それは、ちょっとした、気紛れであった。
術後に何度かの容態変化により再手術を繰り返し、危機的状況を脱したのが半月前。
数値も安定し、病院側に任せて大丈夫であろうと判断した天才外科医は、裏口から退出する。
数人の医師が言葉少なめに、礼を述べていた。
それもいつものことだ。
寧ろ、言葉で表す人間がいることのほうが稀であった。
裏口からでると、生暖かい風が吹いている。
薄暗くなり始めた駐車場を歩みながら、この半年で季節が移り変わりつつあるのを、肌で感じていた。
ふと、駅ビルのある賑やかな通り沿いに、こじんまりとした白壁の店が眼に入る。
二つ折れの黒板が看板代わりに置かれてあり、そこには数種類のケーキの名前が書かれていた。
つまり、そういう店なのだろう。
そういえば、看護師が、この店名のモンブランが絶品だとか、帰りにそれをお土産にすることを薦められた。
購入するつもりはなかったが、こうして通りかかり、尚且つ、この店の絶品とされる商品を思い出したのも、何かの縁だと思い、天才外科医は、店のドアを開けた。
■■
「おかえりなちゃーい!!!」
鍵を開けてドアを開けると、深夜に近い時刻だというのに、少女が飛び出してきた。
足に動物のように抱きつく少女を抱き上げると「まだ寝ていなかったのか」と天才外科医は、渋い顔をしてみせる。
「うん、ちぇんちぇいをまってたのよさ」
「…何時になるか、分からないだろう」
「れも、帰ってきた」
「今日は、たまたま、な」
「うん!」
ニコニコと笑顔を崩さない少女を見ていると、天才外科医は何も言えなくなってしまう。
小さく溜息をつくと、彼は少女の夜更かしを嗜めるのを諦めた。
「そうら!ちぇんちぇい、おいしいものがあゆんだよ!」
「…太るぞ」
少女は天才外科医の腕から降りると、まっすぐにキッチンへと向かう。
そのあとを、彼は無言で着いていった。
冷蔵庫を開けて、それを取り出すと、少女は「こえー!」と声をあげ、そして…。
「あえ、ちぇんちぇい、そえ…」
「…………。」
天才外科医が手にしている箱。
少女が、冷蔵庫から取り出した箱。
それは色、形、包み紙からリボンの色までがまったく同じ、例の店の名前が型押しされているものであった。
「あいがとうッ!!!」
途端に、少女は、花開くように笑顔を浮かべて、天才外科医の手から、慎重に箱を受け取った。
「ここのモンブラン、おいちいよのさー!ちぇんちぇい、ピノコのために買ってきてくれたんらー!」
「…被ったな」
「えー?でもうれちいー!ちぇんちぇいと同じものをピノコも買ったなんてー!」
恐るべきポジティブ発言だな、と思いつつ、天才外科医は食卓椅子に座った。
まあ、喜んでくれるなら、買って来た甲斐があったな、と考えつつ、これで暫くの間、間食はモンブランなのかと、考えた。
少女が、先生のために買ってきてくれた、モンブランを。
-終-
2011.6.25