(3話) 
 この堅気ではない建物から、足早に遠ざかろうとする有名な無免許医は、突然制服警官に行く手を遮られた。
「ブラック・ジャックだな」
 まだ年若い警官が、威圧的に尋ねた。
 まだ制服が真新しい彼は、まだ新人といったところだろう。
 彼は犯罪者に警官として接するのがこれが初めてで、目の前に立つ黒尽くめの犯罪医に、精一杯、法の番人らしく制止の言葉をかけたつもりだった。
 だが、今回はタイミングが悪かった。
 警官に立ちはだかれた無免許医は、無言で制服警官を睨みつける。
 その眼光は射抜くように鋭く、背負う地獄の業火のような迫力に警官二人は飲み込まれ、声はおろか指一本動かすことができなかった。
 やはり無言で、石像と化した警官の間をすり抜けようとした無免許医に「よう」と能天気な声がふって湧いて出た。
 その声に、無免許医は、苛立ったように舌打ちをしてみせる。
「そう邪険にするなよ、無免許先生」
 能天気な声は、くたびれたトレンチコートを来た中年の馴染みの私服刑事だった。
 無免許医は一瞥すると、やはり足早に刑事の横を通り過ぎる。
 あえて無視を決め込んだその態度に、刑事は「まてよ、先生」と軽い調子で追いかけてきた。
 そして、無免許医と並んで歩き出す。
「俺たちだって、暇でここまできたんじゃねえよ、先生」
「今は急いでいる」
「お嬢ちゃんは、一緒じゃねえのかい?」
 刑事は社交上の挨拶のように、言っただけだった。
 だが無免許医はその歩みを止め、何の前触れもなく刑事の胸倉を掴みあげて自分の方へと引き寄せる。
「ピノコの何を知っている」
 低い音は冷静とは言い難かった。例えるなら、地獄の悪魔が怒りに震えるような、低い響きにすら聞こえる。
「知らねえよ、俺は別件だ」
 低い響きに内心驚きながらも、刑事は「お前、谷内健二の死亡診断書を書いただろう」
「ああ」
 自分の見当違いを認めてか、無免許医は刑事の胸倉から手を離し、言葉に答えた。
 そしてまた、足早に歩き出す。
「あれは」刑事も慌てて、ならんで歩き出していた。「先生が、看取ったのかい?」
「そうだ」
「心不全は、本当かい?」
「私は虚偽記載はしない」
「ああ、それは分かっている」
 刑事は大げさに手を振って、アピールをしてみせた。「俺が知りたいのは、谷内は自然死だったかどうかだ」
「何が絡んでいる」
 さしたる興味もなさそうに、無免許医は尋ねた。だが、声は硬い。
「その前に、死因が知りてぇな」
「心不全だ」無免許医は言った。「薬物の過剰摂取によるものだな」
「確か、か?」
「誰に質問をしていると思っている」
「それは、失礼だったな」
 無免許医が急ぎ足で辿り着いたのは、繁華街だった。
 低い位置でネオンが歩行者を照らし、その中央を貫く車道の路肩は、客待ちのタクシーで埋め尽くされている。
 無免許医は携帯電話を取り出し、アプリケーションを起動させた。
 それは目的のGPS付き携帯電話を探し当てる、アプリだった。
「あれだな」
 小さく呟くと、無免許医は路上駐車のために込み合っている道路の一角を指さして、刑事に叫ぶ。
「あのタクシーだ、警部、止めて来てくれ」
「え?ああ、おーい!停まれ!」
 突然の指示に、刑事は慌てて車道に躍り出て言われたタクシーを路肩に停車させた。
 黄色い車体に緑のラインの入ったタクシーだった。
「なんです?」
「え?ああ、そうだな、えーと」
 警察の身分証を見せながら、訝しがる運転手に刑事は困窮する。
 その間にも、無免許医は後部座席の床を這いつくばって、何かを捜していた。
「おい、無免許先生、何している」
 不審な行動に刑事は尋ねるが、無免許医は答えない。
「…!」
 マットを捲ってその端に、見慣れた携帯電話を発見した時、無免許医は思わず息を飲んだ。
「おい」無免許医は運転手を睨みつける。「18歳ぐらいの女を乗せたか」
「え?あ、ああ…はい。若い親子なら」
「親子?」
「2時間ぐらい前に…若い女は、その人ぐらいだよ、今日は…私は夜勤専門で、まだ走らせたばっかりで…!」
 シドロモドロに答える運転手の言葉を聞きながら、無免許医は二つ折りのピンクの携帯電話を開いた。
 上部の画面には、花柄の写真が映し出されている。
「先生?」
 無言で携帯電話を捜査する無免許医を、刑事は覗き込んだ。
 そして「おいッ!」と唐突に声をあげた。「なんだ、それは…どうしてそんな写真が、ここに…!」
「どういうことだ…」
 無免許医の額を、嫌な汗が一筋落ちる。
 この携帯電話は、助手の彼女のものであるに違いなかった。
 それなのに。
 普段なら、待受け画面は、micro cardに収められた無免許医の隠し撮り写真が常であった。
 それがないということは、この内部に挿入されているmicro cardはいつものではないということになる。
 そう仮定して、無免許医はcardのデータを確かめたのだ。
 そこには、見たことない様々な画像データが収められていた。
 そして
「子どもは、こいつか」
 画面いっぱいに映し出された写真を、無免許医は運転手にみせる。
 それは、先程、無免許医が看取ることとなった男と共に、スイカを食べる少年の屈託のない笑顔だった。
「うーん、そうだなあ…似てるなあ…」
 やはり曖昧な言葉に、無免許医は苛立った。そして、刑事に向き直り、低い声で尋ねる。
「…さっき、谷内の死因を聞いたな、何が絡んでいる」
 尋ねながら、無免許医は画像を見せた。
 そこには、暗い室内で揉み合う複数の人間の姿が映し出されていた。
「殺し、だ」
 刑事は画像を見て、観念したように、低く呟いた。「その中央にいるのは、赤蓮道会系の多田だな…こいつは立派な覆す証拠になる」
「先週、河に浮いた男か」
「その犯人を、俺たちは谷内だという情報を掴まされた。タレコミでな」
「だが、新犯人は別にいるのか。谷内の弟かなにかが、このデータを持って何故かピノコと接触したわけか…クソッ!」
 無免許医は、再び刑事の胸倉を掴んだ。
 掴み、引き寄せる腕がブルブルと震えているのは、怒りからか。
「この証拠がほしければ、さっさとこいつらの潜伏先を探し出せ!」
 それは有無を言わさぬ怒号だった。








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