ハンドガン
ホームズが外から戻ると、ソファーの上でワトスンが眠っていた。
三日三晩。完全なる徹夜を強いた朝の出来事だった。
膨大な資料から、たった一つの小さな顔写真と、たった一つの単語を見つけ出す作業を、同居人である医師の彼は、文句を垂れながらも手伝ってくれたのだ。
私でなけければ、とっくに倒れてるぞ。
皮肉混じりに告げる彼は、医師という職業は体力勝負なのだと、よく言う。
元軍医でもある彼は、体力的にも精神的にも常人よりもタフであった。
決定打とも言える証拠を見つけ、探偵は飛び出していき、レストレードを唸らせて戻ってきたところだった。
あとは警察の仕事だ。進展があれば、連絡が入る。
そう告げようと戻ってきたホームズを出迎えたのが、同居人の寝顔だった。
クッションを二つ重ね、それに頭を乗せて膝を立てるという、少し行儀の悪い姿勢での睡眠であった。
手には、彼の愛用の拳銃である軍用制式拳銃である、アダムズ1872年型マークIIIモデルが握られている。
ソファーの前にあるテーブルの上には、拳銃のメンテナンスキットが並べられていた。
つまり、彼はホームズが戻ってくるまで、眠気覚ましに拳銃のメンテナンスを行っていたのだろう。
そして、ソファーに寝そべり、点検をしていたところで、睡魔に打ち負かされた…といったところだろうか。
ホームズは状態を屈め、同居人の顔を覗き込んだ。
すうすう、と穏やかな寝息を立てて眠る彼は、実年齢よりもずっと幼く見える。
こんな無防備で、こんなに穏やかな表情で眠る彼を見られるようになったのは、いつの頃からだったか。
眠る彼の指から、そっと拳銃を抜き取り、テーブルの上に、ことりと置いた。
細かい傷の多いそれは、よく磨かれて鈍くも綺麗に輝いている。
手持ち無沙汰であれば彼はよく、この拳銃をメンテしているから、当然ではあったが。
ふと、彼の指が動いた。
手にしていた拳銃を探しているのだろが、その動きは拙く、それでも必死にみえた。
まるでそれは、恋人を求めるかのように。
彼の手でいつも整備されている、リボルバー。彼はそれをとても大切に扱っている。
手にしている時は、片時も離さない。まるで、頼もしくも、愛しいものであるかのように。
ホームズは拳銃を手にした。
6インチはあるそれはズシリと重く、まるで探偵を拒んでいるかのよう。
だが、それに構わず、探偵は弾倉に拳銃弾を押し込むと、壁に向かって発砲した。
乾いた銃声が室内に響き渡る。
「ッな…!」
突然の銃声に、ワトスンは飛び起きて身構えていた。
翡翠色の視線が素早く警戒を濃くし、自分の現在いる場所を視認すると、ハッとしたような表情でホームズを見上げ、視線も険しく、口を開いた。
「なんて事をするんだ!返してくれ!」
「メンテナンスが完璧か、試し撃ちをしたんだ」
シレっとホームズが答えると、彼はいよいよ荒っぽい口調になった。
「室内で試すんじゃないッ!またハドスン夫人が卒倒するだろうッ!」
「メンテナンスは、完璧だったよ、ワトスン」
笑いながら、ホームズは拳銃をテーブルに置く。
取り返すべく、拳銃に手を伸ばしてきた彼の手を、拳銃ごとホームズは押さえ込んだ。
「何をするんだ」
「別に」ホームズは答える。「君の手は、医術以外でも器用だな」
「嫌味か、ホームズ」
「本音だよ」
「手を離したまえ」
彼の翡翠色の眼が怒りに染まりはじめたとき、何事なんですか、と呆れたような口調で、ハドスン夫人がドアを開けた。
手にした銀盆に置かれた電報を、探偵は嬉々として受け取り、中身を読む。
「レストレードからだ、やっと見つけたらしい」
「そうか!」
言葉を聞いて、彼の頬がパッと赤くなった。
三日三晩の成果が実を結んだのだ。嬉しくなる気持ちはよくわかる。
「すぐに出るんだろう?」
「ああ、勿論、来てくれるんだろう?ワトスン君」
「当然だよ!」
ワトスンは拳銃を掴むと、ジャケットの内ポケットに突っ込んだ。
それをちらりと見て、ホームズは小さく息を吐く。
だが、次の瞬間には、展開をみせた事件の事に、集中したのだった。
2011.6.19
※鍵ブログの現代設定のものを19世紀版に手直ししました。