カクテル
「まあ、まあ、ドクター、本当に有難うございます」
「いえいえ。可愛い子どもたちに素敵なプレゼントを贈って下さった影の功労者の方々への、些細なプレゼントです」
「とっても美味しいですわ、このカクテル」
ハロウィンの夜もだいぶ更け、愛らしい仮装の子供たちも家路についた頃。
ベーカー街の下宿の地階では、ささやかな大人のパーティーは開かれていた。
ベーカー街の総ての子どもたちに、ハロウィンの楽しさを味あわせてあげたい。
そう言い出したドクター・ワトスンの声を受け、ハドスン夫人が近所の奥方たちに声をかけあわせ、今年は大量の焼き菓子を作成したのだ。
それらをラッピングし、近所の子どもたちは勿論、ベーカー街イレギュラーズと彼の名探偵殿が呼ぶ彼らにまで、その焼き菓子は配られたのだった。
報酬は、勿論、笑顔だ。
普段は暗く小生意気そうな表情の子どもたちも、焼き菓子を手にした途端、実に子どもらしい笑顔を見せてくれたのだ。
愛情溢れる焼き菓子を作ってくれた奥方への、ささやかなお礼にワトスンが選んだのは、ハロウィンカクテルであった。
リトル・ウィッチ、「小さな魔女」と言う名のつくそれは、悪戯好きな女性に捧げられたと言われている。
薄い水色の上に浮いた金粉が、魔女がかける魔法のようで可愛い。
色から想像する、すみれの香りが微かにただようそれは、奥方にも大層好評であった。
パーティーもおひらきとなり、ワトスンは17段の階段をのぼってゆく。
二階のもう一人の住人である探偵は、とうとう、このイベントに参加する事はなかった。
そういった類に意義を見出せない、という言葉は、彼の心情をあらわしている。
だが、丸一日。二階に篭るのは、あまりに退屈であったのではないだろうか。
そう考え、ワトスンは手にカクテルグラスを持って、ドアを開ける。
せめて、この「小さな魔女」が名探偵の、退屈しきった心に少しでも染み入ればいいのだが。
「おかえり、ワトスン」
ソファーの上で、探偵が片手をあげた。
朝、ワトスンが地階に下りてゆく前と、寸分違わぬ服装と姿勢に、呆れてしまう。
「奥方は帰宅したか」探偵はけだるそうに言った。「…まったく、彼女たちは、焼き菓子を作るのが趣味のようなものなんだから、君がわざわざアルコールを振る回らなくてもいいだろう。
第一、そんな手間をかけるのなら、デパートなりに発注すればよかったんだ」
「手作りに価値があるんだよ、ホームズ」
微笑みながら、ワトスンは探偵の目の前にカクテルグラスを。
「君のだ、ホームズ」ワトスンは言った。「私が、君の為に作ったんだよ、さあ、受け取ってくれたまえ」
「それは、たまたま一人分余ったのだろう?量が中途半端だよ、ワトスン」
グラスを受け取らず、探偵は立ち上がった。
そして、つかつかと食卓テーブルへと近づくと
「手作りの価値とは、こういうものを指すんじゃないのか?」
サッとテーブルの上に置かれていたグラスを、ワトスンに差し出してきた。
グラスの中には、クリーム状のうす黄色い物体がうねり、とぐろを巻き、グラスの下のほうには赤いワイン。
あまりにグロテスクなものに、ワトスンは呆気にとられてそれを見詰めていた。
「称して”ブレイン・ヘモリッジ(脳内出血)”というカクテルだ」探偵は嬉しそうに言った。「どうだい?ワトスン!君の脳みそをあらわしてみたんだが、なかなかの出来栄えではないかな?」
「君が作ったのかい?」ワトスンは、思わず笑いを零していた。「ハイセンスなジョークだな!僕の脳みそは、こんなに皺が少ないと思ってるのか!」
「大丈夫、僕が補っている」
「失礼な男だな、君は!」
言いつつ、ワトスンはそのカクテルを受け取った。
そして探偵も”リトル・ウィッチ”を受け取る。
「では、ささやかな乾杯といこうじゃないか、ドクター」
「ああ。私の為に有難う、ホームズ」
静かに、グラスがぶつかりあった。
2011.11.2