初詣


 あれだけ”おめでとう””新年””あけまして”と騒いでいたテレビも、その挨拶を言わなくなったのは、年が明けて一週間以上が経過したからだ。
 生活は通常にもどり、あれだけにこやかであった通行人も、今は無表情で足早だ。
 変わり身が早い…といよりも、ただ単に平常に戻っただけ、ということだ。
 そんな、世間が新年という浮き足から、日常という地に足をつけた頃に、天才外科医の助手である少女は神社の前に立っていた。
 美容院で着付けしてもらった、明るい赤地の振袖を身に纏い。
 菊や桜に楓などの繊細な染め上げは桃色が中心となり、可愛いらしくも華やかに。
 明るい桃色地にの長襦袢と薄い色の重ね衿、八掛。
 子供用の着物としては大分値の張る正絹のそれは、天才外科医が「似合いそうだったから」という理由で購入してきたものだった。
 それが”子供用高級着物ブランド”という名目があると知り、少女は”子供”の二文字に随分とむくれたが、実際に着付けてみれば、とても愛らしく、そしてよく似合っていた。
「いいじゃないか」
 天才外科医の、その、たった一言で、この着物は少女の宝物ランクの上位におかれることとなる。

 その宝物ランキングで上位をしめている着物を着て、この寒空の下に佇む理由は単純だ。
 年末に緊急手術に入った天才外科医からの、電話。
 容態も落ち着いたから、半日程なら外出できる、とのことだった。
 だったら、初詣に行こうよ、と少女が申し出て、お前、まだ行ってなかったのか、と呆れつつも承諾してくれたからであった。
 天才外科医が手術に入った病院から、一番近い神社。
 そこは、ちょっとだけ有名であり、この時期はずれにも関わらず、参拝客が割りといる。
 そんな中、幼い少女が着物姿で1時間も佇んでいれば、心配そうに遠目で眺められることとなり、少女はため息を吐いた。
 遅い。
 そう思うと、俄かに不安がざわざと侵食してゆくようだった。
 急変したのだろうか。
 可能性を少女は考える。依頼人である患者の容態が急変すれば、先ず、今日の予定は吹っ飛ぶのだ。
 だが自分との予定を反故にすることによって、依頼人が持ち直すのであれば、喜んで反故にされよう。
 大丈夫、と少女は思い直す。
 待ちぼうけは、慣れている。

「やだ、久しぶり!!!」

 派手な着物姿の女性が、満面の笑みを浮かべて声をかけあっていた。
 そういえば、今日はやけに着物姿の若者をみかける。
 不思議に思って、悴んできた指先を重ねて少し擦ってみた時に、不意に会話の単語が少女の耳に入り込んできた。
「買っちゃったよ!振袖ー!」
「えー?どーせ着るの今日だけじゃん」
「ねーちゃんの結婚式にも着るもん」
「あたしは、成人式パック。写真付きで安いよー」

 ああ、と少女は思いたつ。今日は成人の日であったか。
 途端に、胸のあたりが、きゅうと締め付けられて、思わず、拳で胸を押さえる。
 






 少し小走りに、天才外科医は道を急いでいた。
 約束の時間は1時間以上前に過ぎていた。
 怒って帰っただろうか、そう思いつつも天才外科医は歩みを止めない。
 携帯電話はポケットにあったが、連絡をとる暇さえも惜しいと思う。
 第一、連絡などいれなくとも、少女は待っている筈だ。
 行き交う人間が、派手な着物姿の若者が多いことに、BJは4人目で気づいた。
 正月も随分と前に過ぎたというのに、どういうことか。
 歩みを速めながら、BJは軽く思考する。そして1月ということと、着物姿の人間が皆若いということから、今日が成人の日であるということに気づいた。
 不味い日に約束をした、と天才外科医は嘆息する。
 少女の体は幼稚園児ぐらいにしか見えないが、その中身はれっきとした大人なのだと主張する。
 確かに、姉の体内に寄生し共に育った彼女には、長い年月を行き続けていた”時間”があるのだ。
 だが認知適応面でいえば、まだまだ経験不足ではある。
 そのアンバランスさを、少女は器用にバランスを保ちながらも日常をこなしていた。
 幾つかの新成人と思しきグループの中に、少女がいた。
 まるで迷子になった幼い子どものようであった。
 いや、違う。
 その悲しそうな表情は、泣き顔や不満顔ではない。
 それは他人に干渉を赦さぬ様な、烈しくも深い辛さと切なさを抱えた、淋しげで虚ろな表情であった。
 己の人生を悔いるか、それとも。
 一瞬、声をかけそびれた天才外科医を、今度は少女が見つけた。
「ちぇんちぇい!もうおちょい!」
 先ほどの表情は霧散し、すでにいつもの幼い少女となった小さな助手は、振袖の袖を持って「ろう?」と笑った。
「ああ、いいんじゃないか」
「あいがとう!ちぇんちぇい!」
 その笑顔に、天才外科医もつられて微笑んだ。
 そう、少女の笑顔にはそんな力がある。
「患者ちゃん、ろう?」
「悪かったら、ここにはこれない」
「そうらね…ちぇんちぇい、甘酒のみたいー!そえから、おみくじしてー…」
「…分かった、分かった」 
   そっと少女の手を握る。冷たくなった手は微かに震えていた。
 それを包み込むように、握りなおす。
「はぐれるなよ?思ったより人が多い」
「そうらねーちぇんちぇい、手、はなちゃないれねー」
「ああ」
 しっかりと、手を握りなおす。
 それほど多くもない石段をのぼり、鳥居をくぐった。

 手を、しっかりと、握ったまま。 

 

-終-

2012.1.8 コウ