幼稚園から帰って来た少女が、悪寒を訴えのが15時過ぎ。
それから、あれよあれよと、咳、鼻水等の諸症状があらわれ、19時過ぎの現在、少女はベッドの住人となっていた。
自分の体調不良が分かれば真っ先に少女が心配するのが、天才外科医の食事である。
以前など、三食ボンカレーという大学生並の食生活を三日も続け、二度と寝込まない!と少女に豪語させる事となったが、少女の体調を気遣えば床上安静が必要な場合に、天才外科医の飯の心配でふらふら起きてこられれば困るので、簡単な食事ぐらいは作れるようになった。
大した進歩だ、と友人の辰巳に言わしめた程である。
そんなわけで、少女にいらぬ心配をかけぬよう、煮込みうどんを作った。
簡単であるし、風邪である少女も食べられるであろうという判断からである。
小さなピンクの土鍋を持って、天才外科医は、そっと寝室のドアを開けた。
途端「お腹、すいたのよさー」という少女の声が聞こえて、思わず噴出す。
「食欲があるなら、まだ安心だな」
「えへへ、ちぇんちぇいのうどん〜」
まだまだ熱っぽく眼の下にはゆるい隈が出来ているが、少女は笑って半身を起こした。
その小さな背中にクッションを入れ、ベッド用の昇降台をセッティングしてやると、天才外科医は「熱いぞ」と言って台の上に土鍋を置いた。
「いっただきます〜!」
はふはふ、と息を吹きかけながら、少女はうどんを小さな口に運ぶ。
天才外科医は自分の分の煮込みうどんをどんぶりに入れて持ってくると、少女と共にうどんを味わった。
「ね、ちぇんちぇい」
うどんの汁をレンゲで掬いながら、少女は尋ねた。「きけーのーちゅってどうしてなっちゃうの?」
「は?」
竹輪を齧りながら、天才外科医は「なんだ、急に」
「うん、急に、おもったのー」
あはは、と笑いながら少女は答えた。
違うな。と天才外科医は観察する。ほんの僅かだが、天才外科医にしか知りえぬほどに僅かだが、困ったような、泣き出しそうな表情であった。
それは、本当に、この世でBJだけが気づくような。
「畸形嚢腫は、畸形種と一つだ。類皮嚢胞とも言う」静かに、天才外科医は答える。「原因はまだ分かっていない。似たような症例に”胎児内胎児”というのもあるがな…」
「そえ、しってゆ。成人してかや気づくことが多いれしょ?」
「ああ」
「どっちがよかったのかな」
中空を見詰めて、少女はポツリと呟いた。
その響きに、BJはギクリとする。
何がと言われれば、明確に答えることは出来ない。ただ、少女のその口調と、中空を見詰める眼差しから、少女の内に閉ざされている歳月を垣間見たような、錯覚に陥ったからだ。
垣間見たような錯覚に、陥ったか、ら。
「私がいゆってこと、ねーたんがずっと気づかずにいたら、きっと幸せらったよね…」
遠く問いかけるように、少女は呟いた。
その答えは、分かる筈もない。
いや、そうであっただろう、と人は答えるかもしれない。
少なくとも、あのカニのような髪型の医師は。
「それは、どうかな」
天才外科医が答えた。少女はハッと彼を見た。
「もしもの話だ、成人してからの発見は、寄生主の激痛によりものが多い。つまり、体内で成長したため、体内器官を圧迫した為だ。
当然、命に関わるから、緊急手術となるだろう。お前は18年もの間、寄り添っていたんだ…随分と、ねーさん思いじゃないか」
「え…?」
きょとんとする少女の頭を、天才外科医は静かに撫でる。「さあ、もう寝ろ。そろそろ元気になってもらわないと、俺の自炊のレパートリーが尽きる」
「うん、明日には元気になるよのさ!」
服薬後、ほどなくして少女は眠りについた。
土鍋を片手に、天才外科医は、静かに寝室を後にする。
強い、と思う。
内面に秘めた強さは、少女が持って得たものなのだ。
だからこそ。
外面たる身体面をフォローをするのは、天才外科医の使命だ。
課せられた使命の重みを、緩やかに、大切に思うのは。
-終-
2011.10.31 コウ