まだ秋でも冬でもなかったが、肌寒い感じがする。 それを彼に告げると、彼は笑いながら暖炉に火を入れてくれた。 北米の気候は、君には寒く感じるかもな。 彼は笑いながら、そんなフォローをしてくれる。 半年に一度。 俺は彼の故郷である北米で一ヶ月ほど休暇をとる。 湖畔の山小屋であるため、人との接触はほとんどないのが、正直、ありがたかった。 この場所であれば、俺は誰にも触れられる恐れは無い。 もう随分前から、俺は人に肌を触られることが、苦痛になっていた。 それは、あの男からの狂気じみた調教のせいであり、同性から性的処理の対象の眼でみられる事に耐えられなかったから。 彼は、彼なら、そんな眼で俺をみないから。 身勝手に、俺は彼に委ねきっていた。縋っていた。きっと俺は彼にとってお荷物であり、枷なのだ。 俺さえいなければ、彼はもっと自分の為に生きられる。 俺がいるせいで、俺のせいで。 「影三」 不意に彼に呼ばれて、意識が現実に戻る。 顔をあげると、驚くほど近い位置に彼の顔があった。 「コーヒーだよ…飲むだろう?」 「いただきます」 オレンジ色のマグカップを手渡され、その温かさにホッとした。 マグカップに口をつけて、コーヒーを啜ると、彼は安心したように自分のコーヒーを啜る。 ああ、まただ。また、彼に心配をかけてしまった。 彼の眼差しが、泣きたくなるほど優しかった。 油断すると、彼に縋りつき、泣きながら、総てを吐露してしまいそうになる。 コワイ クルシイ タスケテ クロオ二アイタイ ミオニアイタイ 口にしても仕方がない事ばかりだった。彼に余計な心配をかけるばかりだ。 大丈夫、俺は大丈夫だ。 暗示をかけるように、俺はいつも言い聞かせる。 ぱちぱち…と暖炉の炎は赤々と踊っている。 その自然の芸術は、何時まで見ていても、飽きない。 近づきすぎると、熱郛が顔を焦がすようだ。見えない壁に圧し戻されるような感覚で。 その踊る炎は、ゆっくりと薪を灰にしていく。 加工されたものでなければ、炎は物体を焦がし、灰へと変えてゆく。 炎。 数年前。妻は死んで火葬された。 彼女のあの愛らしい顔も、綺麗な手も、白い足も、体も、その総てが焼却されて、後は白い骨へとなってしまった。 こんな、こんな、オレンジの炎だったのだろうか。彼女の肢体は黒く焦げ、焼き尽くされてしまったのだ。 君のあの笑顔を見ることは、二度と出来ない。 俺のせいで。 俺が、俺があの時に、満徳の元へ早く戻れば、君も黒男も無事でいたのだろうか。 満徳の性処理奴隷にでも、早くなっていれば、君は生きていられたはず。 俺が、俺が君と、黒男と離れたくないと、願ってしまったばっかりに。 俺が君と結婚してしまったばっかりに。 赤々と萌えつづける、暖炉の炎。 君は、こんな炎に焼かれてしまったのか。 もしかしたら、まだ君は、この炎の中にいたりしないのだろうか。 もしかしたら、君の魂はこの炎の中に閉じ込められていたりしないだろうか。 もしくは 君の住まう世界が、この炎の向こうにあるのか。 手を伸ばしてみる。 暖炉の炎、その熱風がまるで手を焦がすよう。 だけど、だけど、こんな風に、例えば、炎の中に君がいたら、俺は君に触れられたりしないのだろうか。 熱く、熱く、皮膚が焦げてゆくのを、ぼんやりと眺めていた。 もう少し、手を伸ばしてみれば、もしかしたら。 もっと、近づけば、あるいは。 「影三ッ!!」 ものすごい勢いで、俺は暖炉から引き離された。 伸ばした手が、ジンジンと痛む。火傷したのかと、他人事のように思う。 見上げると、泣き出しそうな彼の顔があった。 ああ、また、心配をかけてしまった。 「…みおがいるのかと、思ったんです」 処置を受けながら、俺は小さな声で呟いた。 彼は「そうか」といった。「暖炉の中に、みおちゃんはいないよ、影三」 「そうですよね」 そうだ、当たり前だ。 炎の中にどれだけ手をのばしても、そこにみおがいるはずがないのに。 「エド…ごめんなさい…」 素直に、俺は謝った。 赤々と燃える暖炉に、入って行くところに見えた。 彼は薄っすらと笑みすらも浮かべながら、暖炉の中へ身を投ずる寸前に見えたのだ。 血の気が引いた。無我夢中で、彼を暖炉から引き離した。 行こうとしていたのは、すぐに分かった。 暖炉の炎に焼かれ、彼は愛する彼女の元へ逝こうとしていたのだろう。 止めなければよかったのだろうか。 その方が、彼には幸せだったのだろうか。 「エド…ごめんなさい…」 「いや…」 謝罪する彼に言葉がでない。触れたらこのまま脆く崩れてしまいそうな彼に、何と言えばいい? わからない。私には、分からない。 だから。 ジョルジュは、ゆっくりと影三の体を抱き締める。 何処にもいかないで。お願いだから、ここにいて。 そんな懇願に近い思いを胸に、優しく、なるべく温かに。 「愛してる、影三」ジョルジュは、小さな声で告げる。「…愛してる…だから、一人で死ぬな…」 「死にませんってば」 腕の中で、彼は笑って言った。「俺は死にません。俺は、絶対に生き抜きます。必ず」 「…そうか…」 彼の決意に、胸が痛くなる。 もっと、私を利用すればいい。 お願いだから、一人で抱え込まないで。 「愛してる…」 軽く、彼の唇に口付ける。 どうしたらいいのかなんて、分からない。 君を救う手段が、私には分からない。 暖炉は、静かに、燃えている。 ブログより再掲載 2011.10.15