(7話)

「おはよう…よく眠れた?」
「…ちょっと忙しくしてたから」
爽やかな光が室内を満たしている。影が短い。どうやら正午まで寝ていたらしい。
適当にいつも寝るからスッキリした寝起きなんて久しぶりかもしれない。
「やっぱり眠れたんだな…うなされてもいなかった。喘息も出なかったな…」
死神はホッと安堵した顔を浮かべている。
「…あなた起きてたの?」
「流石に少しは寝たよ」
そういえば眠りに落ちる寸前まで、髪を誰かが撫でていた。
慈しむように、宥めるように。

遠い遠い昔。

『疲れちゃったかな?』

子供の頃、カゲミツの部屋に遊びに行って
いつの間にかそのまま寝てしまっていた事があった。

心地の良い安心感。

それ以来かもしれない。









-00:07 小さなお願い















ブラック・ジャックのオペは幾日か前に成功したらしい。

俺は少女と会った翌朝、ブラック・ジャックに案の定、厭味を言われた。

昨日の夜の淫らな光景。

虫酸が走るような嫌悪感になるべく言葉を短くして会話しないように心掛けていた。
「死神…お前のような人殺しとは二度と会いたくないね。」
会いたくないのは俺のほう。
表面的に装う奴に説教なんてされたくない。その存在自体にウンザリする。
腕さえなければボコボコにしてやりたかった。

なのに。

『小百合はね、しにがみ先生とブラック・ジャック先生ってすごく似てると思うの』

昨晩、こんなことを少女は何故言い出したのだろう。
だからお願いなんて。
翌日もしっかり覚えていた。

「あたしね、写真ね〜好きなんだよ。ちょっと面白いのが好きかな」
「面白い写真?」

「そう。それでいてどっかあったかいやつ。しにがみ先生これ見て!ベストショット!」

小さな写真にはブラック・ジャックと少女が写っていた。
相変わらず睨みを効かせた顔の奴と、満面の笑みを浮かべる少女。
「あたしたちお似合いだよね!?」
あまりにも不釣り合いだった。
「これねープリクラっていうの。こーやって名前と…この記号は相合い傘♪
カップル風にしてみましたっ☆」
「…彼氏にするには趣味が超悪いよ」
「先生カッチョイイよね!コートをバサバサさせてるとことか…リボンタイも!
オールドスタイルなとことか全部すご〜くカッコいいッ♪」
「そうなの」
全く聞いていないようだだ。そうとは全く思えないが。
「それに…人を救おうっていうあの真剣な赤い目…そう思わない?」
「…」
「思ったよね!?」
確かに医者としては優秀だとそれは俺も認めるところだった。
「そこでしにがみ先生にお願いがあります」
嫌な予感だ。
「先生…術後経過が気になるからって毎日来てくれるんだけど…
どんどんやつれていっての。小百合はわかるよ」
なんだそんな事か。
あんなことしてヨロシクやってるせいだとか、
純粋なこの少女には一切聞かせたくない。
「あたしを救うったのは先生。でも先生を救う人はあたしでは力不足なの。
だからお願い!ブラック・ジャック先生を元気にしてあげて」
「それだけは嫌だね」
俺は迷う事なく即答した。
少女は知らないのだ、あの天才外科医のもう一つの顔を。
俺に言わせればあまりにも的外れな依頼だ。
「なんで?しにがみ先生は優しい人だと思うから」
「誰にでもじゃないと言ったよ」
「ウソつき。しにがみ先生は自分にウソついてるんだよ」
「ついてないよ」
ハッキリ言える。本当にどうでもいい。
あの男もも俺がどうこうするとかウザったいだけだろうし。
お互い関わりなく生きるのが一番だ。

とたんに少女はしかめっつらになった。
「しにがみ先生のバカ!」
「…」
「いいもん、よくわかってないみたいだから…そのカーテンの後ろに隠れてて」
「…嫌だね」
「バカバカバカ!!」
少女がどんどんヒステリックになっていく。
「発作が出たら100%しにがみ先生のせいなんだから…」
「私は医者だから適切に処置するから安心して」

「じゃあ、言うこときかないなら飛んでやるっ!!遺書に犯人は、しにがみ先生です…って書いてやるっ!!」
「何言ってるの…」
「還らずの侍のしわざに見せかけてその正体がしにがみ先生ってことにもするん
だからっ!!」
さらにエスカレート。
「悪のソシキのしにがみ博士とか言われるんだよ先生…」
「酷いな…ちょっとネタが古いよ」
ヒートアップは止まらない。
確かに彼女の病気を悪化させかねない。
仕方なく俺は従うことにした。
隣の病床と区切るための間仕切り用の白いカーテンの後ろに隠れた直後だった。


ピッ。

「え?」

「よ〜く見ててね、しにがみ先生…アアアッ!!」

俺が従ったと判った途端に、
今度は枕もとのナースコールを呼び少女は苦しみ出した。


「どうしましたか!?」
「大丈夫ですか!?」
「…先生!」

ブラック・ジャックが飛んできた。

「苦しいよ…先生…ウウッ」
「大丈夫、心配ない。必ず助ける!!」
「痛いよ」
「どの辺りが痛いんだ」
ブラック・ジャックは必死に診療をしていた。

「…なんちゃってね」
少女が種あかしをすると
深くため息をついてホッとしたような仕種をした。
「…先生今日の朝来るって言ってたけど、
来なかったから寂しかったんだもん」
「ふざけるな!!人がどれほど心配したと思ってるんだ!小百合!もう二度とせんと誓え!」
「は〜い、ゴメンなさ…」
「心が篭ってない!だいたい小百合は…」
それからくどくどと説教が続いた。
「どれだけ心配すると思ってるんだ!!」
「ひ…ごめんなさ…」
「二度とせんと誓え!!」
少女が泣きだしそうになっても手加減無しだった。
怒りを含んだ言葉の数々。
確かに俺が思う以上に患者に対して熱心な医者だといえるのかもしれない。

「…先生、お済みですか?」
「…行きましょう」
と、そこに外科部長が現れた。こいつは昨晩ブラック・ジャックを抱いていた男だ。
医者というより商売人といった感じの愛想よい奴だった。

「先生は小百合といっしょにここにいるの!」
途端に少女が出せる限りの声を張り上げた。
「わがままを言うんじゃない」
連れていかれるブラック・ジャックの腕を少女は掴んだ。

「だめだよ先生!」
少女は必死に引き止めようとすると、めくれ上がった手首に擦り傷と腕に注射の跡。
そして一瞬だが揺れた眼があった。

「…仕事が終わったらすぐに戻る。」

それでも引き止める少女を強引に自ら振り払い、ブラック・ジャックは廊下へと出ていった。

「しにがみ先生!やっぱりなんか変だよ連れ戻して」
少女は即座にカーテンをあけると痛いぐらいに腕を掴まれる

「お願いだからッ…」
『お兄ちゃんお願い』

涙混じりに必死に訴える少女に妹の影が重なる。


「…昨日からの約束だからね、分かったよ。」
「ホントに?しにがみ先生…」
少女のブラック・ジャックを思いやる気持ちは切実なものがあり、
大きな瞳で涙を堪えている様子にそれを痛いほどに感じた。

返事の代わりに少女の涙を軽く拭き

俺は渋々、少女の言うようにブラック・ジャックの後を追った。 

だが、ブラック・ジャックからかえってきたのは
意外というより予想通りの返答だった。 



美味しそうな匂いに頭が覚めてきた。
酸味と甘味の混じったような。
「ミネストローネ…あったまるよ。
起きなくていいよ、そのままでいいから」
「まあま…」
「美味しいのね。ほら、胃が弱かっただろう?
酸味の効いたのだとか、ヌメリがある食材がいいんだ」
「あっそ」

そんな話を覚めぬ頭でぼんやりときいていた。

「なかなか面白いわね…話上手だわ」
「褒めてくれてありがとう。
子供のころに年の離れた妹に読み聞かせをしてあげていたせいかもしれないね。」
「妹ねぇ…小百合ってコはそんなに似てたの」

「ああ名前だけじゃなくて中身もね。実はそれも偶然じゃなかったんだよ」

続きはもう少しだけだからと、私は食事が終わるとまた寝かし付けられてしまった。
「夕方少し散歩にいこうか…今日は休日だから、ゆっくりおやすみ。」

私は休日なんて言葉はよく知らない。


ヒューヒュー…


木枯らしが吹きはじめて寒い季節になってきた。


冷たい風がコンコンと窓を叩く。
…招き入れるのはまだ早いだろう。


ここは暖かい。
密室のせいだ。









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