数週間ぶりに


 今宵は細い月であるのに、倫敦の暗闇を薄く照らす細々とした光に、ワトスン医師は眠りを妨げられていた。
 カーテンをひいた窓は仄かとも云い難い微かな月明かりが、そこが外界を眺めるべきガラスであると主張している。体は昼間の往診と言う労働で疲れているはずであるのに、どうにも頭の芯が熱くて睡魔を遠ざけるのだ。
 もう少し。
 ワトスン医師は寝返りをうちながら、そっと思う。
 もう少し、同居人と話をしたかった。
 実に数週間ぶりの再開であった。探偵は外国で華々しく事件を解決に導き、医師は流行し始めた感冒の往診に駆けずり回り、ようやく顔をあわせた親友は、疲労感を顔にはりつかせたまま、笑っていた。
「なんて顔をしているんだい!ワトスン君、今宵は早く寝てしまおう。明日の朝からは、互いの近況と冒険を語り合うことに勤しもうじゃないか」
 探偵の科白に「そうだな!手帳が何冊あっても足りないな!」と医師も返した。
 だが。
 もう少し、親友の声を聞きたかった。
 もう少し、親友の顔を眺めたかった。
 数週間ぶりの再開が嬉しかった。思わずハグしあい、腕の中で互いに笑った。
 もう少し、もう少しだけ。

 不意に、階下から弦楽器の音色が流れ出でてきた。

 ゆっくりと、重厚でありながらも優しいそれは、まるで探偵が医師を呼ぶ声に聴こえた。
 いや、実際に呼んでいるのかも知れない。
 医師はベッドから起き上がり、ガウンを羽織った。
 ふと、医師は先日偶然であった、探偵の兄の言葉を思い出す。

 最近のシャーロックのバイオリンは、なんとも艶のある音色をひねりだすとは、おもわんかね

 神妙に告げる探偵の兄の言葉と、実際に流れてくる音色を医師は耳を澄ませて考える。
 だが、生憎と医師は楽才とは程遠く、以前よりは聞きやすくなったとは感じていた。
 医師は階段を降り、共通の居間へと足を踏み込んだ。
 そして、艶の帯びたとされるバイオリンの音色を、数週間ぶりに堪能するのであった。


 2013.11.4