだけはならにように、祈りながら、走り出した。 日本臨床薬理学会に出席しただけだったのだ。 そこで、まあ、世界的に有名であったジョルジュは、様様な人物に声をかけられた、だけなのだ。 その中に、数名、若い女性医師がいた。 それだけなのだ。 それだけなのだが。 まあ、愛されていると言えば、それまでではある。 結局は、犬も食わないケンカであると言うことだった。 銃刀法違反