ロシアンルーレットにすら当たらない僕は、もう駄目なのだろう


 ロシアンルーレットにすら当たらない僕は、きっともう駄目なのだろう。
 六分の一ですら引き当てることの出来ない無能な僕は、大切なものを手元に置いておく資格もない。
 神と偶然にすら見放された僕の価値などすでになく、ただ己を哀れむだけの屑のような存在に成り果てる。
 ロシアンルーレットにすら当たらない僕は、きっともう駄目なのだろう。


「なななな、何を読んでいるんだー!ホームズッ!!」
 往診鞄を床に落すのと同時に悲鳴をあげたのは、当然のことながら、探偵の同居人である医師であった。
 医師は見たことも無い俊敏な動きで、探偵の手からフールスカップを奪い取ると、しっかりと胸に抱きしめて探偵を睨み付ける。
「…なんて顔をしているのだね、ワトスン君」
 クスクスと笑いながら、探偵は手にパイプをとると、友人を見た。
 睨み付けている友人の頬は、まるで恋文を見られた少女のように薔薇色であったから。
「…これは、感傷的になりすぎたから、廃棄するつもりだったんだ」
 ブツブツと口の中で言葉を繰り返しながら、医師はフールスカップをクシャクシャに丸めだす。
「捨てること、ないじゃないか」
「勝手に見ておいて、勝手な言い草だな!」
「いったい、なんの手記なんだい?」
「…………マイワンドの時のものだよ。悲観的過ぎて、小説にならなかったんだ」
 にこりと笑って医師は言葉を返すと、鞄を置いてくるよと告げて、共同の居間を退室した。
 小気味よく上階へとあがる音を聞きながら、探偵はパイプを口に含む。
 そして、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
 溜息を、誤魔化す様に。

 マイワンドのものではない。
 探偵は灰色の眼を綴じ、ゆっくりと想像を張り巡らす。
 あれは、マイワンドの手記ではない。あの手記は、恐らく、空白時代。
 あの三年間の事であろう。
 一字一句記憶した単語を巡らせ、そして探偵は想像する。

 ロシアンルーレットにすら当たらない僕は、きっともう駄目なのだろう

 愛用のリボルバーに実包を籠め、シリンダーを回して銃口をこめかみに当てるワトスン。
 恐らく、なんの躊躇もなく引き金を弾き、不発であった音を聞いて、初めて涙するのだ。
 自分は、もう、駄目なのだ、と。
 そうではないのだ。
 探偵は、優雅にソファーへと沈み込む。
 そうでは、ないのだ。
 ロシアンルーレットを何度実行しても、ワトスンが死ぬことなど、絶対にないのだ。
 何故なら、このシャーロック・ホームズが必要とする、唯一人の親友であるのだから。
 彼を奪おうなど、神にすらできぬ事なのだ。
 ジョン・H・ワトスンはシャーロック・ホームズの為に存在する。
 当然の帰結に口角をあげれば、下宿の女主人が銀盆にティーセットをのせて、入室してきた。
「はいはい、お茶ですのよ…あら、ホームズ先生。何か楽しいことでも?」
「いえ、特には」
 身体を起こして答えれば、女主人は「そうですわね、今日のワトスン先生のお帰りは早かったですものね」と笑って見せた。
「ああ、いい臭いですね、ハドスンさん」
 明るい声が入室してきた。先ほどの真っ赤な顔をどうにかしたのか、いつもの涼しげな表情に、探偵は心の中で舌打ちをする。
「犬かね、君は」
「ハドスンさんのスコーンは最高だよ!美味しく、いただきますね」
「はい、どうぞ、楽しくおめしあがりくださいませ」
 紅茶をカップに注ぎ終わると、女主人はにこやかに退出した。
「さあ、いただこうか、ホームズ」
 晴れやかな、まるで陽だまりのような笑顔に、探偵は軽く頷いた。
 アフタヌーン・ティーの時間である。



2014.1.11




※注。”ロシアンルーレット”という名称は、1937年作の小説が元とのことです。
19世紀にはなかった名称ですが、その辺はご容赦を。