(13話) 「俺と暮らそう。」 「君が迎えに来なければ生きる気力を無くした俺はあのまま死んでいた。」 背中に回された腕が熱い。 「君となら生きていきたいと思えるんだよ。君のために一緒に生き続けていたいと」 返事は待つからと、死神は静かに告げた。 「…きっと楽しいよ。今度こそ、守らせてほしい。」 この時YESと答えていたら、私の人生は変わっていたかもしれないと、 今でもたまに、思うことがある。 -00:13 公園でワルツを 「ところで君の名前は何て言うんだっけ?」 名前も知らない素性の知れない相手とどう考えたら暮らそうといえるのだろうか 「…紅蜥蜴よ」 「そうじゃなくて、本名は?」 「知らないわ、関心ないし」 しばらく私の容姿をを見詰めると死神は答えを決めた 『じゃあ私達の間だけ…エドの妹はユリちゃんって言うし、女の子なんだから花の名前がいいね。 眼も髪も綺麗な赤だから、ばらちゃんでどうかな?あだ名はばあちゃんで!』 『ばあちゃん?』 『影三…センスのかけらもないぞ。君には子供の名前を二度と付けさせないぞ。君の名前は…』 「分かった。じゃあローズね。」 久しぶりに聞いた名前だ 「昔イギリスのSFドラマで少女とドクターが時空の旅をする物語があったんだ。 その女の子の名前だよ。キュートな女の子。アンにしようか迷ったけど、俺の妹の姉さんみたいな名前がいいなって」 「あっそ」 「じゃあ名前も決まった事だし、万事オッケーねローズ」 「…馬鹿じゃないの、あんた。私とあなたは敵同志。あなたを殺そうとしたのよ」 『死神め、脳みそ腐ってるのか?俺はお前を殺そうとしたんだぞ…』 「…それは前にも聞いた台詞だから理由にならないよ。」 「とにかく却下よ。」 「どうしてもダメ?」 「無理よ。みなしごだった私を拾ってくれたマスターの為に私は存在してるの」 『俺は復讐するためだけに存在してるんだ…』 「俺では代わりは出来ないのか…自分自身の人生を歩みたいとは思わないのか?」 「はあっ?」 「他人の為ではなくて、自分自身のために生きてみたくはないのか」 「…これが私自身の為なのよ」 「……そうか」 「ただ、ただどうしてもと言うのなら最後にチャンスをあげるわ」 翌朝、死神は当然のように早起きをして、身仕度を整えた。 「今日はどこか希望ある?」 「テーマパーク以外で」 「そう、そこには行った事あるんだな…じゃあ大人なデートコースで」 デート…私は記憶を手繰り寄せてそれが何なのかを考えた。 『この白いクマ!ドクターに似てるよ!』 『じゃあこれ、お願いします』 『わあっ!カゲミツ大〜いすき♪』 『…こんなデッカイ人形を私が持歩くことは考えてないよな』 『フフ…子供のためですよ、エド。』 『ドクターとそっくりなんだもん。そのコと一緒に毎晩ねるの』 『イタッ!!』 直後ドクターは悲鳴をあげていた。 『影三、無理はよせ』 『俺は漢ですから。』 『ワ〜イ、ジェットコースターだあ!』 あの後、影三はニッコリと笑って見えたが…恐怖のあまり、顔が引き攣っていたのだった。 後々ドクターにきいたら、高所恐怖症だったらしい 「ぷぷっ…」 うっかり思い出し笑いをしてしまった。 「何?そんなに俺とのデートがそんなに楽しみなの?」 「あんたじゃないわよ!カゲミツよ!!」 「はいはい」 「あんた!人の話を聞きなさいよ!因みに…」 『返事は一回キリにしろ!』 「返事は一回だろ?まずはメークアップからだな」 「失礼ね、何時もしてるわよ!」 「自分自身を隠すために?」 「あんた…素顔は不細工とでも言いたい訳!?」 「ん〜シャギー入れてもいいかしら?女性らしい柔かさが欲しいわ〜」 「じゃんじゃん入れてくれ」 「あたしの髪型はポリシーの現れなのよ」 「まあっ!メイクも含めて20年以上古めかしいわよ〜お嬢さま」 「古めかしいわよ〜」 「死神は黙ってろ!!」 「…ユリ、こんなとこにまで買いにきてたのか…。」 「お得意様ですからね、よくお兄様のお話をされますよ」 「どんな話?具体的に」 「あ、えっと、よく…」 「このシスコン!!」 「ほらね、歩けば人が振り向くような美しさがある…」 結局午前中、一通り、身なりをプロデュースされてしまった。 チョコレート色のロングスカートに、短めの毛糸の白い丸みを帯びたベスト、 黒いタイツにベージュのショートブーツ。気いつの間にか縁無しの帽子まで被っていた。 確かに、視線が集まっているようだ。チラッとこちらをみる人々を片っ端から睨みつけてやる 「…ブラック・ジャックもそうだったよ。前髪を長くして、後ろ…調度首の傷跡が隠れるぐらいの長さだ。 夏でもコートを来て、衿まで立てて。シャツも首までキッチリ詰めて、いつも同じ恰好をしてた。」 「全然違うじゃない」 「同じだよ。ブラック・ジャックは、人に自分自身が見られたくはなかった。 温泉が好きなくせに、わざわざ秘湯に行くんだ。 身体中にある傷跡…子供の頃のトラウマを20年も引きずって、未だにそれに縛られてた事を俺は知ってた。 もっと人目を気にせず自由に生きて欲しかった。」 淡々と恋人のことを振り返る死神は、一応何かを乗り越えて生きる気力は取り戻したらしい。 「私は何処へでも行くし自由に生きてるわよ」 「いや、違う。君もそうやって一見けばけばしい化粧や派手な服や髪だけれど、 そこに視線を集めて自分自身を隠してる。あいつと同じで無意識だろけど君も何かに縛られてるみたいだ」 「そんなの自由と関係ないじゃない」 「…俺が言いたいのは、もっと自分自身を解放して、肩の力を抜いて楽に生きて欲しいんだ。 物理的な事じゃなくて心を自由にしてほしいんだよ」 「素人でも訳がわかるように具象画にしといた…どの作品が好き?」 それから死神と美術館で昼食をとった。正直、盗みに入るだけの場所で、 こうして昼間に作品を見て鑑賞ということをするのは初めてだ。 「このモヤモヤしてる抽象画よ!」 『この1番つまんなそうなやつだ』 「それは印象派っていうんだよ。ターナーか…光の画家とも、初めて空気を描いた画家とも言われてるな。 ブック・ジャックは同じ印象派だけど、ホイッスラーが好きだったよ」 「ホイッスラー?」 「彼は抗戦的でね、自分自身の絵を批判した人間を片っ端から訴えて、 その時の批評を後に大家となった時に、絵の下に貼ったんだ」 「根性は買うわ」 「訴訟の費用が膨らんで自己破産しちゃうんだけどね…彼は具象画も描いたんだけど、 ものすごく緻密でキッチリしてるんだよ。 なんだがブラック・ジャックにちょっと似てる。穏和な性格のモネが親友だったんだ …一緒にターナーを学んだんだよ」 「…詳しいのね」 「閉館間際だし他の作品は抜きにして、もう少し見ていようか」 テート川のからロンドンの夕べを描いたエメラルドの風景は、文明開花時代のもの。 夕べの街は工場の煙りで鈍い色みだが街の明かりを柔らかく讃える夢幻の世界みたい。 「詳しいのはね、あいつが好きだったから調べたんだ。 ターナーはイギリスにコレクションがあるから今度も見に行こう」 「今度…」 私はただ、眺めてみたかった。異国の街の夕べの世界を。自分自身が望んでいることが、 こんなに小さなことだろうかと、何とも言えない気持ちになったが、私はその絵から離れられなかった。 「ここの近くの美術館さ。この景色を見に行こう。君と二人で」 「…行ってみたいわ」 「アイスクリームはセンスが問われるんだ…フアンシーだね」 その後、近くの公園のショップで私は初めて沢山の中から自分自身でアイスを選んだ。 バニラとバナナ、ミントだ。店員はカップの上に器用に三段重ねる。 「美しいレディーにはサービスするよ」 ストロベリーまで乗せられる。 「チョコチップに、ウエハース、あ!チェリーも乗せてあげて」 「……。」 「言葉も出ないほど嬉しいのか…俺はブルーベリーね、ありがとう」 「あんた…あたしを馬鹿にしてるの?昨日は寒いからダメだって言ってたじゃない!」 すると死神は遠慮がちに私に言った 「…オシャレも美術館も全部初めてでしょ?ローズ、緊張して顔真っ赤だったから」 「こんな事は必要なかったからよ、時間の無駄よ」 『こんな事…別に生きる上で必然性ないだろ、金の浪費だ』 「私は殺し屋であればそれでいいの」 『俺は復讐者であればそれでいいのさ』 「君は本当に似てるな。ブラック・ジャックに。顔を反らさずに俺の目を見るんだ」 「なによ?」 死神はハッキリとした口調で私に言い聞かせた。 「いいかい、君は殺人兵器でも狂犬でもなく、人間なんだ。」 「だから何なのよ」 「人間と動物の違いは文化にあると俺は思うんだ。つまりね、絵を見たり、 歌を歌ったり、劇を楽しんだり、スポーツをしたり…そんな事が人間が出来る事なんだよ。」 「…フン」 「…君は心から泣いたり笑ったりが苦手だろ?…もっと人らしく生きてほしいんだ。」 「だからってどうしろって言うのよ!」 「いいから、最後まで聞いて。そんな人間らしい感情に効果的なのがね、感動することなの。 感情が動くって日本では書くそうだよ。」 「感情が動く?」 「そう。で、君の心が動きそうな初体験をしにまた行く訳」 「ふーん。あっそ」 きっとこうした説教の繰り返しでブラック・ジャックは少しづつ元来の人間性を 取り戻していったのだろうか。 「今の素っ気ない返事は納得したみたいね?したでしょ?ね?」 「シッツコイのよ!」 『しつこいぞ死神!』 「や〜息があってきたよ。夫婦漫才とかも出来るね」 「あんたのポジティブさには感動したわ!!」 「この曲知ってるわ」 「知ってる曲でもCDと訳が違うだろ?やっぱり演奏は生に限るね」 それから街角で野外の小さなコンサートを楽しんだ 寒いはずなのに、陽気なメロディーに聴き入って、胸が熱くなるような、また不思議な感覚がする。 結局最後まで聞いていたら気が付けば夜になっていた。 「随分熱心に聴き入ってたね…ちゃんと楽しめたのか」 死神はこちらを見て、嬉しそうに笑った。 「そうだ、さっきのローズがリズムを刻んでた…あの曲を思い出せる?」 「ええ」 「じゃああれに合わせて踊ろう。」 「ここで?」 夜の公園のライトアップされた噴水のそばに立ち止まった死神は、私の手をとると、 ひざまずいて口づけをする。 「一曲だけ…お願いします、お嬢さん」 〜♪〜♪♪ 「先程は寒空の下、最後まで聞いてくれてありがとうございました。 私は先程、弦が切れて一曲弾けませんでしたから」 あの曲が聞こえてきた。辺りをさがせば、演奏会で見かけたバイオリン演奏者だった。 「もし、あいつが女の子だったら、こういう事をしてみたかったんだ」 死神はダンスも上手かった。 社交儀礼はスパイに必要だから習っていたが… 「ね、面白いでしょ」 知らなかった。メロディーに合わせて足でリズムを刻む。 ステップを踏む事がこんなに楽しかったなんて、またあの不思議な感覚…私は知らなかった、 これを人らしい感情だということを。 「ありがとう。今日1番の演奏だった」 「どう致しまして」 『俺の選択が間違えていたら手遅れになっていた。殺しを覚えて …ブラック・ジャックは君になっていたかもしれない』 だが私は自分自身の任務を忘れたりはしない。 『ブラック・ジャックは復讐するためだけにしか自分自身の存在を認めることは出来なかったんだ』 確かに似てるのかもしれない。 『まだ間に合う』 遅いのだ、なにもかも。 元に戻れない所にまできているのだ。 私は知っている。このまま突き進むしか道がないことを。 組織のためにあり続けることだけが私の存在意義だということを そろそろのタイミングだろう… 「ローズ、聞いてる?だからね、ダンスもいいけど、夫婦漫才もしよう」 死神は相変わらず明るく笑って見せた。 身振りてぶりで楽しげに話し掛けてる。 でも本当は無理してることくらい人間らしくない私にも解る。 私を楽しませたい一心で。私を思いやる優しさが死神を微笑ませていることも。 「ねえ、ナイトショーを見ない?」 「いいよ、映画ね」 それでも私は、私の任務を遂行するためにここにいる、それだけだ。 「これからどうするの?」 死神は淡々と口の端を拭う。とめどなく流れる血液は簡単に白いハンカチを赤く染めた。 首に食い込んだ爪の跡。自らつけた傷に包帯を巻いている。 「貸して。腕、ブラブラじゃない」 負傷していた部分もえぐってしまっていた。 「ありがとう」 相当もがいたのだろう。至る所が血に濡れて、シャツにいたっては絞れば血痕が滴り落ちそうだった。 「このままじゃ心配するし、落ち着いたらとりあえず日本に戻るよ。一つ、気付いた事があるんだ」 「そう…お別れね」 「ああ、そうだ。今日の記念に俺からもこれを…開けてみて」 死神は先程までと同じ調子に戻って軽く笑ってくれた。 私のために今日の日を最後までプレゼントしてくれた。 「何かしら」 「もう一つ、女だったら贈りたかったんだ。」 それは赤い涙形のアメジストのついた首飾りだった。 「君はワイルドだから…昔王妃さまがこうして、首にかけずに遊んだんだ」 死神は私の頭にそれを冠した 「ねぇ…私を怨まないの?」 「君は仕事をしただけさ。言ったろもう一人のあいつだってさ。 …罪を償わせて欲しかったって…守りたいってね」 正気に戻った死神の優しげな言葉。 これは本当に私に向けられていれ死神の心からの言葉。 「ローズ…愛してたよ」 「……!」 最後に死神は冷えた両手で私の頬を包んで 額に軽くキスをした 「See you beautiful princess,my only Rose」 サヨウナラ、美しいお姫様、私だけに咲く薔薇。 私のローズ 嫌味なほど気障で甘く それが似合う男だった。 リサーチには死神がこんな男とまでは書いていなかった。 遠目に監視している限りでは分からなかった。 死神の指先の濡れた血がついた頬が熱くて、何故だが涙が出そうになった。 何度となく感じたこの不思議な感情は 恋だということを 私はこの時、 知らなかった。 死神の愛の深さを 疲労困憊した彼が日本に戻ったのは半年後のことだった。 それは 『盲目の書』の噂話が明らかになりはじめた夏の蒸し熱い日のことだった。 次頁