その店に足を踏み入れたのは、連れの少女が「入りたい」と言った為だ。
それは、賑やかな異国の商店街。
石畳の歩道に連なるお店の一つ。
店先に並べられた色取り取りの愛らしい小さなそれは、子ども用の靴であった。
「そういえば、ピノコの靴も小さくなったのよさ」
可愛いものが大好きな少女は、その大地色の瞳をキラキラと輝かせながら、店先に並べられたそれを眺めている。
大きなリボンがついたものや、華奢なストラップのついた細いサンダルなど、女の子であれば夢中になるであろう細工であり、まるで、女性の宝石箱を覗き込んだような煌びやかさがあった。
少女は、その小さな手で、愛おしそうに一つの靴を選んだ。
それは薄いシースルーの生地に、ラメの散りばめられた子供用のヒールであった。
「…ヒールは駄目だ」
素っ気無く、天才外科医は忠告する。
「わかってゆ」
少女は小さく笑うと、下の段にあった、ピンク色のスニーカーを手にした。
「こえにすゆ」
「ああ」
少女はそれを持って、レジへと向かう。
年頃の女の子は大人の女性の真似をしたがるのは、万国共通だろうか。
少女は、見た目の幼さから考えられぬ実年齢をもつ一方、実体験が少ないため、本人が主張する”18歳”相応の理解とは言い難い。だが、だからと言って、見た目の”幼稚園児”程度の理解かといえば、そういうわけでもない。
その危ういバランスである少女に教える立場として、天才外科医は存在するが、彼自身の考えもまた、公平さを欠いていると言えよう。
だが。
幼い少女の履く靴に、ヒールはよくない。
それは、成長過程においての医学的根拠が明白であるが故であり、決して天才外科医の好みの問題ではない。
と、言っておくことにする。
何より、彼女が自ら持って生まれた肉体が歪んで成長するという可能性を、排除したかった。
綺麗な足でいてほしかったのだ。形成外科的に。そう、わざわざ付け加えて。
「あのくつ、ね」
新しいスニーカーを履いて、少女は機嫌よく石畳を歩く。
ぴょこぴょこという擬音をつけたくなるような動きの後ろを、天才外科医は歩いていた。
「ガラスの靴みたいだったのよさ」
「ガラスの靴?」
「ちょ、シンデレラに出てくる」
「そうか?」
「ちょっとだけ、似てた」
ぴょこぴょこと歩きながら「れもね」と少女は続ける。「ヒールは足にわゆいからーいらないのー」
「…別に、買ってもよかったんだぞ」
早口に天才外科医は言う。だが、少女は振り返って言った。笑って、楽しそうに。
「らって、おうじさまがきたやこまゆでしょー?だかや、がらすのくつはいやないのー!」
「そうか」
「んもーそこは”さすが、出来たオクタンだ”でしょ?」
「…王子の身分が保証されていれば、家にいれてやってもいい」
「んもー!ちぇんちぇい!」
幼い頬を膨らませ、少女は、ぷいと顔を反らしてしまった。
どうやら、トコトン、機嫌を損ねたらしい。
思わず、天才外科医は笑いを零していた。
「機嫌を直せよ、ピノコ」
「ぷん!」
「あの菓子屋のチョコレートの詰め合わせが旨いらしいぞ」
「え?ほんとに?」
振り向いたとたんに目を輝かせる少女に、天才外科医は口元の笑みを止めることができなかった。
王子様が来たら、困るでしょう?
だから、ガラスの靴は、必要ないの!
-終-
2011.10.13