家出(英国へ)


 ”今日の夕食は、テラス席で、フィッシュアンドチップスです。ジョンはケチャップがないから物足りないって言ってたけど、私はおいしいとおもったよ”
  
    そんなメール文の下に画像が添付されている。
 栗色の髪を背中まで垂らし、水色のワンピースを着た中学生ぐらいの女の子と、金髪の男のツーショット。
 なるほど。
 それを見て、死神の化身は呆れ半分で、納得した。

 
 仕事を終えて半月ぶりに帰宅した死神の化身は、ドアを開けて絶句した。
 玄関は、まだ無事だった。
 問題は、キッチンとリビング。
 綺麗に片付けて家を出た筈だったのに、キッチンのテーブルには、冷蔵庫にしまっておいたものは元より、棚のウィスキー、バーボン、果ては秘蔵のワインまで、隠してあったアルコール類の空き瓶が。
 そしてリビングは、まるで台風が室内を荒らし捲くったかの如くに荒れ放題。
 テレビはひっくり返り、本は床に散乱し、ソファーだけが無事であったが、そこには恐らく、この有様の元凶である人間が、大の字になって高いびきをかいて、睡眠中だった。
 天才外科医とも、悪徳無免許医とも呼ばれるモグリの黒医者、ブラック・ジャックである。
 この医者は、奇跡の腕をもつと言われるほどの人物であったが、ひどい気紛れであり、関心事も偏っている。  それは天才だけが持つ精神構造ゆえであるかもしれないが、そうであるのなら、一般人が彼に付き合うというのは、そうとう骨が折れることであった。
 事実、彼の友人と呼べる人間は、ある程度の距離を置いている。
 それが彼との付き合いを持続させるコツであり、唯一の方法であろう。
 死神の化身が何故だか、この男と付き合いが長いのは、そのコツを守っているからだ。
 だが。
 時々そのコツを蹴破って、天才外科医はまるでハリケーンの如くに暴れまわるときがある。
 そのハリケーン災害の原因は、常に一つであるのだ。

「俺は、悪くない」

 無理やり覚醒させると、天才外科医はこれ以上にないぐらいの不機嫌さで、死神を睨み付ける。
「じゃあ」死神の化身は彼の携帯電話を見ながら「なんで、お嬢ちゃんは、今、ロンドンにいるの。それも男連れでさ」
「その男はゲイだ!別に問題ないだろう!」(注、違います)
「あ、そう」
「なんだ、その言い方は!」
「あのね、先生」死神は言った。「お嬢ちゃんは、勝手に旅行に言っちゃうような人じゃないでしょう?先生を置いて渡英しちゃうなんて、よっぽど怒っているんだろ?」
「俺は悪くない」
「あ、そう」
 死神はよいしょと立ち上がる。
「何処へ行くんだ」
「ロンドン」死神はあっさりと告げた。「自分が悪くないって、一点張りの先生に付き合ってらんねえよ。俺もお嬢ちゃんに合流するさ」
「待て!ふざけるな!」
「ふざけているのは、どっちだよ、先生」
 真剣に問われ、天才外科医はその口を思わず綴じる。





「ピノコちゃん、大丈夫なのかい?」
 心配そうに尋ねてくる英国人の彼に、少女は「大丈夫、たまには困っていればいいよのさ」
 相当怒っているのだろうな…と英国人は考えるが、何せ、相手はあの悪名高い天才外科医。
 下手をすれば自分の命も危ないであろうと、密かにため息を吐いた。
「…あやまれば、ゆゆしてあげるのにね」
「原因は?聞いてもいいかな」
 英国人の言葉に、少女は困ったように笑いながら「笑わないで聞いて」と前置きをした。「…ちぇんちゃいが、勝手にピノコの携帯電話を見て、クラスの男の子に返信のメールを出してたのー!!」
「…そりゃ、プライバシーの侵害だねえ…」
「でしょ!もう、いっつも勝手にするんだから!!!」
「それだけ、ピノコちゃんのことを、全部知りたいんじゃないかな」
 英国人の言葉に、少女は可愛いらしく小首をかしげる。「そえって、ピノコがオクタンだから?」
「そう、妻だから」
「じゃあ、仕方がないのよさ〜!」
 わかりやすく機嫌を直した少女に、英国人は密かに安堵する。
 あとは、彼女をすみやかに母国へと送り出すだけだ。
 さて、どうするか。


   がんばれ、ジョン!キリコ宅の有様は君の手にかかっている!(苦笑)

-終-

2011.12.1