そこは地元の人間なら誰もが知る場所だった。
 林の奥に隠された、湖とその湖の辺には小さいながらの花畑。
 その天然の花畑は、コスモスなど自生植物がいつも綺麗に咲き誇っていた。
 そこは地元の子ども達の、秘密の遊び場だった。
 
 その咲き誇る花の種類が一変していたことに気づいたのは、単なる偶然。

 ソムニフェルム種と呼ばれる白・桃色・淡紫色・赤色の花。その花びらは一重かまたは細裂しているもの、
八重咲きなどもあった。それは芥子と呼ばれるアヘンの材料になる花たちだった。
 その湖を所有しているのは、地元とは何ら関係のないアジアの企業。
 警察の指導の下、その企業が花畑を焼き払うこととなった。
 町の人間は安堵していた。変な関わりだけは持ちたくなかったからだ。
 勿論、私もその一人だった。






芥子の花 









 家族で夕食を終え、子どもたちを寝室へと送る。
 もうすでに寝入った娘の頬にキスをしたあと、息子のベッドへ。
「おやすみ、パパ」
「キリコ、おやすみ」
笑顔の息子の頬にキスをする。彼は嬉しそうに眼を閉じると、すぐに寝息をたてる。
その小さな頭を撫でて、ジョルジュは子どもの寝室からソッと抜け出した。
明日も早い。自分も眠ってしまおうか。
そんなことを考えていた時だった。
 ドアをノックする音が、聞こえた。
 声は聞こえない。ただ、静かに、規則正しく、ノックするだけ。
 誰だろう。
 この辺の人間は皆、友人であったから、訪ねてきたときは必ずと言って良いほど名乗るのだ。
 ゆっくりと、そのドアを開けた。
「こんばんは」
「ああ、こんばんは」
 外に居たのは、この辺では見たことの無い東洋人だった。
 いや、全く見覚えがないわけではない。
 どこかで、見たような気もする。
「失礼しますよ、ミスター」
 男は外見に似合わず、流暢な英語で挨拶をする。「私は、例の忌わしい花を焼き払った責任者で、間と言います」
「…ああ、あんたか」
 そうだ、思い出した。
 例の芥子畑を焼き払うのに指示をだしていたのが、彼だ。
 黒髪に色のついた肌。鳶色の瞳が印象的だった。
「間 影三です。日本人でね」
「日本…」
そう言われてもピンとこない。確か、アジアのどっかの国だったとは思うが。
「その日本人が、こんな夜になんの用だ」
 何となく、嫌な印象があった。この男、今は笑ってはいるが、その笑いも作り物にしか見えない。
 何を、考えている。
「そんなに警戒しなくても」やはり、間は笑ったまま「途方にくれたんですよ。あんたが通報してくれたお陰で、
一事業収益がパアになった。俺はまた一から組み立てなおさなくてはならない」
「なんだって?」
「責任を、とってもらいたくてね、ミスター」
 男はジョルジュの両腕を強く掴んだ。逃がしはしない。そう言うように。
 真っ直ぐに射る視線は、ひどく激しい。その鳶色が赤みを増したようで。
「本来なら、裁判を起こして、事業損害の賠償400万ドル相当をあんたに支払ってもらいたいところだが」
間は言った。「しばらくの宿代と、後はあなたの身体で払ってもらってチャラにしますよ」
「な…!」
 言葉を言おうと口を開くが、男の眼差しに言葉が喉の奥で消えた。
 まるで猛禽類のような迫力だった。捕らえた獲物は決して逃さぬような、恐ろしい力を持っている。
 それでも、ジョルジュは迫力に圧されぬように、はっきりと告げた。
「私は…犯罪の類は協力しない…!」
「…そんなことじゃない」
 クックっと咽喉をならして笑うと、間は顔を近づけてきた。
 そして、はっきりと、分りやすい口付けを。
「…!やめろ!」
 思わず男の身体を突き飛ばしていた。
 何が、何をされたのか、それを考えることを頭が拒否する。
 それでも、突き飛ばされた間は、ゆっくりと立ち上がった。「ひどいな」
「冗談はやめろ!」
「冗談?」間は笑って。「馬鹿言うな。立派な駆け引きの一つだろ。ビジネスの常識だ」
「帰ってくれ」
 得体のしれぬ恐怖が、身体を捕らえそうで怖かった。
 この男の意図としていることが、分らない。
 身体で払えというのは、つまり…。
「じゃあ、仕方がない」
 背を向けるジョルジュに向け、間はハッキリと言葉を投げる。「事業損害の代償。あんたの子ども達で払うことになる。気の毒だが」
「貴様!」
 頭に血が昇り、ジョルジュは男の胸倉を掴み締め付けていた。「子どもたちに…何かしたら、貴様の命はないぞ!」
「最初の妥協案を蹴ったのはあんただ」
 胸倉を掴まれながら、間は言う。「どうする、エドワード」
「……従おう」
 胸倉を掴んでいた手が、力なく下り、ジョルジュは小さく答えた。



 自分の寝室に他人をいれたのは、恐らく初めてだった。
 それも、男を入れるなど。
 妻を亡くしてから、一度も他人と肌をあわせてはいなかった。
 何度か紹介をされたり、誘われたりもしたのだが、どうしてもそんな気にはなれず、結局はここに入る事無く終っていた。
「意外と小奇麗にしているんだな」
 間は先に入り、スーツのジャケットを脱ぎネクタイを外しベッドに座る。
 そして、枕もとにある写真を見つけ、手にとった。「…あんたに似合わず、美人だ」
「触るな!」
 あからさまに取り上げて、チェストの上に伏せて置く。
「ロマンチストだな」
 嘲笑うような声。忌々しいと思うが、仕方がないのか。
「私は、どうすればいい」
「抱いて下さい」間は言った。「あんたはその方が、分りやすそうだ。俺があんたを抱くよりも抵抗はないだろう?」
「……私は、同性とは寝たことがない」
「やることは一緒さ」
 間はジョルジュの手を捕り、強く引く寄せた。
 バランスを崩し、ジョルジュは男の身体の上に覆い被さることとなる。
「…先ず…キスを…」
 掠れたような、小さな声。覚悟を決めて言われた通りに。
 重なる唇から間の舌が侵入してくる。
 柔らかで肉厚なそれは、女性の小さくて柔らかなそれとは違い、まるでそのまま食い千切られてしまいそうなイメージさえあった。
それでも、彼の舌に絡め取られる。
唇を離すと、息があがっていた。
「服を、脱いで」
ベッドの上で一度離れると、間は言った。自分もYシャツを脱ぎ、そして自分のジャケットのポケットを漁っている。
ジョルジュは言われるがままに、シャツを脱いだ。
「初めてだし、最初は俺が全部する」
 実に楽しそうに間は言った。悪趣味だ。と思う。
 間はジョルジュのベルトに手をかけて外すと、躊躇なく彼の性器に手を触れた。
 そしてやはり自然にそれを口に含む。
「…な…!」
あまりに迷いのない手慣れた行為に、眩暈がした。
駆け引きの一つ。ビジネスの常識だとこの男は言った。ならばこのような男娼じみた行為も、この男には些細なことなのか。
 巧みな口腔使いにほどなく勃起する。それに手早くスキンを彼は装着させた。
「…慣れているな」
「そりゃあね」間も自分の性器にスキンをつけながら「文字通りに身体を張らないとなにもできやしないのさ。
色仕掛けは女だけじゃない。あんたには縁のない世界か」
「…そうだな…」
「健全でなにより…仰向けになって」
 言われたとおりに寝ると、潤滑ローションをジョルジュの性器にたっぷりと垂らす。残りは自分で後孔へと。
「あんたは寝ているだけでいい」
今回だけは。そう言って、間はジョルジュの身体の上に跨った。
そして、やはり慣れた手つきでジョルジュの性器を自分の内へと挿入させる。
「……!…」
経験したことのない、締め付けだった。
顔を顰めて、ジョルジュはそれに耐えた。気を抜くとすぐにでも達してしまいそうな感覚だ。
「…ああ…いい…!」
恍惚とした表情で、間が呟く。その声にぎくりとした。それは、とても男とは思えないほどの色と艶のある声。
間が自ら腰を振り出した。その感覚に、ジョルジュは翻弄される。
信じられないほどの快感だった。
とても男を抱いているとは思えない。彼は、それだけ多くの経験があるということか。
気がつくと、彼の腰を掴み、自分のリズムで彼を突き上げていた。
「あっあっ…!いいっ!…!」
その迸る嬌声に煽られるように、ジョルジュと間は同時に達していた。
突き抜ける甘い快感に、全身が痺れていた。

シャワーを浴びて出てくると、暗い室内で少し窓を開けて煙草を吸う間の姿があった。
静かに近づくと、彼はこちらを向きニヤリと笑う。
「初体験の感想は?」
そして、また視線を窓の外にうつした。
「…君は、いつもこんなことを?」
窓からは、遠くに山々を臨むことができる。
その大きくも壮大なシルエットを眺めながら、間は笑って見せた。「よくある事だ。だが、こんなことは初めて、か」
「こんな事?」
「一般人を襲ったことはないな」
煙草を窓の淵でもみ消して、外へ投げ捨てる。
そして、そのまま窓の外を眺めたまま、間は言った。
「エドワード、あんたは俺のものになった。貞操は守ってもらおうか」
「ふざけるな」
「ふざけちゃいない」
くっくっ、と喉を鳴らし、彼はこちらを向いた。
闇にうかぶ色のついた肌は、まるで絵画に描かれる悪魔に憑り付かれた人間のよう。
まるで現実感のない、異形のもののよう。
「愛してよるよ」彼は言った。「妻が死んで初めてのお相手が、俺か。劇的な運命じゃないか」
「私は、君を愛せるわけがない」
 ジョルジュの言葉に、彼は「そうだな」と呟くと、唐突に肩を掴んできた。
 まるで、猛禽類が、頭上から獲物を捕獲したように。
「あんたは、俺のものさ」
もう一度、間は告げた。「総て差し出してもらおうか。あんたの人生全てを、な」
「……。」
 ジョルジュは唇を噛み締める。
 ここで「嫌だ」と答えれば、矛先は子ども達に向かうと言うことか。

 夜明けまで、あと数時間だった。