『ペア……』 「は…?」 その言葉は、影三がファーストフードのハンバーガーセットをテーブルに置いたときに言われた。 あまりに唐突だったので、彼はテーブルにトレー置いた姿勢のまま、言葉を吐いたジョルジュの顔をマジマジと見詰める。 その表情が、あまりに間が抜けていてたので、ジョルジュは思わず、吹き出した。 「からかわないで下さい」 途端に、憮然とした表情を浮かべ、影三は椅子に座ると、5ドルのセットのハンバーガーにかぶりつく。 「からかってなんか…」 笑いながらジョルジュは、自分の右手薬指に嵌めている銀色の指輪を外した。 そして、影三の左手をとると、母親の形見だと言っていたそれを、指にはめてやる。 それも薬指。 「ほら、似合う」 「……似合うじゃないだろッ!!」 嵌められた指輪を外して投げつけようとするが、理性が働いたのか、ことりと優しくテーブルに置く。 そして、目の前で笑う人物をキッと睨みつけた。 「何で、俺がペアリングなんか!!」 「いいじゃないか」と、ジョルジュ。「これと同じのを作れば、安上がりだ」 「金の問題じゃないでしょう!」影三は更に声を荒げて「男同士でペアリングなんて、気持ち悪いじゃないですかッ!!」 「だって、私は影三が好きだから」 静かに穏やかに言われて、影三は思わず言葉に詰まる。 「愛してるから」綺麗に彼は笑う。優しげな口調で「だから、君が私を愛さなくても…でも、こんなものでもいいから、君と共通のものが欲しかった…それだけなんだ」 「で、でも」 顔を真っ赤にさせて、影三は視線をそらす。「指輪なんて…意味深すぎますよ」 「じゃあ、ペアウォッチとかは?」 「そ、それぐらいなら…」 「そうか」 にやり。ジョルジュが笑ってみせる。あ。しまったと影三は後悔するが、すでに遅し。 テーブルの上に、とん、とん、と二つのロレックス。 シルバー地にブラックシェルの文字盤。クロノグラフというストップウォッチ機能のついたそれは、デイトナと呼ばれるメンズモデルだ。 あまりに普通に置かれたが、日本円にして93万円はする代物だ。 「じゃあ、ペアウォッチということで」 嬉しそうに差し出すそれを、影三は恐る恐る受け取った。 はめられた。 それにしたって、なんでよりによってロレックスだ。 幾ら世間に疎い影三でも、ロレックスが高級品であることぐらいは知っている。 「おそろいだね」 あまりに嬉しそうに歓ぶ彼を見て、影三は何も言えなくなってしまった。 まあ、いいか。時計ぐらい……。 震える手でその高級で時計をつけながら、深く溜め息をつく。 『結婚……』 「ドクターのロレックスって、影三クンとお揃いでしょう?」 助手であるミス・メアリの言葉に、ジョルジュは一瞬だけ固まった。 「…どうだったかな?」 惚けて見せるが、彼女は「確信犯」と軽く睨む。「どうせ、一緒のものを身に付けたいとかなんとか、 言いくるめたんでしょう」 「人聞きが悪いな」 「ドクターがやりそうな事ですから」 そして彼女は、ストローを咥えて、アイスコーヒーを啜る。 ジョルジュは溜め息をついて、ブレンドコーヒーを口にした。 沈黙が、静かにおりてくる。 「淋しい?」 出し抜けの一言に、ジョルジュは「え?」と手を止める。 「淋しいでしょう」彼女は悪戯っぽく笑って見せた。「プロポーズの方法を聞いてくるなんて、影三クンらしいのね」 「…相手が難攻不落らしいからな」 「なんて、答えたの?」 聞いてくる彼女の表情を見て、ジョルジュは小さく息を吐く。 「指輪でも渡せばいいってね」 「へえ、指輪」 「そう、こうやってね」 徐にジョルジュはジャケットの内ポケットから、青いビロード張りの小さなケースを取り出した。 そして、それを開けると、中には簡素なシルバーのリングが一つ。 「え?」 目をぱちくり。驚く彼女の左手をとって、ジョルジュはその指輪を彼女の薬指におさめた。 そして、自分の右手にはめてある指輪を、自分の左手薬指に。 「これで、お揃い」ジョルジュは言った。「生涯、共に、この指輪をつけ続けてくれないか」 「え?」彼女は自分の指輪を見て「えええ?」ジョルジュの指輪を見て「ええええええええ!?」 彼女は驚きの声をあげる。自信家の彼女の素っ頓狂な声は、なかなか聞けるものではない。 「マジ?」と、彼女。 「マジ」と、ジョルジュ。 「そう、マジなの」 言うなり、彼女はいきなり、ジョルジュの胸倉を掴んで顔を引き寄せた。 その表情は、真剣そのもの、ちょっと怖い。 「分かったわ」メアリは言った。「ただし、私と影三クン以外の人間に好意をもったら、命はないわよ」 「わ、わかった」 「本当に?」 「当然だ、命は惜しい」 「OK」 彼女はパッと手を離した。よかった。このまま背負い投げでもされるかと思った。 「契約成立ね」メアリは笑って、指輪に軽く口付ける。「よろしく、ダーリン!」 「ああ、よろしく、ハニー」 ちなみに、「指輪でも無理でしたよ!」という、影三の泣きの電話があたのは、その日の夜…。 『ロレックス…』 天才外科医が珍しいものを身に付けていたので、思わずその手をとってマジマジと見る。 された方は、自分の手を掴む死神の化身を、キッと睨みつけた。 「いきなり、なんだ」 「いや」死神は手を離して、答える。「ロレックスだね、それ」 「…そうだ」 「それも、デイトナ」 「そこまでは知らん」 素っ気無い答え。くるりと背を向けて、天才外科医はカルテに再び目を落とす。 「そこまで知らんものを、なんで持ってるの?」 それでも、しつこく聞く死神に、苛立ったように彼は再び死神を睨みつけた。 「これは、貰ったんだ!だから、詳しいことは知らん!」 「おじさんに、だろ?」 ニヤリ。皮肉気な言葉に、天才外科医は凍りつく。それは肯定をあらわすのには充分すぎる反応。 高額な診療報酬を要求するくせに、金の使い道は至って質素。 島とかの不動産はたくさん所有しているらしいが、物質的な…それも日常用具関係は、そのへんのスーパーや大型ショッピングモールで売られている量産品がほとんどだ。 ブランドの種類だって、そんなに知らない。 そんな男が、ロレックス。自分で買ったわけがないであろうと思うのは、至極当然のこと。 それに。 「俺も、持ってるの、デイトナ」 ポケットから、取り出して見せた。まったく同じモデルのデイトナを。 「俺も、親父に貰ったの」 「おじさんから?」 「そ」と、死神。「そいつも、親父がおじさんにやったんだろ、お揃いを身に付けたいって、あの男の考えそうな事だ」 「あ…」 途端に真っ赤になる彼の目の前で、死神はその腕時計をつけてみせた。 天才外科医が身に付ける左手首とは逆の、右手首。 まるで、鏡でうつしあっているみたいに。 「ほら、お揃い」 「馬鹿…外せ」 「いやだね」 「キリコ!」 今にも噛付きそうなほどに声を荒げる、その唇に口付けを。 かちゃり。ロレックス同士がぶつかりあい、微かな金属音を響かせる。