岬の診療所の日常風景-チョコケーキ-

■ゆびきりげんまん


  「えー!ロクター、明日からいないのー?」
 少女の叫び声に、死神の化身は苦笑しながら、コーヒーを啜った。
「仕方がないだろ?俺だって仕事をしないと、生きていけないの」
「う〜〜〜」少女は目の前のチョコパフェを睨み付けながら「明日から新作のチョコケーキの練習すゆから、ロクターに試食係りをしてもらう予定だったのに」
「試食、ね」
 くっくっと声を押し殺して笑うと、死神は自分の頬を指差した。「駄目。俺、お嬢ちゃんのチョコケーキを食べると、すぐにお肌が荒れちゃうから」
「こまゆー!」
 非常に自分中心な発言を繰り返す少女は、頭を抱えて考え込むと、唸り出した。  こんな街中のカフェで銀髪男の向かいに座る少女が頭を抱えて唸る等、程よく奇異な眼で見られそうなものだが、周りの人間は自分の話題に夢中で、この奇異な二人組に注目する人間はいなかった。
「じゃあ」
 ぴょっこりと頭をあげて、少女は口を開いた。「ロクターの泊まるほてゆに送るから、教えてー!」

 ぶ。

 少女の発想に死神は思わず噴出しそうになった。
「あのね、お嬢ちゃん」笑いを堪えながら、死神は「一応、俺の仕事は裏家業だから、おいそれと教えられないのよ。お嬢ちゃんの先生に見つかったら、怖いもの」
「え〜」少女は満面に”不服”の二文字を浮かべて口を尖らせる。「それじゃあ、ロクターに何かあったら、わかんないよのさ」
「不吉なこと言うなよ」
「じゃあ、約束」
 やはり”不服”の二文字を浮かべながら、少女は小さな小指を死神の鼻先につきつける。
「約束?」
「約束」少女は言った。「帰ってきたや、ピノコのチョコケーキを食べに、遊びにくゆことー!」
「−−−−。」
 小さな幼い小指。
 そこに絡められる、約束という名の義務。
「分かったよ、お嬢ちゃん」
 その小指に、死神は自分の指を重ねる。
 少女の指は幼児特有の温かさで、幼児特有の柔らかさ。
 裏切れないと、思わせるほどの、愛らしさだ。

■誰かと一緒に


  食後のデザートは、チョコケーキだった。
 2ヶ月の海外出張の後の夕食。
 鯖の塩焼き、水菜のサラダ、いり鶏、味付けもずく。
 それらは定番のメニューであり、天才外科医もそれらを好んで平らげた。
 なのに、だ。
 何故、デザートがチョコケーキなのだろう。
 そこまで和食を貫くのなら、水羊羹や桜餅など、和食ならではのデザートがあるだろうに。
 否定的な事を考えてはいたが、チョコケーキが少女の手作りだと聞かされて、それなら、構わないか、と考えを改める。
 そんなわけで、いつものコーヒーカップと共に、桜色の小皿にのせられた四角のケーキをだされ、天才外科医は改めて自身の診療所に帰ってきたのだ、という実感を噛み締めるに至るのだった。
 そういえば、と思う。
 今ではこうして料理をするのは当たり前になったが、それはいつから始まった事だったか。
「ちぇんちぇい、おなかいっぱい?」
 ケーキを睨み付けたまま微動だにしない天才外科医に、少女は不安そうに尋ねてきた。
 自分の思考に没頭していた事に気づき、おもむろに天才外科医はフォークでケーキを突き刺すと、口に運びぱくりとかぶりついた。
 もぐもぐもぐ。
 咀嚼している横で、少女が真剣で熱い視線を送ってくる。
 大地色の瞳は綺麗に瞬き、子ども特有の無垢な純粋さを感じるが、その熱の篭る真剣みと、不安からくる憂いさは、幼いそれではない。そんな視線で見つめられたら、邪な気持ちが生まれるのではないだろうか、と天才外科医は他人からみればどうでもいい事を危惧しはじめていた。
「おいちい?」
 無言で咀嚼し続ける天才外科医に、少女は思わず尋ねてきた。
 小首を傾げて言うそれは、愛らしさを益々強調させ、天才外科医は、更に危惧を深める結果となった。
「……う、旨い」
「ほんと?」
「本当だ」
「うちょ?」
「嘘をついて、俺になんの得がある」
 天才外科医の言葉に、それもそうらね、と少女は笑って「よかったあ」と破顔した。「そえ、たくさん練習したんらよ!美味しくできたと思ってたけろ、ちぇんちぇいの口にもあってよかったよのさ〜!」
「…そうか」
 お世辞を抜きにしても、不味くはないと思う。
 少女は自分の分のケーキを一口食べて「うん!」と頷いた。「おいちい!ピノコ、ちぇんちぇいを思って作ったの!チュキな人のためにつくゆものは、なんれもおいしくなるんらって」
「そうか」
 コーヒーを飲みながら、答える。
 些か極論のような気もするが、これが自分のために作られた、たった一つのものなのだと思うと、むず痒いような、気恥ずかしいような気分にもなる。
 だが、だけど。
「作って食べてくえゆ人が、チュキな人だと、つくりがいが、あゆよのさ」
 
 作ってくれる人が、いることが。


2011.4.14
透明音階+(http://kewpiem.yumenogotoshi.com/)