理由


 今年の異常気象は日本全土を襲い、この岬の診療所もその猛威からは、当然ながら逃れられなかった。
そんなわけで、例年ならチラチラと舞い降りる程度の雪が降り積もり、あたり一面を白くするだけでは飽き足らず、存在を主張するかのように積もり積もって、助手の少女御用達の商店街をはじめとする都市機能を完全にパニックに陥れた。
なるほど、東北地方で聞かれる『雪害』とはこういう事をさすのだな、と天才外科医は暢気に思う。とにかく、あの美しい結晶が、このような災害を引き起こすのだから、自然とは人知の及ばないものなのだと、改めて思い知らされた気分だ。
 たかだか10センチの積雪なのだが、スタッドレスタイヤに冬場は履き替える習慣のない地方の人間には、この積雪はかなり迷惑な話だ。
少女が紅茶色の髪の毛に白い雪を乗せて買い物から帰ってくるたびに、車で送って行きたいのだと思うのだが、たかだか10センチに、天才外科医のセダンは勝てないのだ。
 午後の早い時間であるというのに、空は斑な灰色。
 ちらつく白いノイズのような雪は強さを増してきたようだ。
 その冷気が入り込んだかのように、室内は暖炉が赤々と燃えているのに、冷え切っているような感覚だった。
「たっらいま!」
「ああ」
 元気に帰ってくる少女を見ながら、天才外科医はため息をつく。
 はやく気候が穏やかになればいい。
 そうすれば、少女も楽に生活できるのに、と思う。
「あえ?遅かった?ちぇんちぇい、ごめんなちゃい、お茶、いれゆね」
 無言の心配をどう感じ取ったのか、少女はコートやマフラーを急いで脱ぐと、キッチンへと飛び込んで行く…のを、天才外科医は阻止した。
「??」
 手を掴まれて、少女は不思議そうな顔をした。
 小首を傾げて「ちぇんちぇい?」と大地のような琥珀色の瞳が、見上げている。
「……そう、急ぐこともない」
 天才外科医は、少女の手を引いて、暖炉の前のクッションの上に座らせた。
 ぼさっ。と少女の頭の上に、少女のお気に入りのピンクのフリースのひざ掛けを落とす。
「先ずは、冷えた体を温めろ。体温が低いまま動くのは、生体活動によくない」
「あーい」
 素直に少女は返事をした。
 そして、フリースを肩にかけてくるまりながら、暖炉の前でゆらゆらと、左右に揺れている。
 まるで起き上がりこぼしのようだ、と天才外科医は思う。
「あったか〜い」
 笑顔を浮かべながら、少女は、ことんと横に倒れた。
 まるで、愛らしい人形が、倒れてしまったかのような光景だ。
「おきあがれない〜」
 寝転がったまま、少女は助けを求める。
 フリースに包まって寝転ぶ姿に天才外科医は、小さく息をのんだ。
 平静なふりをして、起こしてやる。
 また元のように座ると、少女がえへら、と気の抜けたような笑顔で、天才外科医を見上げた。
「あいがと、ちぇんちぇい」
 フリースに包まる少女、その笑顔。
 天才外科医は、ぽんぽんとその小さな頭を軽く叩くと「気をつけろよ」と離れようとした。
「あ、まって〜」
 ころん。
 立ち上がった天才外科医の足元に、今度は仰向けで少女が転がった。
「おきあがれない〜」
「……何をしているんだ、お前は」
「らって」
 寝転んだまま、少女は。またえへらと笑う。「ちぇんちぇいが、ピノコを起こしてくえゆのが、嬉しくって」
「なんだそれは」
「起こして〜」
「………。」
 もう一度起こしてやり、天才外科医は少女の背後に腰を下ろした。
 そして、手にしていた論文のプリントアウトに眼を通す。
「ちぇんちぇい?」
「また、倒れられたら、面倒だからな」
「もうすぐ、温まるよ」
「温まったら、コーヒー」
「あ〜い」
 ぬくぬくと温まる少女。その背中を預かるように座る天才外科医。
 空気はいつの間にか優しいものへと変わっていることに、彼は気づいてはいない。

 それは、二人で過ごす為の”理由”でもあり
 二人で寄り添うための”言い訳”も含んでいる。

 ただ、互いだけが、気づいていないだけ。

-終-

2011.1.29