9月の半ば。
天才外科医が帰宅すると、夕飯が月見団子であった。
「らって、きょうはちゅーしゅーの十五夜やから、おだんごをお供えするのよさ」
「中秋の名月ってことか?」
じゃあ、仕方がないか、と天才外科医は助手の少女の言葉に納得する。
そういえば、今日は十五夜で中秋の名月であるとか、明日が今年最後のスーパームーンであるとか、ネットやテレビが騒いでいたと、思い直す。
実に昨日まで、天才外科医は仕事のため海外にいたのだが、仕事中の緊張感と集中力と判断力のせめぎあいから解放された今、こんな他愛無い日常にそれらを発揮するつもりはない。
つまり、仕事以外では、天才外科医は少女のすることに逆らわないのだ。
「それでもなあ」天才外科医は、次々出来上がる丸い団子を眺めながら「出来れば、もう少し歯ごたえのあるものが食べたいぞ」
「沢庵がありまちゅよ」
「食べる」
「じゃあ、豚汁れも、ついでにつくゆね」
「たのむ」
皿に盛られた黄色の漬物を、だらしなく素手で摘まみながら、天才外科医はたまった新聞に目を通す。
ポリポリと食べているうちに、三角垂上に積み上げられた団子のピラミッドと、食欲をそそる豚汁の良い匂いが台所に漂ってきた。
「れーきた。ちぇんちぇい、たべゆれちょ?」
「ああ」
「じゃあ、お月様をみながや、たべるのよさ」
「…わかった…」
沢庵の皿を持って、天才外科医は立ち上がる。
ウッドデッキに腰掛けながら豚汁を啜る姿は、どうみてもお行儀が良いものではなかったが、如何に天才と言えど、空腹には勝てないようだ。
豚汁を啜りながら見上げれば、なるほど、見事に美しい中秋の名月が、夜空に浮かんでいる。
「綺麗らねー」
お団子を食べながら、少女は笑った。「こんな日らねーかぐや姫が月へかえゆのはー」
「そうなのか?」
「もー!ちぇんちぇいのきょーよーぶそく!医学以外の知識もないと、せけんばなちができまちぇんよー!」
「…それは、お前の担当だろう…」
「もう!いつも置いて一人でいくくちぇにー!」
藪蛇なうえに墓穴を掘った。天才外科医は肩を竦めて、豚汁を啜る。「おかわり」
「あーい」
器を抱えて、少女は家へと戻ってゆく。
一人残された天才外科医は、ポケットから煙草の箱を取り出し1本咥え、火を点けた。
紫煙をゆっくりと燻らせ、月を見上げる。
古代から、さまざまな例えをされては来たが、正体はただの地球の衛星だ。
それを眺めながら、竹取物語のような大作を創造できるとは、古典時代の人々は、なんと豊かな想像力であったことか。
夜空に浮かぶ、丸く白い穴。
それは、まるで、天に穿ち現れた天の国への入り口であるかのように。
「女のちとの顔にみえゆ国もあゆんらってねー」
舌ったらずの声と、豚汁の匂いが背後から。
振り返れば、椀を抱えた少女が笑っている。
「女の顔?」
天才外科医が問えば、少女は「うん」と頷いた。「月の陰のはなち。にほんでは、うちゃぎちゃんにみえゆけど、他の国らと、女のちとお顔とか、大きなはちゃみのかにちゃんとかにみえゆんらって」
「そりゃ、愉快だな」
椀を受け取りながら、天才外科医は答える。
少女は隣に腰掛けながら、その小さな指で天の白い穴を指さした。
「きえいなおんなのちと。ちぇんちぇいのお母さんにも、みえゆよ」
天の国から、きっと先生のことを、見詰める為に、あの白い穴から顔を覗かせているんだよ。
「だかや、お団子、どーちょ!」
先ほどの、三宝に乗せられたお団子ピラミッドを天才外科医に差し出しながら、少女も一つ摘まんで、自分の口に放り込む。
それはとても、子どもらしい仕草で。
「覗いて…いる、のか」
団子を摘まみ、天才外科医もそれを口に入れる。
「不味くないな」
「ちょう?よかったあ」
満面の少女に笑みに、天才外科医の口元も、僅かに緩む。
それは、十五夜の夜の話。
-終-
2014.9.21 コウ