(4話) 注!この話は暴力表現が含まれております。 ■と■の間の話がそれにあたりますので、苦手な方はご注意下さい。 乱暴に頭部を揺さぶられて、彼女は覚醒した。 眼を開いても室内は薄暗く、何故、自分がこのような場所にいるのか分からず、彼女は周りを見る。 「気がついたか」 意外にも近いところから男の声が聞こえたので、彼女は驚いた。 その声の方を向くと、薄暗い中でも赤茶色の頭髪と、にいと笑って見える白い歯が、不気味に浮かんで見える。 薄暗さに眼が慣れてくると、地面がリノリウムであることや、天井が嫌に高い事、 壁が剥き出しのコンクリートであることがおぼろげに見えてくる。 そして、赤茶髪の男の他に、彼女に対峙する形で煙草を吹かす男が見えた。 その男の視線に、彼女は身震いする。 赤茶髪の男と違い、煙草を吹かす男はすらりと背の高い痩せた男だった。 神経質そうな細い手が、煙草を軽く摘んでいる。 一見すれば、弁護士や検事と言った、特殊なお堅い職業に就いていそうな気もした。 だが。 彼女が身震いしたのは、その細い眼。 切れ長とも言えるその眼は、酷く冷たく、物事の奥深い隠し事も難なく見つけ出してしまうような、 観察に優れたもののようだと思う。と同時に、自分の意にそぐわない物事は、容赦なく切り捨ててしまう恐ろしさも感じた。 それは、彼女が天才外科医と共に身を置く裏世界において、殺しを生業とする人間が見せる、無機質な眼差しと酷似していた。 そう、例えて言うのなら、あの死神の化身のような。 「あの子は、何処なの」 痩せた男を見据えながら、彼女は気丈にも尋ねた。 冷たい汗が、彼女の頬を伝い落ちる。 「あいつなら」赤茶髪の男が笑った。「眠ってるぜ、逃げっぱなしだったからな」 「…あの子を殺したら、カードは渡さないわよ」 「あんだとッ!?」 「まて」 彼女の言葉に逆上した赤茶髪の男は、華奢な彼女の胸倉を掴み上げた。 だが、痩せた男はそれを制し、ゆっくりと彼女に近づいてくる。 手には、小さな外部記憶用のメディアがあった。大きさにしてコイン大のそれは、彼女が少年から手渡されたものに違いなかった。 「話が、よくわかっているなあ」 優しい声色で痩せた男は、彼女を冷たく見下ろした。「じゃあ、これがアダプターであることも、 ちゃんと知っているってことだなあ?」 「ええ」彼女は、薄っすらと笑って答える。「中身が欲しいのでしょう?」 「当然だ」 男が手にしていたのは、SDメモリーカード変換アダプタだった。 携帯電話などの記憶媒体 として使われているmicroSDカードをSDメモリーカードとして使用できる変換アダプタであり、 証拠写真はSDカードに収められているとばっかり思っていた男達には、予想を裏切られた形になっていた。 「あの子の解放が先よ」 「microSDカードが先だ」 有無を言わさぬ男の威圧感に、この交渉は無意味であると彼女は肌で感じ取る。 仕方がない。 「分かった」 彼女は小さく息を吐くと、右耳に指を差し入れた。 なんとそこから、あの小さなmicroSDカードが姿を現したのを見て、赤茶髪の男は、思わず口笛を吹く。 彼女は笑った。そのmicroSDカードを男達に見せると、素早くそれを口の中に放り込み、迷わず飲み込んだ。 「ああッ!!?てめぇ!」 赤茶髪の男が慌てて彼女の口の中を覗き込むが、microSDカードはすでに内臓へと送られたあとだった。 「…吐かせろ」 静かだったが、怒りに震える男の声は、まるで地獄から響くような冷淡さと恐ろしさがあった。 ■ 空になった、3本目の2リットルのペットボトルが床に転がった。 「哲也、しっかり支えとけ…おら、吐けよッ!」 容赦のない腹への蹴りに、彼女はたった今飲まされた水を盛大に吐き出した。 すでに、胃の内容物は意図的に吐き出され、胃液すら出てこなかった。 「仕方がねえなあ」 赤茶髪の男が、4本目のペットボトルの蓋を開け、彼女の口にそれを押し込んだ。 容赦なく流れ込む液体に、彼女は必死にそれを嚥下する。 溺れれるような息苦しさに、何度か咽ると、容赦のない平手打ちが飛んできた。 「てめえが、飲んじまうからだろ」 赤茶髪の男は、愉快そうに笑って見せた。 彼女が飲み込んだmicroSDカードを吐き出させるために、男どもは暴力をもってそれを実行した。 両手はビニール紐で縛り上げられ、肉に食い込んで血が滲み出ている。 水を吐き出すために何度も腹部を蹴られるが、それはやがて、殴打も加えられていた。 飽くこと無い責めに、彼女は苦痛の表情こそは見せたが、悲鳴をあげることはなかった。 水に濡れた彼女の苦痛の表情に、よからぬ妄想を抱かぬ方が無理だろう。 だが、まだ目的を達成させていなかった為、その妄想を実践するわけにもいかなかった。 そこでチンピラ共は、妄想を別の方向へ持っていくことにしたのだ。 声をあげぬ彼女の口から、悲鳴を迸らせるという事に。 殴打や蹴りはエスカレートしていき、一人がナイフを持ち出すと、いよいよそれは残虐を帯びてきた。 切り刻まれる白い肌は鮮血を滴らせ、その上からアルコールを浴びせる。 その焼け付くような激痛に、彼女はついに悲鳴を漏らした。 その声が、更に嗜虐心を煽る。 「…いッ……ぐッ……」 もう何度目か分からない腹への衝撃に、彼女は視界がぶれた。 同時に吐き出した水は、赤黒い血液が混じっている。 肋骨が折れて、内臓を傷つけたのだろう。 小さく息を吸い込むと、途端に激痛が走る。 恐らく傷ついたのは、肺に違いない。 「我慢強い姉ちゃんだなあッ!」 楽しそうに顔を覗き込む男は、正気を失った眼をしていた。 暴力行為に酔いしれた狂気の表情だった。 朦朧とする意識の中、彼女は一人の人間を思い浮かべていた。 (…先生…) 思い起こそうと思えば、すぐにでも浮かぶその顔に、彼女は詫びの言葉を思い浮かべる。 (先生…ピノコ…無理かもしれない…ごめんなさい…) 瞼が重く閉じかけた、時だった。 「何だ、誰だ!てめえ!」 遠くで、俄かに騒がしさを感じていた。 ■ 不況の際に潰れた、貿易会社が所有していた倉庫だった。 倒産後手付かずのまま放置されていたそこは、無法者にとっての格好の潜伏先となっていた。 フリージャーナリスト多田 創を殺害する依頼を受け、犯人のスケープゴートに選んだのが川内健二だった。 川内は麻薬の売人であったが、商品に手をつけてしまう悪癖があった為、見せしめと、それでも今回の格好の犯人役であった。 麻薬ルートを嗅ぎまわるジャーナリストが鬱陶しくなった、薬物中毒の売人。 それが、今回の完璧なるシナリオだった。 だがこのシナリオに綻びが生じたのが、川内が自分の身を守る為に、多田の殺害現場を写真に収めていたことと、 その写真がデジカメではなく携帯電話でとられていたこと、だった。 この二点は完全に裏をかかれ、川内は麻薬中毒者らしく死亡させることに成功したが、その現場写真の行方が知れなかった。 そしてその写真データを、川内の弟が持っていることを知り、組織は慌てたのである。 川内は弟の身を案じていたのだ。 悪い方向に進んでいる。 倉庫の外へ、見張りを兼ねて出てきた痩せた男は、最悪な事態を頭に描こうとした。 その時だった。 突如、男の目の前に、黒い外套に黒いスーツ姿の人物が立ちはだかった。 身を切り裂くような赤い眼光を浴び、修羅場を何度も潜ってきた男は、ひッと声を詰まらす。 それは、地獄から這い出てきた悪魔のような形相の、天才外科医とも悪徳無免許医とも呼ばれる男の姿だった。 「ピノコは何処にいる」 「知らねえな…!」 男の語尾と、乾いた銃声が響くのは同時だった。 天才外科医は、容赦なく男の足を撃ち抜き、そのまま銃口を男の心臓の上にピタリと当てる。 それは、寸分違わぬ、正確な位置だった。 「この中か」 「……ッ…!」 男の無声の答えに、天才外科医は倉庫の大きな鉄製の扉の隙間に、身を滑り込ませた。 銃声を聞き、赤茶髪の男と哲也と呼ばれた男が、駆けつけてきた。 「何だ!誰だ、てめえ!」 ケンカ腰に臨戦体制に入るチンピラに向かい、天才外科医は躊躇無くトリガーをひいた。 乾いた銃声が倉庫内に反響して響き渡る。 銃弾は、男達の急所を僅かにずらし、激痛の地獄へと誘った。 硝煙たなびく拳銃を手にしたまま、天才外科医は倉庫の奥へと足を運ぶ。 不意に、鉄臭が鼻を擽り、それはすぐに夥しい量の流血を意味するところを、天才外科医は目の当たりにすることになった。 彼女が、倉庫の一番奥に、倒れていたのだ。 「ピノコ…」 天才外科医は、倒れる彼女を抱き上げた。 全身に及ぶ殴打の痕、恐ろしく変色してしまった傷口、そして全身を染める、赤黒い血液。 それは、この身体に残酷なまでの拷問を加えられた証であった。 次頁