「なあ、本気なのか、間」 夜の屋上で響く声。みっともない泣き顔が、少し笑える。 周りのビルよりも少しだけ高いこの建物は、覗かれる心配がなかったから、逢瀬を楽しむにはぴったりだ。と言ったのは、この男だった。 「本気なのか」 もう一度、男が尋ねる。私はちらりと横目で男を見て、やはり静かに紫煙を燻らす。 夜風が汗ばんだ肌に心地よい。 その無言を肯定にとったのか、男は頭を抱えて足元に蹲る。 「…俺が」男は呻くように、言った。「俺が悪かった…だから、結婚だけは…それだけはやめてくれよ…間…!」 「どうして」 「お前、本気で子どもを捨てる気なのか!?」 男は顔をあげて、私の足のズボンに縋りつく。泣いたり怒鳴ったり、まったく忙しい。 「お前が言うのか」 小さく笑って、私は煙草を手すり向こうに投げ捨てた。 小さな炎は、瞬く間に闇に紛れる。 「だから、俺が悪かった!」男はもう一度叫ぶ。「一度、日本へ戻ろう!俺が、俺が黒男くんの面倒を見るから…だから!」 「勘違いしてないか」 男の腕をとり、引っ張りあげた。視線が丁度男と同じ高さに。 「お前と今、日本に戻るのと、蓮花と結婚するのと、俺へのメリットは一目瞭然だろ」 「…間…!」 「お前ともな」 乾いた科白。たった一言なのに、それは男の心を粉々に打ち砕くのに充分だった。 間にマカオでの起業を持ちかけたのは、この男だった。男は共同経営者でもあった。 そして、恋愛関係を持ちたがったのも。 「……お前…」 間に妻子がいるのを知って告白し、そういう関係をもったことに罪悪感は確かにあった。 だからこそ、妻子が事故にあったと知って、日本へ戻ろうと説得をしていた。 それなのに。 「俺を…捨てる気なのか…!」 男が間の首に手を伸ばし、力を込めて締め上げる。 許せない、許せない、許せない! 「間!俺は…お前は俺の……!」 「勘違いするなよ」 突然、男の身体がふわりと持ちあがった。あっと思う間もなく、身体は宙を舞い、そして闇夜へと大きく放りだされる。 「…間っ…!」 怯えたような表情、伸ばされた手。それらは瞬く間に闇夜へと紛れた。 ほどなくして、生ゴミの詰まったゴミ袋が落ちたような、嫌な音が微かに響く。 「覗き見ですか、悪趣味な」 間は男を放り投げた中国人を横目で見る。 「蓮花の婿にもしもの事があっては、な」 中国人は笑いながら、間の首筋に触れた。「まったく、こんな傷をつけて、色男が台無しだろう」 「余計にそそるんじゃないんですか、あなたには」 首筋には、さきほどの男が締め上げた手の痕が、くっきりと。 厭らしく唇を歪めると、中国人はその首筋の痕をじっくりと舐めはじめた。 「ああ、そうだ」間は中国人の頭を掻き抱き「あなたのお陰で、やっと会社をあなたに売るメドがたちましたよ。感謝します」 言葉に中国人は答えない。その首の痕を舐めつくすのに必死だった。 間は瞳を閉じた。そして、中国人の望む淡い声を出す。 間 影三