ほんの成り行きで、俺は女を買う事となった。
裏路地の安宿にある飲み屋であったから、それはある意味必然ではあったのだが。
そういう気分ではなかったが、成り行きであったから、深くは考えない。
好みの女でもなかったが、たかだか一夜の話であるのだから、どうでもいいことだった。
女がわざとらしく俺の肩にしだれかかり、大きく丸い乳房を腕に押し当ててくる。
感触からして、粗悪な詰め物を皮膚下に入れたと知れた。
それまで静かな飲み屋であったのに、唐突に騒がしくなったのは、例の悪徳無免許医が乗り込んできたからだ。
「キリコッ!!」
奴は俺の名前を呼びながら、近づいてくる。
顔に傷のある、黒ずくめの男が大声を出せば、大概のものは怯えるのだ。
「何だよ。聞こえてるよ、先生」
俺はトリスの入ったグラスを煽りながら言った。
奴は俺の顔を見、そして隣の女を見て、ますます殺意を滾らせた。
表情は乏しいくせに、眼光と気配は殺人級だ。
「その女は」
蒼褪める女を睨みながら、奴は尋ねてくる。
「言い値」
「くそッ!」
懐に奴は手を突っ込むと、札束を女に投げつけ俺の腕を掴むと、ぐいぐいと引っ張りだす。
「飲み代込みだ」
「うわあ、太っ腹」
10万はくだらない札束に向かって叫べば、奴は酷い形相のまま俺の腕を引っ張り店の外へと連れ出した。
「何処行くの。俺の宿、あそこだったんだけど」
「なんで、あんなとこに泊まるんだ。馬鹿」
酷い言葉を吐きながら、奴はもう少しランクの高い宿に俺を押し込んだ。
そして、去ろうとするので、今度は俺が奴の腕を掴む。
「なんだ」
「一人で寝ろって?つれないじゃない」
「ふざけるな」
「俺から女を取り上げといて。せめて、先生が添い寝してよ」
耳元で口説けば、奴は体の力を抜いて、立ち止まる。
乱暴に組み敷けば、あっさりと。
そのつもりだったの?と聞けば、拳が飛んでくる。
全身にちらばる、縫合痕を丁寧に舐めれば、熱い息遣いを漏らしながら、かたくシーツを握りしめた。
その手がカタカタと震えている。
ああ、と俺は気づいたが、それはそれ。
互いに仕事であった。成功にしろ、失敗にしろ。
確率の問題で言えば、奴の勝率は高い。だが、100%というわけでもない。
この男の矜持は、恐ろしく強固で深く、凡人の俺などには理解出来ない。
それでも、だからこそ。
驚くほど繊細で、脆い瞬間がある。
それを掬いとってやった時から、とてもじゃないが、危なっかしいと思い知らされた。
今は、この男の診療所には、この男でなければならない存在がある。
だから、まだマシになった方。
それでも、例えば、今日のような時なんかは。
「強情だよね、お前は」
歯を食いしばり耐えるのは、この行為ではない。
凡人なら恐らく、泣き叫び、暴れ、発散しなければ立ち直れない。
だが、この男は歯を食いしばり、耐えようとする。
「強情」
「ッぎゃ…キリコッ!!」
思わず、この男が悲鳴を上げた。
当然だ。俺は手にしていた煙草を、乳首に押し付けたのだから。
じゅう。と肉を焼く音。匂い。
「てめ…このサディストッ!」
「はいはい。俺はサドなの。お前が泣き叫ぶのが好きなの」
「ぎゃあッ!…くッ…あぁああッ!!」
焦げ跡がつかないように。乳首、大腿、腋下をライターで炙る。
全身を強張らせて、悲鳴を上げる様はなんとも哀れだ。眼にはうっすらと涙すら。
「火事になったら…どうする、んだッ!!」
「うわあ、それは悲惨な死に方だな」
「ふざけんな…冗談じゃ、なぁあアアッ!」
「嘘嘘。ほら、火を消したよ、えらいだろ?」
かちん、とライターの蓋を閉めてベッドの下に放り投げる。
あとは串刺しにした男を鳴かすだけ。
腰を動かせば、迸る嬌声が室内に長い事響き渡っていた。
散々鳴いて、泣いて、喚いて、悪徳無免許医はドロドロになって眠りこけている。
この男に付き合ってやる自分も、甘いなと思う。
「ま、ご馳走様でした」
咥えた煙草から紫煙を燻らせながら、俺は、あの安宿へ戻るべきかを思案していた。
もうすぐ、夜明けが来る。
-終-
2015.1.11