(3話)

「くくっ…いつものパターンだ…」



…それから何だっけ?

そうだ、あの時のは覚えてるぞ

瞼を閉じれば、奴が瞼の裏に浮かぶ度に。

 
自分が誰なのか、人なのか、何がしたいのか、
ただ頭が真っ白に塗り替えられてゆく。 

「死神」と言われていたのは本当に俺だろうか
今までの俺は何をしてきたのだろうか。

白い紙飛行機よりも
故郷の雪原よりも
真っ白だ

どうしてここにいるのか
何がしたいのか全く分からない
何も考えていないはずなのに
次々と映写機のように浮かぶ夢の世界


今の俺は 

希望は光ではなく 

希望は闇にある。

暗闇だけが希望だった
 

星一つ瞬くこともない
新月のように



目を閉じれば、
あいつがやってくる
ブラック・ジャックに会える










-00:03 死神はどこだ 


















俺の煮えたぎる感情は、とどまる所を知らぬ激しい炎と化して、
自分自身をも内側から一気に燃やし、
一瞬で俺を灰にしてしまったようだ。
 


『助け…キリ…コ…』


「な、に?」 


激しい怒りを覚えた俺は復讐に燃え上がった。
だが、感情はあまりにも深く大きく、自分を制御することが一切出来なくなって
しまった。 
今すぐにでも、行動を開始したいのに、一切の力が沸いて来ないのだ。
半ばその場に倒れてしまった。負傷をしていた腕だけに痛覚がある。
他には何も…手足の間隔がない。それから幾日かそのままの体制で殆ど動けなか
った。


『助け…て…キ…リコ』

あの映像がほんの一部、少しだけ頭の隅を掠めるが
その度に意識が遠のく。
床がグラグラと歪んで思考は回らない。
気付けば夜、知らぬ間に朝、その繰り返しで、あの映像の悪夢すら見ない。 
自分が誰なのか、人なのか、何がしたいのか、
ただ頭が真っ白に塗り替えられてゆく。 

『先生…この人があなたに頼った気持ちはよく分かるんです。
苦痛を終わらせたいのはよくよく…よく分かるんです。
でも、生きて欲しかったんです…
生きて、生きて…温もりを最後まで感じたくて』
『苦痛に満ちて、顔が変形するような死にかたではありません。
患者は死に救いを求めているんですよ』
『どんな顔でもいいんです。痛みは分かち合うつもりです。
勝手なのは分かってています…でも!』
『患者の痛みは患者にしか分からないんですよ』
『だからって、割り切れないんですよ…お願いします先生。
ブラック・ジャック先生を待って下さい』
『…待てませんね。
それにもう私の仕事は終わりましたから、失礼します』
『この人殺し!!お前なんか人間じゃない!!死神め!!』
『…御自由に。』

「死神」と言われていたのは本当に俺だろうか

今までの俺は何をしてきたのだろうか。
安楽死がどうこうとか、医者としてだとか、何がしたかったんだ。

奴とは激しく対立した点も、俺が正義だとか

どうでもいい問題に思えてきた。
本当に今までの俺は一体何だったのだろう?


…もっと冷静だと思っていた。

軍医として安楽医師として、何千という人を看取ってきた。
ブラック・ジャックが死ねばどういう心理状態に陥り、
どう処置をすれば良いのかよく分かっていたはずだ。

「死」に向き合い続けてきた俺は、ブラック・ジャックが死ぬ事だって考えた。
悲しみが込み上げるだろうことも。失う痛みも、心に生き続けていると考えて
それを乗り越えなければならないことも。

だが、想定を遥かに超えていた。
知識や経験でさえ何の役にも立たなかった。

知らなかった。
奴の鮮血があんなに鮮やかだったとは。

どこかで強く信じていた。
奴が俺より先に逝くはずがないと。
狂っても、母親が命をかけて守った奴の命を自ら手放したりもしないし、死守す
るはずだと

『行ってくる』
『行ってこいキリコ!』

冗談交じりに皮肉タップリに俺を追い出して。
イタズラっぽくニヤリと笑って。
先を急いだ俺は目の端に止めることもなく、流すように奴を見て、振り返る事も
なく後ろ手でbyeとやった。


お互い危険な稼業だ。
いつも会う時は、抱く時はこれが最後かもしれないと覚悟はしていた。

あの時はまた会えると信じて、
別れもろくに告げずに
奴の元を離れた


「神の手」を持つからといって奴もサイボーグでもましてや神ではない
俺が死神でなくただの人間であるように、
ブラック・ジャックも一人の人間だった。
裂けば血が滲む、不死身じゃないことぐらい知っていた筈だ。


『綺麗だ…まるで汚れたこの世界とは無縁の精霊のようさ』

あの月夜のブラック・ジャックに感じたはずだ。

壊れやすい精巧なイミテーションのようなあいつの姿を。

はかなく憐れなに満ちた心を揺さぶる美しさを

薄いガラスのような魂の燐片の小さな輝きを


『ただのキリコだ』

そう、お前が言うように俺はただの人なんだ

「死神」なんかでなく
ただの「人間」に過ぎなかったのだ。
達観なんて出来ない。
愛する人の死に翻弄されて、何もかも見えなくなって。





もう一度でいい。
一秒でもいい。

愛する人の生きている姿を見たい。
焼き付けたい。確かに生きていたのだと。

その手のぬくもりを。

俺はただの人間だから、
愛する人がいつ死ぬかなんて分からないんだ。

分かっていたら。いつ死ぬか分かっていても。
もう助からないと分かっていても。一日も、一秒も長く生きて欲しい。


奴が死ぬ快楽に塗れて汚されてなぶられて痛みを感じていてもなお、
生きていてほしい。

たとえそこが生き地獄でも。

求めるのは酷だろう。
辛いだろう。苦しいだろう。
でも、生きて、生きて、生きていてほしい。

医者など知るか。
殺人鬼にでも何にでもなってやる。

他人を殺って分け与えることが出来るのなら。

俺の命で助かるのなら差し出してやりたい。


お前すらいてくれたらそれで良かったんだ。
例えお前が生きることを望まなくとも。



『この人殺し!!お前なんか人間じゃない!!死神め!!』

遺族の気持ちはよく分かっていたつもりだった。
それでも俺は死ぬ程の苦しみを味わう患者の気持ちを優先させることに、
医者として信念を持っていた。
死神と呼ばれても
死に救いを見出だす医者としての誇りがあった。
どんなに罵声を浴びせられても、
ブラック・ジャックと激しく対立しても
絶対に曲げない信念だった
だが、今の俺は自分自身でそれを完全に否定している。


まるで今の俺は
かつて俺が見捨てた人々
…「死神の化身」だと罵った遺された者達と同じだ

俺はやはり死に神の化身なんかじゃない。
迷いも失敗も後悔も痛みも感じる人の子供、ただの人間だった





『今週のウワサの真相は盲目の予言書です』
『盲目の預言書?』
『ええこれは、ノストラの大予言につぐもので極秘です。スタッフが独自のルー
トで入手しました!』
『わ〜気持ち悪いですね、お二方どうです?』
『私の霊能力によるとこんなものは出まかせにすぎません。深意はないでしょう
』
『え〜そんなこと言われても…コーナーですから!』
『あたくしはかなり信憑性があると思いますわ』
『…これによると最近の奇妙な自殺や事件が結び付きますね』
『じゃあこの予言は実行されてるんですか?』
『ですからあたくしは…この予言は現実で人類の滅亡を…』
『…最後に悔い改めるようにありますから…悪人でなければ…おっとと、天気予
報の時間で〜す』

つけっぱなしのテレビは出鱈目をいう。
だが全てが嘘でなく、それは現実の凜片を帯びていた。
やがてそれが白日の下に曝され、
世界に蔓延していると気がつくころにはもう手遅れだ。

ブラック・ジャックがいない以上、
もはやこの世界のことなどどうでもいい


はやく死神が俺を
ブラック・ジャックのいる世界に連れていって欲しい

こんな世界に用はない
それよりも…


『やあ…怖い』
『しにたくないよ』

…怖かっただろう、痛かっただろう。


『きいちゃん…どこ?』

俺を不安げに探してるはずだ。


キティー…助けて


ブラック・ジャックが助けを求める声が聞こえる。

自ら死ぬ気力すら沸かない
半端な処置のままだった
傷口から広がる鈍い痛みは、
徐々に範囲を広げていくが、動けない


こうして俺は生きながら腐ってゆく。


壊死なのか餓死なのか
どちらでもいいから
早く目をつぶらないと

早く、早くいかないと。

ただいまを言うか、それより先に、背中を摩ってやらないと。
きっとまだ息が苦しいままだ。
処置をしてやらないと。

ブラック・ジャックを楽にしてやりたい。

大丈夫だと、怖くないよと、助けにきたから、
ユックリ寝ていんだよと。

震える手をにぎりしめて、添い寝をしてやらないと。
意地っ張りで恥ずかしがりだけど
弱ってるお前なら俺に従ってくれるな。


一つ…もの凄く後悔してることがあるからゴメンって
やっぱり罪はそっちで償うからって

助けたい、抱きしめたい
大丈夫だって、もう離れないって、
これからはずっと一緒だって


『きぃちゃん、どこ?』

『くぉちゃん、待ってて
すぐに助けに行くからね』


大丈夫だよ先生…もう泣くな



もうすぐ本物の死に神が
俺を迎えにきてくれるはずだ。


お前のいない世界などにいたくない



お前の傍にいるだけで
俺は良かった。





次頁