(5話) 「貴方はこれから地獄に堕ちるのよ…死神らしくね」 『貴様は天国には行けないだろうな、この殺人鬼め』 そこに、悪魔の目があった。 鋭い刃物のような目で世界を見下している。 行き場を無くした野犬のように。 あらゆる人間と距離をとる孤高の存在。 憎悪と殺意が交じって赤黒くすらみえた その目は血の色をしている まるで俺と再び出会ったあのころのように。 そういえば、屋根から降りてきたあの日もお前は大きな紅い瞳を潤ませて俺を見 上げた。 …わかったよ…きいちゃん、ぜったいにおれのことを忘れないでね… …Of course,… …おれが…忘れてもきいちゃんはおぼえていてね… …Promised,kuroーchan … お前が俺を忘れていても お前が自分自身すら忘れていても 俺は覚えてたよ、約束通りに。 -00:05 I promise to you シュッ、シュッ、シュ、ギュッ 「流石に手慣れてる」 「カゲミツに習ったから」 壊死寸前だった利き腕に包帯を手早く巻き付ける 「そうか…ちょっと癖のある巻きかただ…父親譲りだったんだな」 「え?カゲミツはカゲミツよ」 「…記憶にないのは俺の事だけじゃないのか…見た瞬間に気がついたよ。」 男は少し寂しそうにしてみせた。 『ブラック・ジャック…!』 私をそう認めた次の瞬間にはまるで本物の死神の化身だった男は ただの人間、ただの男になっていた。 『生きていてくれたのか…幻を見てるのか?』 狭い部屋にも関わらず私に駆け寄ると手を伸ばして確かめようとする パシン! 『何なのよ、いきなり…仕事だったら殺すわよ』 その手を私は実に面倒臭いけれど払いのける。 『うあっ…ああ…あ』 謝りたいみたいだが言葉が詰まって出ないみたいだ。 涙を流し、声を震わせ 抑えきれぬ感情にどうしていいのか分からない様子だった。 本当にこれがあの『死神の化身』だろうか? 「これ相当痛かったはずよ…一応痛み止めも打つわよ」 絶え間無い涙に震える男はなんとかそれを止めようとしてみせるが難しそうだ 「はい、おしまい。有料ね」 「わかった。払ってやるよ」 男はタンクトップを脱ぎ捨てる 「はあ?言っとくけどあんたは趣味じゃないわよ。セックスは仕事だから有料よ」 ふいに男の表情が凍りついたが 「…お前はそういえば不潔なのが嫌いだったからな」 そのまま何事もなかったようにシャワールームへ向かう しばらくして戻ってきたら、案の定包帯を濡らしてしまっていた。 「あ〜あ、濡れちゃった」 一見平静に見えるが、実はまだ混乱しているようだ。 「今度こそ体で払うぞ」 そういうと、部屋を掃除始める。 男が拷問した刺客達から絞り出した血液 むしり取った髪、 破いた服、割れたガラス、ワイヤー、薬莢、折れたナイフ… それらを綺麗に掃除する 「おかしいな」 せっかくシャワーを浴びたのに結局またシャワールームへ直行した。 脱ぎ捨てられたシャツをみると拷問した相手の体液で汚れている。 やはりこの男は死神らしい。 包帯から水滴が滴り落ちる。 それは色を帯びていて、傷口が開いたようだ 「埃っぽい」 死神はまるでそんなことは気にしていない様子でカーテンを開けた。 スラム街の下階層の寝床だが、向かいのアパートの窓を反射して 間接的に淡いオレンジの夕日が部屋を満たす。 「もうすぐ日暮れだ…オートミールでいいな」 死神は玄関を出ていったと思ったら戻ってきた 「動ける?」 「ええ。」 「その…すまないが…また何処かへ消えそうで不安なんだ。ついてきてくれるか? 」 「仕方ないわね」 私達は近所のモールへ買い物へいった。 「何か他に食べたいものはあるかな」 「北京ダックかフカヒレ…燕の巣でもいいわよ」 「…味覚も変わったみたいだが…悪くはない。」 「そう?」 「お前は俺がいくら腕を振るっても、お嬢ちゃんの焦げた料理の方がうまいと言 っていたよ」 「作り手の差じゃないの」 「それもあるだろうが…納豆と腐れかけた食材の粘っこい感じを… 同じと思って食べてたぞ!?」 それはさすがに酷いなと思った。 「ああ…甘いものも好きだよな…帰りに、チュロスでも買って帰ろうな」 「チュロス?何それ?庶民料理」 「ああ、お前が好きだった、この国ではオーソドックスでベタベタなやつさ。」 「…ねえ、どれ?」 路上の露店で買い物袋を持たせた死神に聞いた。 「シナモンが好きだったよ」 「まあまあね」 死神は私が食べる様子を穏やかな目で見守る。 「何?」 「良かった…食べものは喉を通るみたいだ。安心した」 「あっそ。」 「どーぞ」 「…まあまあね」 「素直に美味しいって言えないのね」 また見つめてくる。 「あなたは食べないの?」「ああ…こうしていたいんだ」 「食べなきゃ食べてあげないわよ」 「…いただきます」 スプーンを持つ手の指の間接が角ばって見える。眼球も片目だが落ち込んでいる 。 人の食事の様子を見守る余裕など本来は無いはずだ。 かなり痩せ細っているように思う。 マスターに監視を任されてから死神を見てきたが明らかにやつれていた。 「ちゃんと食べて、先生」 ほぼ瀕死の状態の死神だがまるで普通に話しかける。 相変わらず私の方が気になるらしい。 「ごちそうさま、先生」 「え?」 「花は目で食べるって言うじゃない?」 「バカじゃないの!」 冗談は慣れたもので、距離の近さを思い出したようだ。死神は楽しげに笑ってみ せる。 「テレビでも見たい?ユックリして」 ピッ。 「え〜この度の流行病につきましては〜根拠のない〜風説でして〜当局では対応 に追われ〜困惑しております… …このように述べ、最近の集団で起こる自殺は宗教団体によるものであり、 事件性は乏しいというのが検察庁の見解です。 では次のニュースです。 アメリカ医師会は、発展途上国の疫病対策に極めて有効な新薬を開発したという ことです。 この開発には慈善家の…」 マスターの思惑通りに世界はロンドを描いていくようだ。 ポストに押し売りのように突っ込まれていたニュースペーパーを暇さに負けて読 んでみようとするが、 面倒くさくて大きく活字でかかれた雑誌の広告欄をなんとなく見遣った。 『盲目の予言はマヤ文明からのメッセージか!?真偽のほどを徹底検証』 『蘇った殺人鬼!20年の時を経て再来した血のメロディー。戦慄の事件現場を一部 公開!!!』 『スクープ!天才ピアニスト、謎の失踪。実は女性問題のスキャンダルが原因!?? 』 人々は呑気なものだ。 こんな気真面目なニュースよりも訳もわからずにゴシップやホラーや面白おかし い噂話を聞きたがる。 それが本当かどうかなんとどうでもよいのだ。 壊れ行く世界。 足元から崩れ落ちることなど気にもとめなければ関心もない。 ブラウン管の向こうの愉しめる話は別時限だと思っている。 それが自らを襲う現実となることもあるとは考えもしないらしい。 ちらっと死神を見ると、やはりこちらを見ていた。 マスターの計画の「邪魔なハイエナ」だったはずの死神。 「衛星放送なら日本じゃなくても見れるね」 そんなことにはあまり関心がなくなったようだ。 「なんだか疲れたわ」 「大丈夫だから…ちょっとごめんね」 「ちょっ…」 重傷を負っているはずなのに。 「相変わらずお姫様抱っこで暴れるのね」 死神は気にせず両腕で私を軽く抱えあげると、そっとベッドに置く。 「痛くないの…その」 「どこが?痛いのはお前だよ」 私をブラック・ジャックと思っているのか。例の映像を見たからだろう。死神は 悲しそうに顔をしかめる。 「何?あんたもヤリたいの訳?いいわよ、金さえ払えば。」 すると死神の顔はサッと青くなり、 『セックスは有料よ』 あの時と同じように血が冷めたような顔をする。 「やっぱり…忘れたんだな、俺の事も…お前自身のことも」 「何なのよ全く。あんたのせいで一日中気持ち悪いったらなかったわ」 『キリコ…お前さんのせいだ!』 「…そうだ。お前が苦しむのは全て俺のせいだよ」 そういうと死神は静かに語り始めた。 ブラック・ジャックとの記憶の燐片を。 まるで私に悟り聞かせるように静かに優しく。 一見すれば私は記憶喪失。 だが、 現実を忘れて 静かに狂っているのは 死神のほうだった。 次頁