USAGI NO NETUKE
新しい年を迎えたからと言って、ロンドン警視庁の刑事たちにとっては、1月は12月の翌月にすぎない。
1月に入りめっきり犯罪が減ったとか言うのなら、新年も素直に楽しく祝えそうな物だが、生憎と犯罪者にはそのような情緒は持ち合わせていないようだった。
白い粉雪が街を染め、喋る度に染まる白い息にもウンザリし、手袋を嵌めていても悴む指先を軽く擦りあわせてみる。
そんな時だった。
辻馬車がレストレードのすぐ脇に止まり、中から背の高い紳士が揚々と降りてくる。
シャーロック・ホームズだ。
「ホームズさん、新年おめでとうございます」
「ああ、おめでとう警部」
で、と探偵は灰色の眼を爛々と輝かせながら、現場はどこだね?と聞いてきた。
無感情な声だが、恐らく子供のように楽しみにきたに違いない。
余程、平和なクリスマス休暇だったのだろう…と思いつつ、辻馬車から降りてきたのが彼だけである事に、警部はしまった、と心の中で舌打ちをした。
「ワトスンさんは、往診ですか?」
「ああ。今朝、子供が高熱を出したとかでね」
死体に張り付いてあれこれ調べながら、探偵は答える。
探偵の相棒であり親友であり宥め役であるワトスン博士が不在であることが、警部の気を引き締めた。
この探偵、優秀であるのだが、如何せん奇人変人であり、こちらの何気ない一言が地雷と成り機嫌を損ねる事となる。
その際にその地雷被害を最小限に抑えてくれるのが、ワトスン博士なのだ。
これは細心の注意が必要だ…そう考えつつ、立ち上がった探偵が触れる金鎖に自然と眼がいった。
懐中時計の金鎖にソブリン金貨とそしてもう一つ…見覚えのないものがある。
探偵はそれに触れながら、思考へと入り込んでいた。
なんだ?
なんとなく興味をひかれて、探偵の手元を見つめていると、いつの間にか探偵がコチラをみていたので、慌てて視線を正す。
「警部」探偵は言った。「これが気になるのかね?」
意外な事に、探偵は自分が手で弄んでいるものを、摘んでこちらに向けてくれた。
それは豆粒大のウサギであった。
象牙を削りだして作られたと思われるそれは、繊細な細工が施され、愛らしいウサギであることを一目で確認する事ができたのだった。
「これは、見事なウサギですね!」
警部は感心したように見つめていた。「これは、細かい…!一体、どうしたのです?」
「ワトスンの仕業だよ」大袈裟なため息をつきながら探偵は口を開く。「彼の患者に日本人がいてね、これはその患者から貰ってきたものらしいよ。ネツケと言って、一種のアクセサリーらしい。二つあるから、一つは君がつけるといい…てね。大の大人がこんなおもちゃをつけるのはどうかと思ったんだが、細工が見事だからね」
「ワトスン先生も同じものをつけていらっしゃるんですか?」
些か驚きの声をあげながら、警部はうさぎを見た。
顔らしき塗料が剥げ掛かっているのは、元々なのか、それとも、探偵がそれだけ多くこのウサギを撫で回しているせいか。
「あきたら、外すつもりだがね」
探偵の言葉は、言い訳にしか聞こえない。
彼がうさぎに触れる手つきは、とても優しく、愛しく、まるで彼の不在を補うようで。
2011.1.9
不良保育士コウ
小説原案:tui様