携帯電話にかけてみると、死神はこの国にいるという。
 10時間以内に来い!とホテルの名前を告げ、BJは乱暴に電話を切った。
 とても信じられない。
 とても信じがたい、事実。
 彼は、彼がそんな殺し方をするだろうか。それも、少年の生命を。
 一体何があったというのか。
 白蘭が身を投げたというホテルに、BJは男と来て見た。
 それは裏路地によくある、安宿。
 最上階のこの部屋から、狭い路地を見下ろしてみる。
 確かに、この高さからでは、即死は難しい。
 死神の化身が毒を飲ませたという。
 確かに、彼ならそれは可能だ。
 だが、彼は自殺幇助などという行為は、決して行わない。
 彼が施すのは、安楽死。
 生に絶望を宿し、その苦痛から逃れようとする者への救済処置。
 それが。
「明日の朝には、死神の化身が来ます。真相を問い詰めましょう」
「…すいません…」
 生気のない声。
 この行為が果たしてこの男に何をもたらすかは、わからない。
 もしかしたら、何ももたらさない可能性のほうが大きいと思う。
 だが、見捨てる事ができなかった。
「少し眠ったほうがいいですよ」
 適当に買ってきた度数の高いアルコール。
 ストレートのままグラスに注ぎ、男に手渡した。
「ありがとう」
 男は一気に、それを煽った。
 二杯、三杯…五杯目ぐらいで、男はやっと眠りに落ちる。
 それは無理やり落ちたかのような、睡眠。
 疲れ果てて眠る彼は、死神に似ていると思う。
 いや、似ているような気がする。
 彼に感情があったなら、彼が素直に感情を表すことができたなら、きっとこの男に
よく似たのではないか。
 彼が隻眼でなければ。
 彼が戦場にいかなければ。
 彼が安楽死に手を染めなければ。
そうしたら、もしかして、彼のような人間になっていたのだろか。
 いや、それは不毛な仮定論。
 死神は死神だ、彼ではない。
 眠る男の灰銀の前髪を、掻き揚げた。
 きっと彼は、この男のように、優しげな眼差しを、かつては持っていたのではないか。
 それは、不毛な仮定論。

 気がつくと、ソファーで眠っていたようだった。
 身体が戒められる苦しさで、目が覚めた。
 視界に映るのは、闇夜に浮かぶ灰銀の髪。
 一瞬、死神かと思った。だが、
「は、なせ!」
それは眠っていたはずの男だった。きつく、きつく抱きしめられて、身動きがとれない。
「白蘭…会いたかった…白蘭!」
切なげに囁かれる、その悲しい音に思わず力が抜けた。
違う、違う、違う。
そう否定の言葉を出そうとしても、まるで口を塞がれているかのように、声が出ない。
顔に影が落ちたかと思うと、甘やかに口付けられた。
まるで、総てを奪い去るような、強引で性急な口付け。
それでも甘く、優しく、犯される口腔は熱くて、力が抜けていく。
まるで別の人間がのりうつって、自分の体を支配しているかのような感覚。
もどかしげに体を弄る手を嫌悪するべきなのに、身体が熱く熱く、熱を帯びていく。
「もう…離さない…君が欲しい!」
 言葉に意識が熱に眩んだ。
 熱い欲情の告白が、頭の芯を痺れさせる。
 いや、違う。この男は死神じゃない。
 そう認識しているのに、抗う力が入らない。
優しく、優しく弄るその手は、まるで愛しているみたい。
まるで死神が、俺を愛してくれているみたい。
「愛してる…愛してるんだ…!」
囁かれる言葉に思考回路が、爛れ落ちそうだった。
だが、遠くで叫ぶもう一人の自分が、落とさせてはくれなかった。
違う、違う、違う。これは死神じゃない。と。
 素肌に触れられて、甘い声が漏れた。
 意識では分かっているのに、それなのに、男の優しい愛撫が刻み込まれていく。
違う。これは偽りの優しさ。これは自分に向けられたものではない。
この優しさは、少年に向けられた、少年のもの。
「白蘭…愛してる…」
死神はこんな優しくしてくれる訳がない。
死神はこんなに告げてくれる訳がない。
だって、死神は恋人ではない。ましてや、愛される謂れもない。
それなのに、それなのに。

もし、彼がこんな男であったなら。

甘やかに紡がれる言葉と、男の熱い、熱い欲情に痺れるようだった。
麻痺したかのように、身体がいうことをきいてはくれない。
どこまでも優しい男の行為が、羨ましいとさえ思えてくる。
それでも、これは自分のものではない。
だけど貫く熱さも、弄る優しさも、まるで彼に愛されているみたい。
彼に愛されたいと思ったことはないけれど、だけど、
 ぐちゃぐちゃと後孔を掻き乱され、あられもない悲鳴をあげた。
 その熱い男の性器に翻弄され、思わず男の灰銀の髪に手を伸ばす。
「…愛してる…」
「…っああ…キリ…!…ああああ!」
耳元で囁かれ、性器を擦られて、絶頂を迎えた。
その灰銀の髪に縋り付きながら呆気なく。



『…先生…』
微かな声に呼ばれて、顔をあげた。「白蘭?」
『先生…本当に来たんだな』
「当たり前だ!さあ、一緒に行こう」
『駄目だよ、先生…俺はもう、そっちには行けない』
「そうか……なら仕方がない」
私が、そっちへ、行くよ。


 鈍い音がするのを聞いた。
 まるで大きなゴミ袋を、勢いよく投げ落としたかのような。
 ハッと体を起こし、BJは室内を見回した。
 部屋の中には誰もおらず、ただ一つだけある窓が大きく開いている。
 まさか、まさか。
 BJは窓から階下を見下ろした。
そこには、うつ伏せに倒れている人の姿が見えた。
「…あの馬鹿が!」
 衣服を手早く身につけ、BJは診療鞄を引っつかむと、階下へと降りて行った。
 満月のせいか、明かりがないのに路地は明るかった。
 男はうつ伏せに倒れていた。
頭部から相当量の出血をしていたが、まだ間に合いそうだ。
BJは診療鞄から、注射器を取り出し、麻酔液を吸わせる。
「……ド…クター……だっ…た…です…か…」
 呻く様に、男は呟いた。「…わ…たしは………もう……!」
「馬鹿を言うな、死んで何になる」
 キャップをかぶり、ラテックスグローブをはめて処置を開始しようとした時だった。
 急に、強い力で腕を捕られ、引っ張りあげられた。
突然の出来事に、驚いて振り返る。そこには
「…キリコ…!」
白銀の髪、隻眼の死神が、無表情でBJの腕を掴んでいた。
「離せ、キリコ!」
「やめておけ」静かに、死神は告げた。「自殺するような奴は、助けても生きられねえよ」
「馬鹿なことを言うな!」
 腕を振り切ろうとした瞬間、死神の重い拳がBJの腹に突き刺さった。
「…ぐッ…!」
腹を庇う為に前のめりになると、死神の手刀が頚部に叩き込まれる。
低いうなり声をあげて、BJは地面へと落ちた。
死神は、静かに男に近づいた。
血溜まりに浮かぶ灰銀の髪。
ああ、確かに、白蘭の言っていた通りだと思う。
 死神は静かに男の手をとった。
 そして静かに唱える。
「白蘭は、あんたを愛していると、言っていた」と。「最後まで、先生だけを思って逝ったよ」
「……そう……」
嬉しそうに、男は微笑んだ。微笑みながら「……あな…た…が……看取って……?」
「そうだ」
「じゃあ……わた…しも……逝き…ま…す」
 幸福そうな表情だった。
 羨ましいぐらいに、幸せそうで。
 瞳を閉じて、それから、男は動かなかった。

 早かった脈が、途切れ途切れになり、やがて、消えた。

「キリコ…貴様!」
 ふらふらになりながらも、立ち上がったBJはまっすぐに死神の胸倉を掴みあげた。
「何故、見殺しにした!あれなら、助かったのに!!」
「本人はそれを望んじゃいなかった」
「白蘭も、お前が殺したのか!?」
 噛み付くように叫ぶ、必死な形相。恐ろしいぐらいに殺気を発する、紅い瞳。
 そうだ、この男はそうやって生きてきたのだ。
「ああ」死神は答えた。「俺が、殺した」
「ふざけるな!!」
 くしゃりと表情が歪んだかと思うと、BJの平手が死神の頬を打つ。
 ぱあん。と派手な音が響いた。
「何故、殺した!」
その声は悲痛に満ちたものにも聞こえる。「あの男は、白蘭を迎えに来たんだ!ずっと捜していた
んだ!それを、それを…何故、殺したんだ!」
 無表情だった死神は、口だけを大きく歪めた。
 そしてBJの胸倉を掴むと、襟元を大きく開いた。
「…あの男と寝たのか、先生」
首筋から、胸元に至るまでについた、無数の鬱血跡。
かあっ、と頬が赤く染まる。「お前には関係ない!」
「あの男と寝たのか、ブラック・ジャック」
答える前に、死神がその唇に喰らいつく。
まるで喉の奥まで喰らい尽くすかのような、荒々しくも激しい口付けだった。
きつく重ねられ、息もできない。
それは、まるで現実のような。
それは、まるでリアルのような。
 貪りつくすような口付けは、いつまでも終わらない。




『白蘭…会いたかった…』
『先生、ごめんなさい』
『…もう、いいんだ…君に会えたから…もう、絶対に離さないよ…』
『俺も…もう、逃げない…先生と一緒にいたいから』
『私もだ…白蘭…愛してる…』
『俺も……先生が好き…大好き…』






『Twisting desire』