A lullaby; a cradle song

   最終の列車に揺られ、探偵と医師は下宿へと帰ってきた。
 田舎の凄惨な事件を解決し、無実の罪で苦しむ青年を一人救うことができた。
 知能の高い男の完全犯罪を暴き、探偵は気分が高揚していたのか、帰りの列車ではベルニーニのバイオリンの超絶技巧の話を延々と聞かされ、医師はふむふむと頷きつつも、疲労困憊の意識をなんとか覚醒レベルを保ちながら、下宿へ戻る事に成功した。
 そして、挨拶もそこそこに、寝室へと篭ったのである。
 何か物音がした為に眼が覚めたのは、ベッドにもぐりこんでから30分経った後であった。
 医師は職業柄、短時間で疲労回復をする能力を身に付けている。
 それはワトスンも例外ではなく、軍人でもあった彼は、ほんの数十分の眠りでも、大分、気分的には楽になっていた。
 そういえば、下宿についた時には、あまりの疲労に、ホームズへの返事もお座成りであったと思い出す。
 もしかしたら、それで気分を害したかもしれない。
 せっかく難事件を解決してきたのだ。そんな些細な事で探偵の気持ちを壊してしまうのは、非常に申し訳なかった。
 医師はベッドから起き上がると、そろり、そろりと階下へと降りて行った。
 
 思っていた通り、探偵は起きていた。
 外出用の洒落た服は脱ぎ捨て、気に入りのガウンを纏って、探偵は長椅子の上で伸びていた。
 口には、愛用のパイプ。
 紫煙を燻らせながら、医師をちらりと見ると、彼はハッと短く笑った。
「睡魔に襲われた君が、どうしたんだい?まさか、今更謝罪だなんて言い出さないでくれ」
「いや…申し訳なかった、ホームズ」
 謝罪しなければならない理由は思い当たらなかったが、随分とご機嫌がナナメなので、医師は謝罪を口にした。
 だが、探偵は、ああだ、こうだと理屈を拱いて、人の揚げ足取りばかりをする。
 いい加減にうんざりしてきところ、ふと、医師は探偵の顔を覗き込んだ。
「な、なんだい、ワトスン君」
「いや」
 うろたえた探偵をジッと見詰めながら、医師は、ふわりと笑ってみせた。
「…ホームズ、君も眠るといい。一先ず、睡眠をとろう」
「なんだね、突然」
 うろたえる探偵の手をとり、医師は彼の手の甲に口付けを贈った。
「なんでしたら、子守唄を歌ってさしあげましょうか、探偵殿」
「君が?子守唄?」
 露骨に厭そうに顔を顰める探偵の寝そべる長椅子の傍らに座り、その常人よりも秀でた頭を、まるで子どもにやるように、ゆっくりと撫でる。
 すぐに取り払われるかと思っていたが、意外にも探偵はその手をすんなりと受け入れていた。
「私は、子どもの寝かしつけが抜群に巧みなんだ。乳母になれると言われたこともある」
「僕は、子どもかい?」
「大切な、私の親友さ」

 ゆっくりと控えめに、医師は音楽に言葉をのせた。
 耳触りのいいテノールの甘い声が、探偵の耳介から聴覚を刺激し、心地よさを生んでくれる。
 その、ゆっくりと撫でられる、優しい手の効果もあるのだろうか。
 いつしか、心に巣食っていた毒のような苛立ち成分は中和され、あとは、暖かな歌声が、探偵を満たしていった。






子守唄



2011.8.1
※鍵ブログの現代設定のものを19世紀版に手直ししました。そのよん