(2話)

「ぼくがしんだらきぃちゃんがはんにんだ!!」
「way?」
おともだちはプンプンしてる
「バカッ!!」 
「Please stay!」

一層大きな声を張り上げて、そのままの勢いで2階へ突っ走る。 

「Whare?」

2階をいくら捜しても見当たらない。 
1階にもいない。 
外にいるはずもないと思っていたら…

「うぁあああ〜」
盛大な泣き声がする方向に頭を上げると

「What!?」

なんと屋根の上でちょこんと丸くなって座っていた。  

「あっ…」
涙を拭いた手をちょっと後につこうとすると、滑りやすいのか、ずるりと身体が、屋根の先のほうへいく。

「YOU!ANSAFE!!」
「…いいもん。もう落っこちたってきぃちゃんはぼくの事なんてどうでもいいんだ!!」

とっても危なっかしい
急いで大人を捜しにいく
おじさんが近くにいたはずだ。 

「どこへでもいっちゃえ!!
ぼくが落ちてバラバラになってもいいんだっ…ウウゥ!!」

さらに一段と大きくなった泣きごえにますます焦った。


おともだちが危ない。
いかなきゃ、 
助けにいかなきゃ 

「…やっぱり…こわいよ、しにたくないよ…」


でも、僕には助ける事が出来ないんだ

「やぁ…しんじゃう」

「I help You!wait!!」


大人になったら僕が 
助けてるから 

神様お願い
おともだちを助けて
無事に待ってて


遠く、遠く離れていく


「きぃちゃん…どこ?」

待ってて必ず
必ず助けに行くから


「だれか…たすけて…」



小さく弱々しい声を最後に聞いた気がした。


「キティー…たすけて…」


『…キリ…コ…助け…』









-00:02 月の獣















「お前が犯人だ!」
「犯人は俺?」
「ああそうだ。正確には主犯だ!!」

また声を荒げる。
月夜の晩に吠えまくる彼は
「…まるで狼だ」
「日本にはいない!それを言うなら野犬だろうが!!」
「ノライヌね」
「知ってたなら郷に従え!!」
相変わらず言葉の端っこを捕まえて罵声をがなり立てる。
だが、それは精神の不安を含んでいる。
さきほどまでの八つ当たりと同じだ。
鎮静剤も考えたがアルコールの量が半端ではなかったのでリスクは避けたい。
仕方なく俺はこの猛獣を捕獲することにした。
「犯罪者め!!」
「暴れないの」
案の定激しく抵抗したが、それは腹が立つからでなく、
ビクリと揺れる赤い瞳のままに、怯えを含んでいるみたいだ。
「離せ死神!」
「大丈夫、怖くないから」
ブラック・ジャックが酔い潰れていなければ、こちらも手加減出来ずに、軽くはない怪我をさせただろう。
それほどまでに彼は暴れ者なのだ。

「終わったんだ…終わったんだよ。もう誰もお前を傷付けたりしない」
「ハア、ハア…」

苦心して確保した奴にそう言ってしばらく背中と頭を交互に撫でてやると、
ようやく少し落ち着いてきた。


とりあえず呼吸は通常に戻ったようだ
「今度こそ大丈夫だな」
向こうへ行こうとすると、不安げにこちらをチラリと見た
「抱っこして欲しいのね…おいで」
「…。」
返事こそないがやけに素直だ。やはりこいつは酒で潰すに限る
「平気?」
上体を起こして、ブラック・ジャックを抱き寄せる。
俺の腕の中にスッポリと納まるあたり、態度の割には身体は俺より小柄だ
ブラック・ジャックも俺と同じに脚を投げ出して
「満月だ」
「本当だね」
窓から見える白い月を二人で眺める
その光はベッド上の二つの影を
一つに重ね合わせる。
「墓穴もいいが…月も似合うな」
「死神だからね。」
「月にはウサギが住んでるんだ」
「そう、お前みたいなのが。」
「ウサギはお餅をつくんだが、お前さんには分けてやらない」
「ウサギを食べるからいいよ」
「なぁ…何でウサギは月にいるか知ってるか」
「可愛いから」
「違う。」
「教えてくれよ」
後から髪を撫でながら、心地よく響くブラック・ジャックの深く温かみのある声に目を閉じて聴き入った
「昔話なんだがな…昔、神様を喜ばそうとして森の動物達はお供えしたんだ。」
「神前の儀式?」
「そうだ。」
「みんな木の実だとか…色んな素晴らしいものを持ってきて、それを天の神様に届けるために火柱に投げ入れた」
「どうして?」
「動物達は、自分達が何故人間の姿をしていないのか、
みんなで話し合った結果、前世で悪いことをしたせいだと思ったんだ」
「人間になりたかったのか」
「そうだよ。それで、人の役に立つ良いことをしようと思ったのさ」
「それで、ウサギは何をお供えしたの?」
「ウサギは…何も持たなかったんだ。いくら考えても自分は役に立つ事が出来なかった。
みんなの事を考えて何かしてあげたくても何も出来なかった」

「じゃあ何もしなかったから月に閉じ込められたの?」
「…ウサギは火柱に飛び込んだんだ。
神様に自分を食べて下さいとお願いして自分自身をお供えにした。
「自己犠牲か…少し悲しい話だな。」

「それに心を打たれた神様は来世では他の動物を人間に変えて、
ウサギはその姿を永遠に月に宿してやることにしたんだ」

「…じゃあ月のウサギは食べていいんだな」

「…俺はマズイぞ。真っ白なウサギじゃなくて、灰色のドブネズミだからな。」
「何でもいいよ。白いウサギでも灰色のネズミでも」
「臭くて醜くて汚いぞ。腹わたは真っ黒だ」
「冗談さ、安心しろ、食べたりしない。月は少し遠いから」
そう言って後から抱き寄せた



「童話なんて初耳だ」

ブラック・ジャックから子供の頃の話を聞く日が来るとは思わなかった。
事故に遭った記憶はあったようだが、それ以前の記憶は無かったはずだ。
おそらく20年前の凄まじい事故の後に
全身バラバラで生死をさ迷い、生きながらえた後に父が自分と母親を見捨てたと知らされる。
母が自分を庇って死に、親戚にたらい回しにもあい、それから施設でリハビリをしたらしい。

8歳の少年一人で生きるためには、人間として幸福な記憶を捨てて、
地を這う野犬のようにならなければとても堪えられなかったからだろう。

『ウサギは人間になりたかった』

という言葉に引っ掛かりを覚えた

そのあたりの事は人づてに聞いただけで
ブラック・ジャックは未だに話さない。


「…今のは母さんに聞いた話…そうだ!月の砂漠の話とかもある」
「他にもあるの?」
「いっぱいあるよ…オススメは今度話してやる」
「そう…楽しみだ。」
親父に会ってからこいつは、断片的だが子供の頃の事を話すようになった。
口調が少し幼くなって…穴が空いたままの過去を
ひとかけら、ひとかけらづつ取り戻すための作業をしているようだ。

いつか俺のこともちゃんと思い出してくれる日がくると嬉しいんだが。

クリアーの騒動が起きたころは、
これから俺の大嫌いなこの国のベトベトした夏が始まるといったところだったが、
近頃は朝晩は大分冷え込むようになった。


窓からは心地よい夜風が虫の音と共に吹き込む。



リーン、リーン

サラサラ


風はブラック・ジャックの頬を霞めて
俺の髪を揺らす。


しばらくそうして
月見をした。



「なぁ」
「なあに」
「さっきから…抱かないのか」
ふいに俺を覗き込む。
「何時もなら、ね」
「キスを…」
こちらに振り向くと、首に手を回す


その両手首を
俺は掴んで降ろさせる

「俺はいらないのか…
ヤッパリネズミは食べたくないか」
「お腹いっぱいだよ」
「嘘だ…気持ち悪いって思ってるんだろ?無理もないな。汚らわしいネズミだ…」
消え入りそうに呟いた。

「感傷的だね…」
「いんだぜ?こんなのは慣れっこだ」
「今のお前にはまだ早いよ」
「嘘つくな…そうやって言い訳してるんだ。気持ち悪いんだ!」
「何でそう思うの」
「…言いたくない」
「そう…気付いてるか?お前は俺の腕の中でさえ鳥肌を立てて怖がってるんだぞ。
今のお前には無理だ」
すると射ように強い眼差しで俺をジッと見据えて、
彼は言葉を絞りだした


「…無理でも何でもいい。喘息ぐらい我慢出来る。もし発作が出ても構わない」
「ブラック・ジャック、何を言ってるんだ?」
「おじさんの痕を消してくれるって言っただろ?」だから…涙混じりに必死に訴えるブラック・ジャックは、
いつもより幼く見える。

「早く…早く抱いてくれ…キリコ!!」

「ダメだ。負担が大きすぎる。」

ブラック・ジャックは
ますます興奮して俺の腕を掴んで、強張る

「お願いだから…抱いて…!」
ノライヌになりたくない子犬が必死に鳴くように

「キリコ…お願いだ…」
俺の名前を何度も呼んで
取り付かれたように何度も訴える。


「…壊れてもいい…」
「よくない!!」




「…キツい」


「罰だ。壊れてもいんだろうが」

俺はブラック・ジャックを
息が詰まるほど抱きしめる
また速まった胸の孤独が少しづつ速度を緩めてゆく
「落ち着いた?」
「…すまない」
「珍しいじゃないか、謝るなんて…やっぱりアルコールのせいさ。」
「そうだな」
「ブラック・ジャック…いくな、そんなとこ」
「さっきの話しか?月は死神の住家だろ」
「俺は本物の死神じゃないから…行けないよ」
「確かに、ただの人間…キリコだ」

「そう。死神じゃなくてただの人間だから、お前を迎えにいけない」

「心配するな。憎まれっ子は世にはばかる…だ」
「それは心配だ。」
「何故?法外な治療費をぼったくる金に汚い悪徳無免許医師だぞ。
憎まれ口まで揃ってる。安心しろ」
「俺には愛しいだけの存在だよ…汚くない」
「…金に?」
「違う。お前は汚くない。親父に抱かれたからって気持ち悪くなんてない
穢れてなんていない。
綺麗なままだよ。」

青白い光に浮かび上がるブラック・ジャックの姿は、
髪は淡いマリンブルーとプルシアンブルーのメッシュ
肌は陶器のように白い寝巻まで水色だから全体に青い
ただ瞳だけは変わらぬ深紅のまま。
ルビーのように光を集めてキラリと光っている。

まるで精巧なガラス細工
まるでショーケースのイミテーション。

簡単に壊れて
そこから魂が
月に帰ってしまいそう。

「…汚くないのか」
「綺麗だよ」
「まるで…今のお前はまるでユニコーンかな。」
「どういう意味だ?」
「この汚れた世界の人間とは、無縁の精霊さ」
「じゃあ死神に相応しいな」
「ああ。だから死神と一緒にずっとこの世界にいろ」
そういって後から両手を回して胸のあたりで交差をさせた。
別の世界に行って帰って来ないなんてことがないように。
するとブラック・ジャックは居心地わるそうにムズムズとしてみせる
「…怖い。キリコ」
「さっきから…何でお前の喘息が俺のせいなの?焦らさないで教えて、反省して服役するから」
「俺の仕事のこと?」
「違う」
「じゃあ親父のこと?」
「それも違う」
「じゃあ…俺の罪名は何?」
いったん俺から剥がして、向かい合わせにして、片目で覗き込むと、

小さくため息をつき、ようやく観念した月の住人は穏やかに話し始めた



それは、今

生きながに
死神と呼ばれた俺が

生きながら
死人と化してゆく

そんな理由でもあった






頭の中から
指の先から
白く、白く浸食されていく


その白さは俺の故郷のようでもあり



『満月だな』
『本当だ』

あの静かな夜に二人で見上げた 
美しい月のようでもある













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