庭いじり


 死神の化身という二つ名を持つ医者、安楽死を専門とするドクターキリコは、天才外科医と謳われる医師、ブラック・ジャックの家を訪ねた。
 そこで、普段はお眼にかかれない光景を見ることとなる。
「…何してるの、先生」
 きっちり30秒ほど絶句した後、死神はその背中に話しかけた。
「ああッ!?」
 途端、暴力団顔負けの凶悪な人相で、振り返られる。
 ぎろり、だとか、ぎん、だとかいう硬質な効果音が聞こえそうなほどの睨みに、死神は隻眼を瞬かせて、もう一度尋ねた。
「だから、先生、何してるの」
「黙れ、死神。見ての通りだ」
 天才外科医は、視線を元に戻して、黙々と作業を続行する。
 …見ての通り。
 死神は、もう一度、隻眼を瞬かせる。
 もしも、今の状況が眼で見て判断できるものであるのなら、天才外科医は麦藁帽子を被り、手には白い軍手を嵌めて、気持ちのいい空の下、花壇の草をむしっている……ように見えるのだが。
 そして、その背中は、邪悪なオーラが噴出し、形相も鬼のよう。
 普通、花壇の手入れというものは、そのような殺人を犯しそうな雰囲気でするものだろうか?
 それとも、やはり天才たるもの、雑草の生命を奪う事にも、全力投球で挑むものなのか。
「えっと、お嬢ちゃんは、いないの?」
「ピノコになんのようだ」
 声に殺人オーラが上乗せされた。
 ああ、つまりそういうことなのだ。
「いないのね、つまり、デート?」
 わざと”デート”という単語を語尾につけてやる。つまりそういうことだろう。
 ぴくりと点差外科医は肩を震わすと、振り向きざまに、何かを高速で放ってみせた。
 それを反射的に避けると、その背後に止めてあった、死神の愛車であるハーレー・ダビッドソンのシートにぐっさりとささる。
 園芸用の鎌であった。
「あああああああ!おま…殺す気かッ!?」
「望むならな」
 眼の据わった天才外科医。だめだ、このままでは、お話にならない。
「先生、とりあえず、休憩しようよ。俺、アブサン持ってきたの」
「そんな依存性の高い酒なんか飲むかッ!」
「まあまあ、先生、疲れたでしょ?ほら、休憩、休憩」
 飲んだら俺も手伝うから…という死神の言葉を聞いて、天才外科医は渋々といった動作で立ち上がった。
 ついでに伸び上がり、腰を叩く仕草に、死神は視線を逸らす。

 死神が持参したアルコールの瓶5本強に、隠し持っていたミニボトル2本まで全て一人で空にし、喚く、暴れる、胸倉掴んで背負い投げはする。腕ひしぎにドロップキック、回し蹴りに巴投げまで披露した所で、やっと睡魔に負けてくれたのだった。
 ソファーにひっくり返って高いびきの天才外科医に、バスタオルをかけてやり、死神は荒れ果てた岬の家のリビングを片付け始める。
 手馴れているのは、こんな事がよくあるせいだ。
 換気して、ファブリー○をかける。
 こんな昼間から、アルコールを摂取したことがあの少女にばれたら怖いらしい。
 1時間かけてほぼ元通りにしてから、死神はふと一息をつく。
 途端、静かなリビングに天才外科医の携帯電話が存在を主張させるベル音を響かせた。
 出るわけにもいかないので放ってほくと、留守番電話に切り替わり、相手の声が微かに聞こえてくる。

『ちぇんちぇいー!でてよー、ピノコらよー!あと20分で駅にちゅくから、むかえにきてー!ジョンもいっちょらからねー!』

 少女の愛らしい声が20秒ほど響き、電話は切れる。
 死神は、ニヤリと笑い、天才外科医の携帯電話を自分のジャケットのポケットに入れると、天才外科医のセダンの鍵を手にした。
「飲酒運転になるしな。あー俺って親切」
 嘯きながら、死神は車庫へと向かう。
 
 事の起こりは、少女の携帯電話にかかってきた、電話だったという。
 少女が、花びらの落ちたチューリップを剪定しているのを、天才外科医が何とはなしに眺めていた、穏やかな午後。
 電話の相手は、元患者の弟とその同居人。
 特に少女は、その同居人と何故か仲がよく、時々、メールのやりとりをしているのだ。
「ちぇんちぇい、あのね」
 英国人である相手と、片言の英語と日本語の会話を終えてから、少女が困ったような顔をして、見上げてきた。
「あのね、ジョンが、今、東京駅にいゆんらって。…そえで…」
「別に、構わんぞ」
 会いに行ってもいい?という言葉よりも早く、天才外科医は答える。

   満面に笑みを浮かべた少女は「ちぇんちぇい、あいがとー!」と頬にキスの雨をふらしてから、急いで出て行き、話は冒頭の光景に繋がるのだ。
「変わりに俺が手入れをしてやったんだッ!中途半端はよくないからなー!!!!」
 瓶に直接口をつけて、天才外科医は真っ赤な顔で雄たけびをあげる。
 嘘をつけ。と死神は心の中で思う。イライラしすぎて、机上の作業がはかどらないから、体を動かしていたんだろう?
 物分りのいいフリをして、実態はこれだ。
「ま、その、恋敵って奴を見てみたいしな」 
     とびきり面白い玩具を手に入れたような気分で、死神は天才外科医のセダンのエンジンをかけた。


 天才外科医の怒りが爆発するまで、あと40分。




      ※…元患者の弟は調査中ってことで(まてまてまて)


-終-

2011.5.16 コウ