(12話)











 俺は人を殺し過ぎた。

「そうだ、いい事を思い付いたぜ」

だから天使が迎えにくることはないと思っていた。

だが、

俺の大切な人の姿をした悪魔が

俺を葬り去るとまでは思わなかった。

「地獄に堕ちろ、死神め!」




-00:12 贈る言葉







「目撃者が何れは出ると思って扱いに困ってたが…流石に良心が痛むと思ってたよ」

伏せられた赤い目。返り血を浴びたブラック・ジャックは脚を組んで適当に腰掛けて、こちらに顔を向けると目を細めた。 
背中に羽が生えているかと思う程に。
悪魔というものは、もっと醜いと思っていたが。

残忍な笑みを浮かべる悪魔は、とても美しい。


「フゥ…」

タバコをふかしては適当に腰掛けてめんどくさそうに暇を潰す。

人が死ぬと言うのに、まるで普通だ。
いつものオペの後のように穏やかに、俺が死ぬのを待っている。流石に仕事に抜かりがない。

…本物の死神のようにも思える。

そうそれは仕事を終えた後の…俺自身の姿。

他人からみればこんな風に俺も見えるのかもしれない。



「何だ?恨み言の一つぐらいなら聞いてやるぜ。「還らずの侍」だからな…武士の情けというやつだ」

「……ブラッ…ク…ッ!…ゴホゴホ…」

口から吐血を繰り返しながら言葉を紡ぎだすことが出来ない。

「気に食わない男だった。だが死ぬと思うと少しは同情心ぐらいは沸いて来る。
」

その割には余裕釈々で、悼む心など全く感じられない。俺と話をして暇を潰したいだけという感じだ。


「そうだ!いいことを思い付いたぜ」


…カツカツカツカツ…

「…俺が貴様を撃ったのは正当防衛だったというシナリオはどうだ。」


ブラック・ジャックは一服すると近付いてきた。
「ハアハア…ガッ!!」
「この手で貴様は今まで何人殺したんだろうなぁ…中には死にたくなくなって、
怨んでいた奴もいるんじゃないか?」

何かと思えば慣れた手つきで俺の腕をとり、腕を捲った。
「俺が身体を触ったのは医者の使命感から、応急処置をしようとしたんだ。」
「やめ…ハアハア…」
「この犯行に使用したメスには貴様の指紋がしっかりついてると鑑識は確認するだろう」

ピッ!

手首を触診して脈拍が弱るのを確認すると、おもむろに院長を切り裂いたメスを
取り出し俺の手に握らせるともう片方の俺の手首を何度か引き裂いた。

「死神は逃げ切れないと思い自ら命を絶つ選択をしたが、死に切れなかったんだ…さてと」

次に近くにあった俺の血で濡れたアタッシュケースをゴム手袋をして開き商売道具のをまさぐると、
何かを見付けて口の端で笑った。

「そしてお前さんはとうとう安楽死を自分で試したくなったのさ」

「ハアハアハアハア…」
ブラック・ジャックが握っていたのは注射だった

「死神は後悔したんだ。今までの安楽死という殺人に。これで正真正銘の殺人犯だな」
「ゴホッ…ガ…」
吐血はますます激しくなり、尋常ではない体音に我ながら驚いていた。

ピユッ

薬瓶から見つけ出した毒薬を注入すると、慣れた仕種で垂直に立てた注射器の尖端から液を飛ばした
「刑事も貴様を疑っていたな…俺の代わりにコイツを殺ってくれるんだったよな?」

『分かった。院長は俺が殺る。だから引け、ブラック・ジャック!』

そうか。俺はこいつの…「還らずの侍」の犯行を被るのか。

「とどめだ。」

俺は人を殺し過ぎた。



だから天使が迎えにくることはないと思っていた。

だが、

俺の大切な人の姿をした悪魔が

俺を葬り去るとまでは思わなかった。

「地獄に堕ちろ、死神め」
俺の肩を抱き寄せると、残忍な笑みを浮かべて、
怨みを込めて、俺にナイフの代わりに注射器をしっかりと握らせた。
注射器には俺の指紋が元々あったが…死後硬直を考えての措置だろう。



「俺は待つのは性に合わないんだ。楽に逝けて良かったな。」


チク…

死ぬ苦しみの中でも冷静に分析していたはずなのに。


これで楽になれるのか…


刹那、走馬灯のようにこれまでのことが思い出された。

『パパ、たすけにきてくれるのまってたよ』
『高いところこわかったよ…でも…おれ、きいちゃんをまってたよ。
かならずたすけにきてくれるってしんじてたよ』

『パパはいつくるの?』
『ママ、おいていかないで!!』
『もおやだ…くるしいよ…生きたくないよ』
『だれか…だれかたすけて…いたいよ、いたいよぉ…ああ…うああああああ!!』
『その写真の少年はいない』

『きいちゃん、俺の分もしあわせになってね。』

「白昼夢か?死に際には記憶が蘇るそうだな」

薄れ逝く意識。
段々寒さが増してくる。手先や足の先が痺れて重たい。
それ以上に頭が重く、俺の意識はさきほどまでの混乱もあってか、訳がわからなくなってきた。

『パパはどこ?』
『ママはどこ?』
『きいちゃんはどこ?』
『俺はもう戻れないんだ。』
『はやくたすけにきて』
「ガ…ハッ…く…ろ…ちゃ…ん…」


目の前の男が俺の大切な人と同一人物という証拠は何もないのに。
俺は鈍る頭で長年求め続けた人の影を重ね合わせて、最期の思いを遂げようとした。


「ガ…ハッ…会い…たかっ…」
「ハハハ、死神に迎えに来られてたまるか!」

遠退く現実。

息苦しさと死ぬ痛みに言葉が出ない。

過去と現実が交錯する思考

『黒男クンを愛しなさい』

朦朧とした意識の中、俺は母が間黒男について真相を話したあの日を何故か
思い出していたせいかもしれない。


『大変なんです!Dr.ジョルジュ!今すぐに…貸せ!何でもないんです…グッ…エ…ドは絶対来るな!!
メアリさ…ついててく…お願い…メアリさんを…Dr.ハザ……キャー!!誰か先生を!…ツーツー…』
「さっきの呼び出し、影三でしょ?」
「違うよ。何でもなかった」

「馬鹿ね。私はメアリよ。不治の床でも私は私よ」
「知ってるよ。」
「じゃああなたに何して欲しいと思ってるか当てたらそうして」
「…愛してるよ。誰よりも君を」
あいつは複雑な顔をしてみせた。
「どうかしらね、行って!」
「…すぐに戻るよ」
軽く頬にキスをすると、あいつは出ていった。病に侵される母を置いて。
母は何時ものように笑っていた。

「嘘だ!!そんなの。どうせいつもみたいに帰ってこないさ。家にいたってそうだ。心は不在じゃないか!
仕事仕事って…まるで俺達家族なんて二の次じゃないか!!」
俺は堪らずに声をあげた。
「キリコ…あなたも医者になればきっと父さんの気持ちがわかるわ。
あなたは医者になりなさい。」

母は少し淋しそうな顔をした。

「別に…分かりたいとは思わないよ、あんな奴。」

どうしても、どうしても許せなかった。
いつも待ち侘びている母をこんなにもあっさりと置いていくなんて。

「病人を置いていくなんてどうかしてる。母さん、どうしてあんな男…」

すると母はハッキリと断言した。


「愛ってのはね、そんなに生ぬるい言葉じゃないのよ。覚悟がいるのよ。」

「覚悟?母さんがただ我慢強いだけさ!」
「キリコ…さっきの話の続きをするわね。」
「…まだあるのか?」
「よくお聞き!あんたの短所は人を強く信じる心。
長所は人を強く愛する心よ。彼はあなたの希望なの」

「希望?」

「そうよ…もしあなたが道を誤っても、彼があなたを戻してくれる、一筋の光なのよ」

「くろちゃんがどうして希望なの?」


それから母はよく念を押して俺に…確かこんな事を言ったんだ……

……キリコ。

生きていて、もしも不幸だったら

あなたが幸せにしてあげなさい。

生きていなくて、もしも墓碑がなくても、

心の中でいいから、祈ってあげて。 

私がいなくても人を愛することだけは忘れないで。

彼はきっとどんなに暗く冷たい世界に迷い込むても、あなたの道を照らしてくれる。


彼を愛することが、あなたの希望 
それが分かる日が必ずくるわ。

それがどんな重苦しいものでも、

人を愛する強さを忘れてはいけない。

それが、父親譲りのあなたの本当の強さ


”人を愛する勇気を忘れずに持って生きなさい……”




「とまあ、俺の母は偉大だよ。」
「それで何で助かったの?どう言ってブラック・ジャックを説得したの?」
間接ライトが部屋を照らす。

「あなた、もう言葉も話せなくて身体も動かせなかったんでしょう?
助けを呼ぶ医者に殺されそうになって…百パーセント死ぬわよ。」

「答えは単純だよ…来て」
ベッドに腰掛けていた死神は隣にくるように促した
「…初めからこうすればよかったんだ」


「……え」

殺人鬼と化した人間を止めたもの。
それは私にとっては思いもつかない意外な行動だった。


トクントクン…


まるで守られているみたいだ。
まるで何か足りないものが補われるような。
それは奇妙な感覚だった。
銃口を向けられても、初めての殺人を犯そうとしても冷静だった男を変えたのが
こんなにも
こんなにも…

普通の人間にはごく小さな事かもしれない。

だがそれは私の知る言葉では説明できない不可解なことだった。

「結局守ってやれなかった…すまない…愛してた」
死神は声を震わせて、絞るように言葉を紡いだ。
密着しているせいか、その声はいつもよりも低く心に直接響いてくる。


「今思えば…幼馴染みの間黒男じゃなくったって良かったんだ。あいつが写真と
別人だったとしても」
「え?」
「俺はその時の事で一つ、後悔してる事があるんだ…」
「後悔?」
すると死神は私の目を真っすぐに見て、意を決したように語り聞かせた。

「小百合ちゃんがブラック・ジャックが俺の大切な人かもしれないと言わなかったら、
壊れていくあいつを見殺しにしてたかもしれない」
「小百合に促されたと言ってたわね」

『一人殺すも二人殺すも貴様と同じだろう?死神…死ね』

「ああ。だから、もしあの時、ブラック・ジャックの元に向かわずにいたら…
ブラック・ジャックは殺しに走ったかもしれない…本気だった。
俺と同じに血に染めて今は完全に堕ちきっていたかもしれない。」
「そう…あなたみたいに」


「それもそうだが、君のそのようになっていたはずだ」


…死神は気付いていたようだ。 

その片目は正気そのものだ。

薄々は予感していていた。
始めは「お前の話」としていたはずがいつの間にか「ブラック・ジャックの話」
にすり変わっていた。 
私への一人称が「お前は…だ」でなく「ブラック・ジャックは…だった」に微妙に変化していた。 

「…君に殺しは向かない」

「それでこんな話をしたのね」
どうやら始めからそのつもりだったようだ。 
どこまで甘い死神だろうか。
「君を見た瞬間…ブラック・ジャックが狂犬のような状況に陥った時と同じ目をしてたから」
「私があなたの恋人と同じなはずないわ!殺しは覚えたし、寝ても何も感じないわよ。」
死神は顔を歪めた。

「俺が選択を誤ったら君のようになってたんだな…まだ間に合う」


「別にこのままでいいわよ」
私は取り付くヒマも与えずに間髪開けずに断言した。



それから私は夢をみた。
カゲミツと海を散歩していたのが、いつの間にか死神に入れ代わっている夢を。

『死神!犯人はお前さんだ』
『キリコ、お前さんが俺を…したからだ』

「俺の…せい…みんな…俺が…」
声に目が覚めた。

どうやら私は話し終えたままの体制でいつの間にか死神を腕枕にしていて寝ていたようだ。 
もう片方の腕を背中に回して、調度死神の腕の中に収まっていた。
見上げると死神の顔があった。 
よくみると、枕が濡れている。
「ブラック・ジャック…すまない」

死神は小さく寝言を繰り返していた。また悪夢にうなされているようだ。 
その時私は不意に頬を障った。 
ああ、これが涙というやつかと思った。 
闇の世界に浸りこむにつけ、こんなものを見る機会は減った。関心が薄くなったせいだろう。

気付けば死に神は薄く眼を開けてこちらを見ていた。

直後死神は最も驚くべき言葉を口にした。

「こんな風に俺とここで…
このまま二人で暮らさないか」



















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